平良 敏子(たいら としこ)は、沖縄県を拠点に活動した染織家です。2000年に重要無形文化財「芭蕉布」の保持者(人間国宝)に認定されました。
女子挺身隊として岡山県の倉敷紡績(現・クラボウ)に赴き、社長の大原總一郎や外村吉之介との出会いを通じて民藝運動に触れました。このことをきっかけに、帰郷後は戦禍によって途絶えかけていた芭蕉布の復興と技術の継承に尽力します。
芭蕉布は、バナナと同属の植物である糸芭蕉から採取した繊維を用いて織り上げる、沖縄県および奄美諸島などの伝統的な織物です。第二次世界大戦後に途絶の危機を迎えましたが、沖縄県国頭郡大宜味村喜如嘉を中心として技術の復興が図られました。
沖縄の伝統的な手くくりによる絣の技法を継承しながら、新たに考案したオリジナルの絣柄(「トゥイグワー」と呼ばれるツバメの柄や「八十八」などの幾何学模様)を採り入れています。古典的な伝統柄の復元から現代的で精密な柄構成まで、精緻な意匠を展開しました。
糸芭蕉の栽培・収穫から、繊維取り、糸績み、絣結び、染織、手織りに至る一連の技法を守り、技術の保存と後継者育成に取り組みました。
喜多川 平朗(きたがわ へいろう)は、京都府京都市出身の染織工芸家であり、西陣織の老舗「俵屋」の第十七代当主です。また、重要無形文化財「羅」「有職織物」の保持者(人間国宝)に認定されました。
京都市立絵画専門学校日本画科を卒業後、家業に従事し俵屋の当主となりました。正倉院裂をはじめとする古典染織の研究および復元に取り組み、錦、綾、羅といった古代の織技や染色技法の再現に注力しました。
「復元は創作ではない」という信念のもと、安易な現代的アレンジを排除し、古代の織技や紋様美の再現を厳格に追求しました。控えめで品格のある配色構成を重んじる一方で、「しなやかさ」や「軽さ」といった現代の着用や使用に即した地風の再現も忘れず制作を行いました。
紋織技法や有職織物の第一人者として皇室御用織物や伊勢神宮神宝装束などの制作に従事したほか、晩年には洛北に伝承織物研究所を創設し、伝統技法の継承と研究に務めました。
佐々木 苑子(ささき そのこ)は、東京都生まれの染織家であり、重要無形文化財「紬織(つむぎおり)」の保持者(人間国宝)です。
桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン学科を卒業後、静岡県の手織り紬工房で製織技術を3年間修得します。その後自宅に工房を開設して以降、山陰地方の弓浜絣や広瀬絣といった緯絣(よこがすり)の技法を学び、それらを応用した従来の直線的・幾何学的な絣模様にとどまらず、曲線を交えた絵画的な絵絣技法を確立しました。
鳥や花、草木、星や月など、身近な自然や風景から着想を得、自ら草木染によって使う糸を染め上げます。そしてできた穏やかで多様な色彩の糸を組み合わせて、自然の情景などを思わせる絵絣による着物や帯を制作しています。 現在も制作を続ける傍ら、着物や織の普及活動にも携わっています。
玉那覇 有公(たまなは ゆうこう)は沖縄県出身の染織家です。1996年に重要無形文化財「紅型」の保持者に認定され、紅型分野では初となる人間国宝となりました。
義父でもある琉球紅型宗家十四代城間栄喜に師事して紅型の伝統技法を修得し、のちに独立して那覇市の首里に工房を構えます。
琉球王国時代からの伝統を継承しつつ、明度の高い色調や洗練された構図による独自の作風を確立しました。力強く緻密な型彫りを得意とし、布地の表裏に彩色を施す「両面染め」や、表裏でわずかに異なる型紙を用いる「二枚異型」といった高度な技法を用いて制作を行っています。沖縄の豊かな自然や植物に取材したモチーフを中心に、正確で極めて緻密な型彫りを行うことで、密度の高い文様構造を構築しました。
2000年の九州沖縄サミット開催時には沖縄県出身の人間国宝の代表として紅型の制作実演を行うなど、現在も精力的に活動を続けています。
稲垣 稔次郎(いながき としじろう)は、京都府京都市出身の染織家です。1962年に重要無形文化財「型絵染」の保持者(人間国宝)に認定されました。
京都市立美術工芸学校図案科を卒業後、三越本店や松坂屋京都支店の図案部勤務を経て独立し、染色工芸の研究に専念しました。
型絵染は、図案の考案から下絵作成、型紙の彫刻、防染糊付け、彩色・染色に至る全工程を作家自らが一貫して手掛ける染色技法です。型染特有の連続性や制約を踏襲しつつ、限られた色数で対象を大胆に簡略化し、単なる模様の反復にとどまらない絵画的・意匠的な表現へと発展させました。染色過程で生じる塗料の擦れや滲みといった偶然の表情を作品に取り入れた点が特徴とされています。
身近な自然景観や草木、京都の四季の風物、葵祭をはじめとする伝統行事などを中心に題材として取り上げました。紬地や木綿地、和紙などの素材を用い、着物や帯にとどまらず、屏風、壁掛、額面など多岐にわたる形態の作品を制作します。新匠美術工芸会(現・新匠工芸会)を結成したほか、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)教授として教育活動にも注力しました。
児玉博(こだま ひろし)は、三重県出身の伊勢型紙彫刻師です。日本の伝統工芸である伊勢型紙の「縞彫」技法における技芸保持者であり、1955年に重要無形文化財「伊勢型紙縞彫」の保持者、人間国宝に認定されました。
若い頃より父・房吉および伊藤宗三郎に師事して修業を重ね、1929年に独立します。その後、江戸小紋の人間国宝である小宮康助らの協力を得て、縞彫小紋型の研究および制作に取り組みました。
彫刻技術は極めて高精度であり、定規に特製の彫刻刀を沿わせて手前に引く技法を用い、均一な平行線を彫り出す技術に長けていました。特に、約3cmしかない一寸幅の型紙に31本もの極細筋を彫り抜く「無塵縞(むじんしま)」の制作を成功させたことで知られています。
後年には鈴鹿市における伊勢型紙伝承者養成事業の講師に就任するなど、技術伝承と後進の指導に尽力しました。