迫田賢一は、鹿児島県が世界に誇る伝統工芸「島津薩摩切子」の復元と発展を支え続ける、現代を代表する切子職人の一人です。現在は「薩摩ガラス工芸」にて、デザインや制作の中核を担っています。
彼の最大の特徴は、幕末から続く薩摩切子の伝統技法を完璧に習得しながらも、そこに現代的な感性を吹き込む「創作」への姿勢にあります。
薩摩切子の代名詞である、厚い色ガラスの層を削ることで生まれるグラデーション「ぼかし」の表現において卓越した技術を持ち、そのカットの鋭さと色彩の対比は、多くの愛好家から高く評価されています。
骨董・美術市場においても、彼の銘が入った茶道具や酒器は「作家物」として別格の扱いを受けることが多く、技術の継承者としてだけでなく、一人の芸術家としてその地位を確立しています。伝統を重んじつつも、常に革新を求めるその作風は、次世代の薩摩切子を象徴する存在といえます。
奥田元宋(おくだ げんそう)は、昭和から平成にかけて活躍した日本画家で、特に「赤」を基調とした風景表現で知られる作家です。
代表的特徴は、深い朱や紅を主体とする紅葉表現です。山肌や樹木を赤系統で大胆に構成し、秋の自然の華やかさを強調します。単なる写生ではなく、装飾的で象徴的な色彩設計が行われています。
自然の情景を象徴的な色彩で表現する作風により、日本画壇において高い評価を受けました。
奥田元宋は、戦後日本画において「色彩による自然表現」を発展させた作家の一人とされています。
「田村七宝工芸」は尾張七宝の発祥の地である七宝町にて、1883年から代々続く窯元です。
七宝焼とは、金属の表面に色鮮やかなガラス質の釉薬を施し、高温で焼き上げた工芸品です。
その中でも「尾張七宝」は、主に現在の愛知県あま市七宝町を中心に生産された七宝焼で、1975年に経済産業省指定伝統工芸品に指定されています。
尾張七宝は、1830年~1844年に尾張国の梶常吉がオランダ船によって輸入された七宝の皿を研究し、その製法を解明、改良したことにはじまるとされています。図柄の輪郭部分に銀線を施す「有線七宝」が多く用いられ、繊細な輪郭が際立たされています。
「田村七宝工芸」の初代は太田春治郎、二代目は太田金改と伝えられていますが、詳細な記録はあまり残っていません。作品は海外に多く所蔵されています。
三代目の田村幸夫は祖父の影響を受け、近代工芸の先駆者である藤井達吉に師事します。
制作した作品はイラン皇帝に献上されたほか、宮内庁に購入されるなど高い評価を受けています。
日本工芸会正会員として活動し、製品制作中心の窯元が多い尾張七宝界において、名を冠して評価された数少ない七宝作家でした。
四代目の田村丈雅は、父である三代目・田村幸夫に師事し、初期には「太田丈雅」の名で作品を発表していました。三代目没後は「田村丈雅」を名乗ります。
多摩美術大学油絵学科で絵画・造形を学び、写実的文様や現代的デザインまで幅広い表現を展開しています。
五代目の田村有紀は、武蔵野美術大学造形学部建築学科で設計やデザインを学び、2012年より父である四代目・田村丈雅に師事します。
2015年には七宝ジュエリーブランドを立ち上げ、伝統技法を基盤としながら現代的感性を取り入れた制作を行っており、七宝焼の新たな可能性を拡張しています。
初代長翁斎は江戸後期より活躍された作家であり、江戸幕府の御用金工師の直系である錺師(かざりし)として名が知られています。現在までに三代目の長次斎氏の作品が確認されています。
主に銀製品の作品を手掛けており、銀瓶や急須、煙管などの作品が確認されています。現代までに残っている作品が少なく、希少性の観点から市場では注目度が高い傾向にあります。
幕府からも愛されたその精巧なる美しい造りは、現代においても愛好家の中で語り継がれています。
横山清暉(よこやま せいき)は、江戸時代後期から幕末期にかけて京都で活躍した四条派の日本画家です。
横山は京都で生まれ、はじめ江村春甫から手ほどきを受け、松村景文に四条派の画風を学びました。主に花鳥画・山水画・人物画を得意とし、岸連山、塩川文麟、中島来章と共に「平安四名家」と称されました。また、京都・東本願寺白書院の杉戸絵制作なども手掛けており、青蓮院尊超入道親王(皇族)のお抱え絵師としても仕えました。
「花」「鳥」「魚」などを題材とした作品が多く、四条派の特徴である写生を基礎とした自然描写に基づき、端正で穏やかな筆致が見られます。
また、山水画では山岳や渓流、樹木などを主題とし、淡彩を基調とした落ち着いた画面構成が特徴とされます。人物表現においても、風景の中に人物を配した構図が見られ、静的で写実的な描写が認められます。
京都画壇における四条派の有力画家として活躍し、幕末期の京都を代表する画家の一人として知られています。
西山芳園(にしやま ほうえん)は、江戸時代後期に活動した四条派の流れを汲む日本画家です。
芳園は大阪で生まれ、はじめは中村芳中に師事し、中村の紹介を受けて四条派の松村景文や横山清暉に絵を学びました。大阪において制作活動を行い、同地を代表する画家の一人として知られています。人物画や花鳥画を中心に、写生的な風俗や自然描写にも取り組みました。
彼の作品は、花鳥や人物、草花、自然風景などを主題とし、対象を的確に捉えた穏やかな描写に特色があります。また、息子の西山完瑛にも画技を伝え、四条派の様式は次代へと継承されました。