ミズテツオ(水島 哲雄)は、1944年東京都生まれの画家です。
アメデオ・モディリアーニの作品に影響を受けたとされ、1971年より武蔵野美術学園にて絵画を学び、本格的に創作活動を開始しました。1980年代には「フラッグ」シリーズの制作を開始し、関心を集めました。
彼の作品は「国際信号旗」をモチーフとした幾何学的抽象表現を中心に展開されており、正方形や矩形の画面に細線で区切られた鮮やかな色面を配置する構成が多く見られます。また、人物や風景を題材とした作品も手がけており、明確な輪郭線と色面の対比によって画面を構成する点に特徴があります。
さらに、長野冬季オリンピックのフィギュアスケート会場「ホワイトリング」の陶壁画を制作したほか、国内外での展覧会やアートフェアへの出品などを行いました。
大沢 昌助(おおさわ しょうすけ)は日本の洋画家で、油彩を主体に制作を行い、色面の重なりや構成によって画面の調和を探る作風が特徴とされています。
初期には人物や具象的な主題を扱った作品が見られ、そうした作品では繊細で落ち着いた色彩感覚と柔らかな描写が特徴でした。その後、次第に色彩と形態の関係を重視した表現へと展開し、抽象的な画面構成へと移行していきました。
色彩や構成そのものによって画面の印象を形成する点に重きが置かれており、日本の戦後洋画における抽象表現の流れの中で、その一端を担った作家として評価されています。
浜田泰介(はまだ たいすけ)は、愛媛県宇和島市出身の日本画家です。
彼は、色彩や形態を駆使して、視覚的なインパクトを強調する作品を制作しており、日本画という枠に囚われない独自のスタイルを確立しています。
早期は抽象画家として活動しており、アメリカに渡って活動しておりました。その時代に磨いた表現が、後年の作品でも生かされていると言えます。
大覚寺や醍醐寺など、数々の名刹の障壁画を手掛けており、自身でも「平成のふすま絵師」と称しております。
彼の作品には、抽象的な表現の中に人間の感情や自然、宇宙的なテーマを感じさせる要素が込められており、視覚的に感動的なだけでなく、鑑賞者に思索を促すような深みを持っています。
ウジェーヌ・カリエールはフランス象徴派を代表する画家です。セピア色で描く彼の絵画は、神秘的な作品が多く残されています。日本国内では大原美術館やポーラ美術館に彼の作品が収蔵されています。
カリエールは1849年、パリ近郊の町グルネ=シュル=マルヌに生まれました。保険業を営む父には画家になる事を反対されていたカリエールでしたが、1869年パリ国立美術学校に入学します。
しかし間もなくして普仏戦争が起き、カリエールは入隊し一度はプロイセンの捕虜となってしまいます。その後解放されたカリエールはパリに戻り絵画の勉強を再開し、1876年にフランス国家よりローマ賞を受賞します。その二年後、ソフィー・アデライド・デムーソーと結婚しました。
フランス象徴派を代表するカリエールですが、彼の初期の作品はルーベンスなどの影響を受け色彩豊かなものであったそうです。しかしロンドン滞在中にターナーの作品と出会い、大気と光の減少へ関心を高め、やがてセピア色で靄がかかったような独特の絵画手法を築き上げたと言われています。
また、カリエールは『考える人』で知られる彫刻家のオーギュスト・ロダンとも親交が深く、自身の作品の表現方法にも大きく影響を与えたようです。
カリエールの絵画は、セピアの色調と背景から人が浮かび上がるような神秘的な作品が多く、同時期に活躍した印象主義の画家たちの明るい色彩表現とは一線を画していると言えるでしょう。ご機会があれば、ぜひ一度カリエールの絵画をご覧ください。
デビッド・ウィラードソンは、ディズニー界の生きるレジェンドと呼ばれている、ディズニー公認のアーティストです。
出身はアメリカで、スティーブン・スピルバーグが監督を務めた「レイダース-失われた聖櫃」のロゴマークなどを手掛けたことで名を知られ、その後アニメーション制作からディズニースタジオに所属し、ディズニーでのキャリアをスタートしました。
ディズニーアニメ作品「バンビ」「シンデレラ」「白雪姫」「リトル・マーメイド」「アラジン」「ライオンキング」などの、日本でも人気となった映画のポスターなどの告知物を手がけました。
ウィラードソンのディズニーに対する思いは強く、子ども時代のヒーローでもあり、憧れでもあるキャラクター達は、まるで魂を入れられたような表情を感じさせます。
彼の作品は、ディズニーが公式で好きに描いて良いと許可を出すほどのもので、キャラクター描写力と独特な表現力によって描かれるキャラクター達は、見るものすべてに元気を与えてくれます。ディズニーの公認アーティストは多くいるものの、公式から好きに書いていいと言わせてしまう作家は世界中でも数人と言われています。
パブロ・ピカソはフランスを拠点に活動した画家で、キュビズムの創始者です。
現代においてその名を聞かないことはないほどの有名画家であり、「20世紀最大の画家」と呼ばれています。
生涯に渡って芸術活動を行い、残した作品は油彩画と素描だけでも一万点を超えるといわれております。
幼いころよりその才能を如何なく現しており、美術教師であった父は十三歳のピカソの描く絵を見て筆を折った、という逸話が残っています。
初期はヨーロッパの伝統的な絵画を制作していましたが、ピカソの画風はその人生の中で何度も転換します。
一度目の大きな転換は1901年、親友の自殺に起因するものでした。乞食や娼婦などをモチーフとし、暗青色を基調とした画風で暗い感情を吐き出すような描画がされました。この頃は「青の時代」と呼ばれます。
二度目は「ばら色の時代」と呼ばれ、モンマルトルに移住し、恋人と順風満帆に暮らしていた頃に起きました。
そして三十代の頃に、ピカソを代表する画風である「キュビズム」へと転換します。四十代からは新古典主義、シュルレアリスムへと移り変わり、この頃の代表作として『泣く女』や『ゲルニカ』が挙げられます。
その後も細かく画風が変わりますが、それはやはり圧倒的に多くの作品を残してきたピカソであるからこその変遷だと考えられます。ピカソの持つ絵画史は、後世の芸術家に多大な影響を残しています。
神話や歴史を描く時代から印象派へ、そして現代アートへの道を耕した開拓者として、「20世紀最大の画家」という呼び名が確立しているのです。