酒井田柿右衛門

ここでは、酒井田柿右衛門の伝統と作品の特徴についてご紹介致します。

17世紀に酒井田喜三右衛門が赤絵の焼成を成し遂げ、初代酒井田柿右衛門を
名乗ります。

柿右衛門の作品は白い美「濁手(にごしで)」が非常に特徴的です。
佐賀地方の方言で米の研ぎ汁のことを「にごし」と言い「濁手」は米の
研ぎ汁のように温かみのある白色の地肌の色絵磁器で柿右衛門作品独特であり最大の特徴と言えます。

色絵磁器は有田の泉山陶石等を使用した特別な原料と配合、独自の製法で
作られます。柿右衛門の特徴の濁手は柔らかい乳白色をしており柿右衛門の色絵が一番映える素地として創り出されています。

有田焼は改良を続けながら1670年代には柿右衛門式が確立され、その後一時断絶した事はあるが、現代に甦りその製陶技術は国の重要無形文化財の指定を受け
ています。

柳 海剛

柳海剛(ユ・へガン)は、高麗青磁を復活させたことで有名な、韓国陶芸界を代表する陶芸家です。1894年、首都・漢城(現在のソウル)に生まれます。少年時代に目にした高麗青磁の美しさに惚れ込み、1911年頃から陶芸技法を本格的に学びます。一方で国内各所の古い窯跡の調査にも乗り出し、その土で試作品を作っていきます。1928年に日本で開かれた博覧会へ青磁作品を出品し、これが金牌賞を受賞します。その後、朝鮮半島は第二次大戦、朝鮮戦争と混乱した時代になってしまいますが、戦後復興と共に海剛の作陶も復活します。

1960年には海剛青磁研究所を設立し、本格的に高麗青磁の再興に取組みます。こうした活動が評価され、同年、韓国政府より「人間文化財」に指定されます。64年には柳海剛窯も設立されました。

永らく途絶えていた高麗青磁を復活させた功績は非常に大きく、さらにその技量も高いことから、現代の高麗青磁において1,2を争う人気作家となっています。

 

 

田原 陶兵衛

ここでは萩焼深川窯と田原陶兵衛家についてご説明します。

萩焼は、文禄・慶長の役にて日本に渡来した朝鮮李朝の陶工、「李勾光」と「李敬」が17世紀初頭に李朝前期の陶技を以て安芸の広島から萩に渡り、松本中の倉に開窯した萩藩御用焼物所が始まりとされています。
それから約半世紀後、李勾光の子である山村新兵衛光政の高弟である「蔵崎五郎左衛門」と「赤川助左衛門」の一統が藩の許しを得て深川三ノ瀬の地に移り、新たに窯を築きました。
明暦三年には、李匂光の孫、山村平四郎光俊も移住して惣都合〆を命じられたことで藩の御用窯「三ノ瀬焼物所」が創業し、萩焼深川窯が誕生しました。
田原家は李勺光の高弟として共に広島から萩に移住し、松本の御用窯を始めた松本ノ介左衛門を始祖とし、三之瀬焼物所開窯者の一人、赤川助左衛門を初代として代々赤川助左衛門を称して藩の御用を勤めてきました。
幕末に八代喜代蔵の嫡男謙治が田原姓を名乗り始め陶兵衛と称する事になりました。