鷹取 閑山(たかとり かんざん)は1924年生まれの備前焼の作家です。
古くから備前焼の伝統を守り続けてきた「備前焼窯元六姓」の一つである寺見家に生まれ、実兄である名匠・森宝山の元で修行し、後に人間国宝の藤原啓にも師事しました。
閑山の作品は、端正な形作りと備前焼ならではの力強さ、土と炎が織りなす素朴な美しさが魅力です。しっかり焼き締まった硬質な地肌に、炎の当たり方で色が変わる「窯変(ようへん)」が印象的な作品を残しています。
鷹取 閑山が構えた登り窯は現代も使われており、彼の弟子たちが多くの作品を発表しています。今なお多くの骨董・陶芸ファンに親しまれている作家です。
山本広巳は、三重県四日市市に伝わる伝統工芸 萬古焼 を、実用工芸の枠を超えた芸術作品へと昇華させた現代陶芸家の一人です。
萬古焼の代名詞ともいえる「紫泥」の魅力を極限まで追求した作品は、一切の過度な装飾を排した端正な造形でありながら、金属器を思わせるような硬質感と、手仕事ならではの柔らかな曲線美を兼ね備えています。
特筆すべきは、その圧倒的な肌合いの美しさです。厳選された良質な土を長い時間をかけて練り上げ、焼成後も丹念に磨き込むことで、シルクのように滑らかで吸い付くような独特の質感を実現しています。使い込むほどに艶が深まり、経年変化を楽しめる点も高く評価されています。
また、茶器、特に急須制作においては、注ぎ口の水切れや蓋の精密な密閉性など、実用面でも極めて完成度が高く、煎茶愛好家や海外コレクターからも高い人気を誇ります。
伝統的な萬古焼の技術を継承しながら、現代的な洗練を纏わせた山本広巳の作品は、日本の手仕事文化の美意識を体現した逸品として高い評価を受けています。
大田垣蓮月は、幕末から明治初期にかけて、和歌・書・陶芸を通じて活躍した文化人です。
大田垣は、武家の血筋に生まれ、幼少期に大田垣家の養女として迎えられました。40代前半までに夫や子どもを次々と失い、こうした不幸を経て出家し、「蓮月尼」と名乗り、和歌や書、陶芸の分野で活動しました。その後は和歌を中心に文芸活動を行い、同時に自作の陶器に自詠の歌を刻む独自の作風を確立しました。素朴な器形に平明な言葉で詠まれた和歌を組み合わせた作品は『蓮月焼』として知られ、文学と工芸を融合させた表現として評価されています。
彼女の作品は、和歌・書・陶芸が一体となった総合的な表現に特徴があり、流麗でやわらかな仮名書と、型を用いず手びねり(手づくね)によって成形された温かみのある造形に独自の魅力が見られます。また、日常的な器に和歌を刻むことで実用性と芸術性を兼ね備えており、贈答品や交流の媒介としても機能していました。
大田垣蓮月は、自らの表現によって活動の場を広げた文化人ともいえます。
濱田友緒は、栃木県益子町を拠点に活動する陶芸家で、人間国宝・濱田庄司の孫として知られています。
多摩美術大学大学院修了後、濱田窯三代目として活動し、益子焼の伝統を継承しながら、塩釉や刷毛目などを用いた現代的な作陶でも高い評価を受けています。
その中でも特に代表的なのが「塩釉(えんゆう)」による作陶です。祖父である濱田庄司が1950年代にドイツで学び、日本で初めて濱田窯に塩窯を築いたことで知られる塩釉は、1200℃以上に達した窯へ焼成途中で塩を投入し、気化した塩分が器肌に付着して自然なガラス質の釉膜を形成する技法で、濱田友緒はその技法を継承・発展させています。
さらに、友緒は従来の登り窯だけでなく、自ら設計したアーチ型塩窯「志緒窯」を用いて制作しており、焼成効率や発色の研究を続けています。器、花瓶、扁壺、酒器など幅広い作品を制作し、日本国内だけでなく、英国のリーチポタリーや海外美術館でも紹介されています。
幹山伝七は、尾張瀬戸出身ながら京都で活躍した陶工で、加藤孝兵衛の第三子として生まれました。
幼名は繁次郎、のちに孝兵衛を襲名し、製陶においては「伝七」の名を用いました。
1863年(文久3年)には「幹山」または「松雲亭」と号し、加藤幹山として知られるようになりますが、1872年(明治5年)にはこれらを廃し、「幹山伝七」を正式な姓名としました。
はじめは彦根藩の御用窯である湖東焼に招かれて従事し、同窯の廃窯まで勤務。その後、1862年(文久2年)9月に京都・東山霊山へ移り、磁器製造を開始しました。京都において磁器を専業とした先駆者とされています。
作品には「幹山精製」「大日本幹山」などの銘を用い、特に「大日本」の表記は海外輸出を意識したものでした。また、明治天皇の御用品には特別に「幹山」や「幹山欽製」といった銘を高台内の縁に小さく記すことが許されていました。
黒川昭男は江戸切子を代表する作家で中学卒業と同時に上京し、名人と称された小林菊一郎に弟子入り。菊一郎亡きあとはその子息・英夫を師と仰ぎながら技を磨きました。
江戸切子の世界でトップクラスの技術者として知られるようになった黒川の作品の特徴はその深いカット。飲み物を注ぐとさらに美しさを増し、「きらめきのガラス」と呼ばれるほどの輝きを放ち、大胆な曲線と繊細な幾何学模様を組み合わせた独自のデザインは誰の真似もしない、誰にも真似できないオリジナリティとして高く評価されました。
新たな作品が生まれることのないからこそ黒川昭男の手による一点ものは江戸の伝統と一人の職人の生き様が宿る唯一無二の工芸品です。