伊勢崎淳氏は作陶に釉薬を使わずに、長い時間をかけて土を焼き固めるといった伝統技法守り、活かして備前焼の新しい地平を切り開き新しい風を吹かせた備前焼の人間国宝の一人です。
備前焼の歴史は長く、現在の中国地方、兵庫県の隣の岡山県にて1000年以上の歴史を持ちます。釉薬を使わず土本来の味を生かした備前焼は千利休に始まったわびさびを重んじるわび茶人たちに好まれ重宝されてきました。
備前焼の最大の魅力は何と言っても釉薬を使わず、絵筆で文様を書くこともせず、2週間に及ぶ焼成で焼き締めることで起こる窯変が命です。
長時間をかけて焼き締めることで自然がおりなす表面の土の色合いはその時々で様々な顔を見せてくれます。
どんな風に変化しているかは取り出してからのお楽しみです。
次に備前焼に使われる粘土ですが、備前焼に使われる粘土は耐火度が低く、収縮性も大きい為、急激な温度変化にはデリケートで扱いが難しいです。その為、試行錯誤を重ねた末に時間をかけて焼き締める方法が生まれたとされます。
備前焼の分野では現在5人が人間国宝に認定されています。
「金重陶陽」「藤原敬」「山本陶秀」「藤原雄」そして「伊勢崎淳」の5人です。
伊勢崎淳氏の特徴は中世の窯を復活させるなど備前焼の歴史を深く研究しながらも、他のアーティストとの交流も積極的に行うことで伝統的な感覚だけでは無く、モダンで現代的で先進的な造形感覚を身に着けてきました。
そのモダンで現代的、先進的な造形感覚を生かして伊勢崎淳氏は備前焼に新しい地平を切り開いてきました。
伊勢崎淳氏は独自の造形感覚を生かしてモダンで洗練されたデザインのオブジェ・インスタレーションと言われる斬新なフォルムによる作品を毎年発表し、国内外から注目を浴びています。
また、伊勢崎淳氏の作陶はオブジェ・インスタレーションだけでは無く、歴史に残る偉大な茶人達に愛されてきた伝統的な備前焼スタイルの茶器まで非常に幅広く制作されています。
武腰一憲は昔からの伝統を重んじ、草花、鳥と小紋を主に描く作家が多い現代の久谷の世界で試行錯誤しながら制作していた作家です。
その中でも構図や色使いの表現の仕方は現代的な感覚を持ち合わせており、平成7年にシルクロードの地、ウズベキスタン共和国を旅行したのがきっかけで生まれた作品が「遠い日」です。武腰一憲は高原地帯の澄み切った青空、寺院の建造物、民族衣装をまとったお年寄りたちに強い印象を感じ、その空気感を武腰一憲の中にまとって生まれた作品です。
武腰一憲の代名詞といえる「遠い日」は、シリーズとして、「サマルカルドブルー」と名付けられた独自の色に、金で採色された月、または太陽、そこを行きかう人々の情景が印象的でまさに「遠い日」を思い起こさせるような作風です。
平成9年第2回日展「花器 遠い日」、平成12年第32回日展「花器 過日」でほぼ連続で特賞を受賞する快挙を達成致しました。
森陶岳は「古備前」に魅せられ、中世の大窯焼成計画を立て兵庫県相生市内の山中に窯(全長46メートル)を築き、その後岡山県の瀬戸内市に移り大窯(全長53メートル)と「森陶岳大窯」(全長85メートル)を完成させました。
2015年には、森陶岳大窯にて焼成を行い大きな成果を得ております。
桃山時代に作られ、備前焼の最高峰である古備前は多くの陶芸家を魅了し、森陶岳も古備前に強く魅了され、その神髄に近づこうとしました。これまでも大窯の謎を解き明かそうとした方も、大窯を築かないと検証できませんでした。
大窯を築く際に森陶岳は、備前市伊部にある中世の「南大窯」と呼ばれる約50メートルの窯跡を意識し、兵庫県相生市で約50メートルの窯を最初に築きました。
7回の焼成を重ねた後、全長85メートル、幅6メートルの史上最大の巨大窯を2008年に完成させました。
備前焼はもともと焼物の表面にミクロの穴が空いており、保冷効果がある為、水が腐りにくいと言われていたので、水甕用や醸造用、穀物貯蔵用に使用されてきました。焼物は粘土の質を変化させる温度を超えると、水に浸けても泥に戻らない変化を起こして焼物になります。温度は約680℃です。森陶岳は巨大窯にて膨大な熱量を加えることで変成を起こし、その作品はオレンジ色の花生や褐色の擂鉢、真っ白な胡麻のかかった窯変等があります。
この焼成にて森陶岳は桃山時代の人も生み出さなかった巨大窯でしかできない多彩な色と窯変を生み出しました。
今泉今右衛門の色絵磁器は、江戸期の美意識と品格を今に伝えており手仕事による
技術は轆轤、染付の線引き・濃み、柞灰により釉薬、松木の薪による窯焚き、
また、赤絵(赤・黄・緑の上絵)の調合や技術により高い評価を受け、国の重要無形文化財の認定を受けております。
文禄・慶長の役後、李修平をはじめとする李朝の帰化陶工団により有田泉山の
地で良質の陶石が発見され、日本で初めての磁器が1610年代に有田で焼かれました。その後、1640年代には赤絵(色絵)の手法が中国より伝わった頃から初代今右衛門も赤絵の仕事をしたと言われております。
赤絵屋は寛文年間に有田内山に11軒(後に16軒)集結し、鍋島藩の保護のもとに置かれ、その中で最も技術があった今泉今右衛門が藩の御用赤絵師として藩窯の色絵付けを指名されました。
江戸中期の多久家古文書では、今右衛門の技術の優秀さを「本朝無類」の色絵と認めていることが書き記されております。
江戸期より370年続く伝統を代々受け継ぎ、当代である十四代目は江戸期からある染付の中に白抜きの文様を作る時に用いる「墨はじき」といった技法に着目し、「藍色墨はじき」「墨色墨はじき」、墨はじきを重ねていく「層々墨はじき」、微妙な白の雰囲気の「雪花墨はじき」の作品を作り出しています。
墨はじきシリーズは現在では今右衛門を代表する作品として大変人気になっています。
ここでは大饗 仁堂の特徴をご紹介いたします。
・初代 大饗仁堂は明治時代の末頃は京都で細工物の作陶技術を修行した後、備前
に帰り、三村陶景が設立した伊部陶芸学校に第一期生として入校し、細工物や
ヘラ技術を学ぶと同時に彫刻家である井上仰山について彫塑を学んでいます。
朝鮮総監府の招きで渡鮮し、京城にて3年間陶芸を教える傍らで朝鮮陶器を研
究しております。
蛙仁堂と呼ばれるほどの細工物の名工であり、花鳥、人物の置物や今では制作
する人の少ない宝瓶を手作りで制作し、昭和29年に岡山県重要無形文化財に認
定されております。
・二代目 大饗仁堂も備前焼作家である三村陶景に師事し、父の没後二代を襲名。
人物、花鳥、置物の名工で数多くの作品を輩出しております。
ここでは、備前焼と金重陶陽の作品の特徴について説明します。
備前焼の土は大きく分けて干寄せとよばれる田土と山土があり、田土の特徴としては粘りが強く可塑性が高い土として知られています。
水田を3mほど掘ると出てくる黒い土が代表的な田土であり、この土は耐火度が高く、およそ1,100℃~1,300℃の高温で焼き固めることで備前焼が完成致します。ただし、急激な温度変化に弱い為、窯の湿気を取る焚きで3日前後、1,000℃前後の中焚きで3~5日程度、最後に1,200℃以上の高温で大焚きを3~5日間焚き続け、窯焚きには10日間から2週間の期間を要します。
窯焚き後の冷却にも時間を要する為、5日から7日ほどの冷却期間を設けます。
備前の土は一定の耐火性はありますが、温度の乱高下には敏感で、湿度にも
左右されてしまう繊細な面もあります。
金重氏は故郷の焼き物である古備前の再現を日々試みており、実弟で陶芸家
である金重素山とともに田土、山土を求め続け1930年に荒川豊蔵が志野の陶片
を発見し、志野が瀬戸でなく美濃で焼かれたことを証明した時には金重氏は桃
山の土味を再現していたといわれております。
金重氏の作品には土味、焼成、作りにおける繊細で大胆な技と強いこだわりがあります。
まず初めに土ですが「観音土」とよばれる良土を利用しております。
観音土とは備前市田井山でとれた最上級の田土でとても良い味を出ます。
焼成については胡麻、桟切り、火襷等の多様な窯変の作品が多く見られ、通常の焼成室では伏せ焼きしたうつわの間に藁を敷き、火襷や牡丹餅の作品を取りました。
その他では桟切りは登窯の狭間と呼ばれる登窯の部屋と部屋の間にある通炎穴でもとれたと聞きます。
作りについては豪快なヘラを使った切れ目もあれば、しっとりした白味を帯びた土に火襷が入った作品もあり、これらは桃山陶にも見られますが、金重氏の作品は、端正すぎずわざとらしさもない為、落ち着いた土味とあいまって、動と静が一体となり土、焼き、作りが三味一体となった典型的で特徴的な作風になっております。