長次郎(初代 樂 吉左衛門)

長次郎(初代 樂 吉左衛門)は、安土桃山時代に活躍した陶芸家で、「樂焼」の創始者として知られています。

樂焼のルーツは中国・明時代の三彩陶にあり、日本で三彩釉が流行し始めた頃、長次郎は既にその技術を持っていたとされています。

1574年には「二彩獅子像」を制作し、天正年間に茶人・千利休と出会います。
そして「わび茶」の理念に沿った、茶の湯に特化した茶碗制作に取り組み始めました。
これまでの茶碗とは一線を画す、素朴でありながら力強い美を追求し、その作品は当時の人々に新鮮な驚きを与えました。

樂焼は軟質施釉陶器といい、手捏ねやへら削りによる成形、黒釉や赤釉が特徴です。
長次郎の精神と技術は後世の樂家当主に受け継がれ、現在も茶道文化に深く根付いています。

楽 道入(ノンコウ)

​楽道入は江戸時代初期の京都の陶工で、三代目楽吉左衛門家当主です。

楽焼でも屈指の陶工として知られます。本名は吉左衛門、通称「ノンコウ」。独特の艶やかな黒楽釉や明るい赤楽釉を用い、薄作りで大振りな茶碗を制作しました。

代表的な作品には、「獅子」「升」「千鳥」などがあり、これらは「ノンコウ七種」として知られています。

道入は、茶人・芸術家である本阿弥光悦と親しく、彼との交流を通じて楽焼をさらに発展させました。楽焼は、後の時代における日本の陶芸に大きな影響を与え、特に茶道の道具としての地位を確立しました。

彼の作風は、現在も多くの陶芸家や茶道愛好者によって受け継がれており、日本の伝統的な陶芸文化の重要な一部分を担っています。

慶入 (十一代楽 吉左衛門)

慶入は京焼の名跡・樂吉左衛門の十一代であり、歴代吉左衛門の中でも多くの作品を制作し、現代にも数々の作品が残っている作家さんです。

江戸時代末期に生まれ、それから明治にかけての激動の時代を慶入は生きました。徳川家の衰退により茶道が軽んじられていた時代でもあり、千家とのつながりが深かった楽家にも風当たりは強くありました。しかしながら慶入は、世事についての反応を示さず、自分らしい作陶を続けます。そんな慶入の心が見て取れるおおらかな作品が多く残っています。

楽家といえばノンコウと呼ばれている三代・道八が稀代の名工として知られており、ノンコウを敬慕していた慶入もまたノンコウを思わせる作品をしました。またそこに留まらず、三代以降の楽家が作り上げてきた研鑽も糧としながら型に縛られない斬新で自由な作品も制作しました。

楽と言えばやはり茶碗が想起されますが、慶入は茶碗に限らず幅広い作品を残しております。これは時代のお茶離れに合わせ、様々な道具を作ることで生計を立てていたからだともいわれています。
楽の伝統を継ぎながら、個性ある作風を持つ慶入の作品は多くの茶道具ファンから支持を集めております。