倉島重友は1944年、長野県に生まれの日本画家です。1971年、東京藝術大学大学院美術研究科を修了します。1971年、再興第56回院展で初入選したのち平山郁夫に師事します。1974年には高松塚古墳壁画模写に参加します。2003年に「穣」で第9回足立美術館賞を受賞します。翌年、院展同人に推挙されます。その間、広島市立大学教授となり後進の育成にも尽力します。2004年には日本美術院同人となり、現在も院展の中心画家として第一線で活躍しています。倉島重友は自然とともに生きる人々を、感情豊かに描き出しています。
緑和堂では、倉島重友の作品を強化買取中でございます。売却を検討されたい作品がございましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。
後藤順一は1948年生まれで京都府出身の日本画家です。少年の頃から画家を志し、京都市立芸術大学に入学します。日本画を専攻して大学院まで進み、1973年に卒業します。その翌々年には沖縄海洋博に作品を発表し、作家デビューを飾ります。後藤順一の作品は自然の風物を繊細に描く画風が特徴的で、特に花鳥画の美しさには高く評価されています。京都市で開催される絵画博覧会に作品を出品するなどしています。現在に至るまで活躍を続け、後藤順一は院展で優れた成績を残していることから「特待」の地位を得ています。
緑和堂では、後藤順一の作品を買取しています。売却を検討されたい作品がございましたら、お気軽にお問い合わせください。
松尾敏男は「花の松尾敏男」を称された花鳥画にて有名な作品が多い日本画家です。
1926年に長崎県に生まれた松尾敏男は東京府立第六中学校に在学中は体操選手であったが画家を志したことから同じく花鳥画に優れた作品を多く残した堅山南風に師事します。その後は戦後の新進気鋭の日本画家として画業をスタートし、1949年に「埴輪」が院展にて初入選したことを皮切りに数々の賞を受賞していきます。40代半ばまでは自身の戦争体験に基づく厳しい生活環境を題材にした作品を多く残しておりますが、その後は日本画の伝統的な魅力を再認識し、写生を重要視した作品を手掛けていくようになりました。
1962年に院展にて初の奨励賞を受賞し、後に日本芸術院会員や日本美術院理事長といった経歴を経て2012年に文化勲章を受章しました。
松尾敏男の作品は様々なテーマに沿った作品を制作したことといえるでしょう。花鳥画が特に人気がありますがインド、中国、ヨーロッパなどの海外の取材を題材にした作品や、肖像画や動物画なども制作することで自身の感動したものを都度作品に残していったものは今も人々の心を魅了していることでしょう。
大分県日田市豆田町に生まれの日本画家・岩沢重夫は幼少の頃は、学校に行く前に魚釣りのに行くほど川が大好きな少年でした。晩年の水辺に緑の山や季節の花を描いた小品を制作しましたが、それは全て魚釣りをするときの視点に基づいています。京都市立美術専門学校卒業後、京都画壇の巨匠・堂本印象に師事し、日展を主な作品発表の場として活躍しました。岩沢重夫の画業の初期より、風景画の新たな可能性を探る創作活動を続け、心に響く風景との出会いを求め、全国各地を巡りながらスケッチを重ねました。大自然の雄大な景観や、四季折々の光景をみずみずしい感覚とさわやかなその作品は、今日もなお多くの人々を魅了しています。
下保昭は昭和から平成時代の日本画家です。下保昭は、昭和2年に富山県砺波市で誕生しており、昭和24年には西山翠嶂の師事し、さらには日展で活躍しています。また、昭和45年には日展常議員に選定されており、昭和57年には日本芸術大賞を受賞、昭和60年には芸術選奨文部大臣賞も受賞しています。そして、昭和63年には日展を脱会し、水墨画に専念しています。平成元年には、京都市の功労者として認められ、平成10年には来た日本新聞文化賞を受賞後、平成12年には京都府文化特別功労者に認定されました。平成14年には、旭日小綬章を受賞しています。下保昭の作品は、自然をモチーフにしたものが多く、水墨画を得意としており、作品も水墨画が多く、山水を主題とする水墨画を追及していました。
萬鉄五郎は、大正~昭和初期の洋画家です。
岩手県花巻市出身です。高等小学校の頃より、その非凡な才能は知られていました。1907年、東京美術学校(現・東京藝術大学)に首席で入学します。美術学校の卒業制作は日本におけるフォーヴィスムの先駆として知られる「裸体美人」です。
萬は、その頃日本に紹介されつつあったポスト印象派やフォーヴィスムの絵画にいち早く共鳴しました。特にフィンセント・ファン・ゴッホやアンリ・マティスらの影響が顕著でした。黒田清輝らのアカデミックな画風が支配的であった日本洋画界に、当時の前衛絵画であったフォーヴィスムを導入した先駆者として萬の功績は大きく、晩年は日本画の制作や南画の研究も行っておりました。