岩谷晃太(いわたに こうた)は、1989年生まれの日本画家です。東京藝術大学を卒業後、同大学院に進学し博士号を取得しました。現在は日本美術院の院友として活動しており、母校にて非常勤講師などを務めています。
伝統と革新をテーマに作成をしており、漆黒の岩黒や天然の群青を用いた背景に、月や稲妻、光の表現などを配した画面構成が特徴です。雲肌麻紙や屏風といった伝統的な支持体にとどまらず、現代の板絵と位置付けてスケートボードデッキに描画したり、原画をもとにした京友禅を制作したりするなど、多様な素材や表現形式を作品に取り入れています。
幾つもの個展を開催したり院展でも賞を取るなど目覚ましい活躍の日本画家です。
古沢岩美は艶めかしい表現を得意とする現代画家です。
1912年に佐賀県に生まれ、商業学校を中退後、朝鮮へ渡ると、叔父の店で働きながら絵を描き始めます。1928年には帰国し、東京の本郷絵画研究所で岡田三郎助に学びました。その後、長崎アトリエ村へ移ると様々な画家と交流を深めていきます。
1938年には「第8回独立美術協会展」にシュルレアリズムを取り入れた作品を出品し、頭角を現します。翌年には福沢一郎、麻生三郎らと美術文化協会を結成し、意欲的に作品を発表しています。
しかし1943年には徴兵され中国で従軍することとなりました。その後は約1年間捕虜として生活しています。古沢はこの経験を通して、社会への批判や戦争の残酷さを、生々しく、エロティックに表現していきます。
代表作には『餓鬼』シリーズや『斃卒』『黄昏』があります。油彩画だけでなく、版画や小説挿絵なども手掛けており、見れば見るほど世界観に引き込まれていくような作家です。
塙 賢三(はなわ けんぞう)は、「ピエロの画家」と知られる洋画家です。
1916年、茨城県土浦市の菓子職人の父のもとに生まれました。1929年に高等小学校を卒業した後は家業を手伝い、1932年に上京して電器店に勤めながら東京電機大学の夜学に通い電機工学を学びました。1937年には帰郷し、「塙電業社」を立ち上げます。
画家としての道を歩み始めたのは1943年頃からです。土浦市出身の洋画家・福田義之助と出会い、そのアトリエに通い油絵を学ぶようになりました。
1945年には白日展に、1946年には二科展で初入選を果たします。その後も二科展への出品を続け、岡田賞や二科会創立35周年記念賞などを受賞して二科会会員となりました。岡田賞の受賞を機に家業を閉じ、画業に邁進します。
展覧会に出品する一方で、1954年から銀座でロード展を、1958年には北海道から九州へ日本縦断路傍展を行いました。
同年夏にはアメリカで個展を開き、ヨーロッパやエジプト、中東を経て帰国します。また1970年にも、スペインやモロッコに赴き巡遊し製作を行いました。
広く知られているサーカスやピエロのモチーフは、1960年頃から描かれるようになります。
単色に塗られた背景や大きく描かれた三角帽子を被ったピエロなど、童画のようなメルヘンな作風が特徴です。
愛や喜び、悲しみなどの気持ちを温かみ色使いでノスタルジックに表現しています。
漫画家のさくらももこも、自身の20歳の記念にピエロの絵を購入するなど、広く愛されている作家です。
レオナルド・ウェーバーは、20世紀に活躍したアメリカ出身の風景画家です。
ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで絵画を学んだ後、長年にわたり美術教育に従事しました。その過程で日本の水墨画からインスピレーションを受け、都市や街並みの景観を横長の構図を用いて描く作風を確立しました。
世界各地の都市や自然景観を題材とし、繊細な筆致と淡く透明感のある色彩を用いて表現しています。精細な色調と奥行きのある空間構成を組み合わせることで、対象となる地域の空気感や空間の広がりを緻密に捉えた水彩画や版画作品を展開しました。
1995年以降は幾度となく来日し、開催された展覧会で人気を博しました。葛飾北斎を深く敬愛していることでも知られ、来日時には横浜の風景をはじめとする作品を数多く制作しています。
志田展哉は現代の日本画家です。
志田は、神奈川県に生まれ、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻を卒業後、同大学大学院修士課程、さらに博士課程へと進み、日本画について研鑽を積みました。2003年には、東京藝術大学大学院博士課程の研究発表において野村賞を受賞しています。また、佐藤美術館での個展をはじめ、日本橋三越本店、大丸、そごう、東武百貨店などで多数の個展・グループ展を開催しています。
彼の作品は、岩絵具と焼成した銀箔を用いた繊細な画面表現が特徴です。銀箔が生み出す豊かな階調と、青や藍色を基調とした静謐な色彩によって、幻想的な世界観が表現されています。花々や木々、月、星空、猫といった自然や身近なモチーフに加え、電柱や電線など都市風景を象徴するモチーフも取り入れられ、伝統的な日本画の美意識と現代的な感覚が調和した作品を制作しています。
志田展哉は、日本画の伝統的な表現を大切にしながらも、現代の風景や感性を融合させた独自の作品世界を築いている作家です。
田辺 栄次郎(たなべ えいじろう)は、石川県出身の洋画家です。
1910年に石川県羽咋郡押水町(現・宝達志水町)に生まれ、1929年に石川師範学校を卒業し、その後1962年まで金沢市内の小中学校で教師を務めました。
教師を務める傍ら、1937年に第24回二科展に初入選し、その後も出品を続けました。二科会解散後は、1947年に第1回二紀展に招待出品をし、1957年には第3回一陽展に出品したのち、一陽会の会員として活躍しました。
1960年代半ばまでは、絵具を盛り上げた抽象作品を手がけていました。
1956年以降はフランスや地中海など欧米へ長期のスケッチ旅行に赴くことが多くなり、風景画を描くようになります。滞在中のスケッチをもとに、帰国後に再構成して油絵の制作へと進む手法をとっていました。
題材となるのは名所ではなく、家々や街並みなど、その地での生活を感じさせる風景です。田辺の風景画には人物が描かれないことが特徴であり、自分自身がその土地で生活を送っているかのような温かさが感じられます。
優しい色使いによる、穏やかな風景画を数多く描きました。