1975生まれ、熊本県出身の画家。東京藝術大学美術学部デザイン科を卒業し、2001年に東京藝術大学大学院(中島千波研究室)修了。
2005年から画業に専念し、出身地の熊本県や東京都内など日本全国で個展を開催しグループ展やアートフェアなどでも参加しています。2007年からはニューヨークやマイアミなどでも出展し、現在海外からも注目されている作家です。
作風は鬼をモチーフにした作品を多く手掛けており、そのポップで愛嬌のある絵柄は一目で氏の作品であるとわかります。
日本水彩展入賞、東山魁夷記念日経日本画大賞入選。絵画だけでなくフィギュアの分野でも活躍しており若者からも支持されています。幅広い年齢層から人気のある作家であり、今後の活躍にも注目が集まっております。
栗原喜依子は女性像を数多く描いたことで有名な洋画家です。
1935年に茨城県に生まれた栗原喜依子は1958年に女子美術学校洋画科を卒業し、1960年頃よりNHK美術部に勤務しながら製作活動を行っておりました。女子美術学校に在学中の1956年には二科会に出品をしており、その後は毎年出品を重ねております。
1966年と1973年の2回フランスに渡っており、2回目に渡った際に女性像を主にモチーフとした作品を手掛けるようになりました。1982年には渡欧し、そこで取材をした民族衣装の人物や風景を描きました。
栗原喜依子の作品はフランスに滞在した際の影響を受けており、乳白色の独特な色彩と繊細な線描により描かれる民族衣装の少女や裸婦が人気の高い作品となっております。
1919年~2016年 ポール・アイズピリは、フランスの画家になります。1919年彫刻家でバスク人の血をひく父のもとに誕生し、父は息子をブール象嵌学校に入学させたが、アイズピリは画家になるのが夢でその夢を捨てきれず、1936年にエコール・ボザール(パリ国立美術学校)に再入学します。1939年の第二次世界大戦に徴兵とされ、ドイツ軍の捕虜になりますが脱走し、1943年パリで初個展を開催して以降具象画家として実績を積み重ねます。1946年新人画家の登竜門として名高い「青年絵画展」で3等賞、1951年ヴェニス・ビエンナーレでプリ・ナショナル大賞を受賞するなど、フランス画壇に確固たる名声を高めました。その後1960年代は、ニューヨーク、東京、ジュネーブ、アヴィニヨンなど各国で個展を開催し、1963年の第2回国際形象展に初出品。以後毎回同展に出品し続け、1971年トゥールでジュマイ賞を受賞しました。アイズピリの作品は、パリ画壇の中でもとてもわかりやすい具象絵画で親しまれ、人気なポピュラーな作家でした。自然と家族を愛する画風がコレクターでも愛され、リトグラフ等でも親しまれております。2016年老衰の為96歳で死去。
1919年~2004年 フランス・パリ出身の画家になります。1945年パリの国立高等美術工芸学校に入学し、モーリス・ブリアンションに師事し、ムルロー工房へ出入りする様になります。結果、1965年「ムルロー工房の版画」のカタログに有名なシャガール、ピカソ、ミロらと共に採録されることとなります。ヨーロッパだけでなく、ニューヨーク、東京をはじめ各地で個展を開催し東京では吉井画廊で個展を開催。日本にも多くのファンを持っております。カトランの作品には花などの静物が鮮やかな色彩と微妙な色調によって巧みに描き出されており、静かで詩情豊かな世界が表現されているのが特徴で、多くのファンを魅了し続けております。2004年に心臓疾患の為パリ市内の自宅で死去。享年84歳でした。
マリーローランサン(1883年~1956年)はエコール・ド・パリの中でも数少ないフランスの画家です。エコール・ド・パリとは主にパリに集まった外国人芸術家集団であり、特定の流派はないが文化的・民族的背景を感じさせるものが目立ちます。
優雅な作風で「少女」を描いていることで有名なマリー ローランサンですが、絵を描き始めた当初から少女を描いていなかったそうです。
初めは、ピカソやブラックとの交流から「洗濯船(バトー・ラヴォワール)」に参加したことからその影響を受けた作風となっています。
しかし、パステル調のカラーや曲線的な形態の芸術を追求していくとキュビズムの作風と合わなくなり脱退します。
その後は独特の繊細な色彩や憂いを帯びた少女を描きエコール・ド・パリでも経済的に自立した作家となっていきました。
しかし、第一次世界大戦や結婚したことによる亡命などによって一時期、描く作品はどこか痛みを感じる作品を数は少ないですが描くようになります。
戦後にパリに戻った時には狂騒のさなかであり、マリーローランサンの描く作品は圧倒的な人気を得ることになります。
自身の名声が高まるにつれて描く作品も幸せそうに感じる作品が多くなっていきました。マリーローランサンは生涯ほとんど男性を描くことはなく、女性の美を追求した作品は日本でも人気があります。
織田廣喜(1914年-2012年)は福岡県出身の「少女」をモチーフにした作品が有名な画家としてご存知の方も多いのではないかと思います。
幼い頃から父の持っていた蔵書に載っていたゴッホの絵を描くことが好きだった織田廣喜ですが、碓井尋常高等小学校高等科を卒業すると病気を患ってしまった父に代わり、家計を助ける為に陶器の絵付けなどをして働きます。日本美術学校絵画科に入学後は藤田嗣治や林武に師事します。その後は数々の賞を受賞し、1992年に勲四等瑞宝章を受章しました。
織田廣喜は前述の通り「少女」を題材とした作品を主に製作していることで有名です。中でも「赤い帽子」を被っている少女をモチーフにした作品が人気の高くなっております。
デフォルメされた女性像が特徴的で幻想的な作品を多く生み出したのは現実世界をそのまま描くのではなく、「想像し嘘をつく」といったことが絵の製作には必要であると考えた織田廣喜ならではのものです。