ポール・ゴーギャンは、ポスト印象派を代表的する画家として知られています。
サマセット・モームの代表作『月と六ペンス』の主人公のモデルになりました。
ゴーギャンは、1848年にフランスにて生まれました。
1851年、父親が職を失ったことをきっかけに一家はペルーに移ります。
彼が7歳になった時、再びフランスへ戻りました。
商船の水先人見習いとして働き、兵役でフランス海軍に入隊しました。
その後、パリ証券取引所での職を得て、株式仲買人として働きながら絵を描き始めます。
画業に専念すると決めてからは、様々な画家と交流しながら自身のスタイルを模索していきました。
初期はルノワールやモネのような筆致でしたが、徐々に内面を反映した作風へと変わっています。
1891年、ヨーロッパの文明やしきたりから離れようとタヒチへ渡ります。
以降、さまざまな苦労を重ねながらも生涯にわたって絵を描き続けました。
ゴーギャンは、タヒチの女性を中心に、島の文化や宗教観を平面的な表現と南国らしい豊かな色彩で描きました。
また、エミール・ベルナールらと共に「総合主義」を提唱しています。
代表作には『タヒチの女(浜辺にて)』『黄色いキリスト』『説教あとの風景』などがあります。
1945年神奈川県横浜市で生まれた鈴木は、武蔵野美術大学に入学後、第一美術展奨励賞等を経てフランスに留学します。
1903年に創設され、現在も多くの芸術家が目指す芸術史でも歴史ある展覧会サロン・ドートンヌや1667年から開催されている世界最古の公募展ル・サロンへの出品など、ヨーロッパを中心に開催されている名だたる展覧会に出品を続けていました。
国内でも全国の百貨店や画廊で個展を積極的に開催しており、その人気は国内外問わず高いものとなっておりました。
主に油彩画で作品を手掛けており、色とりどりの鮮やかな色彩と自然や日常の風景画をモチーフにしたユニークで遊び心のあるデザインが特徴的です。
2018年に逝去するも、今現在でもその人気は衰えておらず、市場に作品が出品されると注目数が高い傾向にあります。
徳島県阿南市出身で、日本を代表する現代木版画家です。
数多くの賞を受賞し、1989年には紫綬褒章を受章、2004年には日本美術家連盟理事長も務め、更に多摩美術大学で教授も歴任しており、長年に渡り芸術分野において幅広い活躍をしている作家です。
その人気は国内だけではなく、ニューヨーク近代美術館・ポーランド国立美術館・スイス国立美術館等、世界各国の美術館に作品が所蔵されています。
透明感と重厚感を併せ持つ、鮮やかさもあり奥深さも感じることができる色彩表現が特徴的で、水性と油性絵具を木版に重ねていき、繊細ある色遣いが表現される作品は、インパクトもあり日本らしさも感じることができます。
倉田 冨美は、1937年に京都で生まれた日本画家です。
日本画家の丸山石根に師事し、日輝展では金賞2回、特選1回を受賞しています。
人物画を得意とし、舞妓を題材に多数の作品を手掛けました。
舞妓は15歳~20歳頃の芸子見習いの女性を指します。
まだあどけなさの残る少女たちが芸を覚え、少しずつ成長していく姿は美しさとともに奥ゆかしい日本の美意識が感じられます。
舞妓が芸妓になることを「衿替」を呼び、その直前の約2週間は「先笄」という髪型になります。この期間だけ見られる貴重な姿を描いた作品は、人気作のひとつとなっています。
また、表情だけでなく、年数で変化していく髪型や着物、化粧などに目を向けるとまた違った視点で楽しむことができます。
京都の風情と伝統を映し出す倉田の作品は、女性を通して静かに語りかけてくるようで、雅な空気感を繊細に表現する作風は高く評価されています。
代表作には『先笄』『舞妓』などがあります。
ギュスターヴ・カイユボットは、フランスの画家・絵画収集家です。
都市の風俗を独自の構図で描き、写実主義的な傾向が強い印象派の画家として認識されています。
パリの上流階級の家庭に生まれ、法学部を卒業後に弁護士免許を取得。
普仏戦争での従軍を経験したのち、画塾に通って絵を学び始めました。
画塾でジャン・ベローと知り合い、アンリ・ルアールを通じてエドガー・ドガ、ジュゼッペ・デ・ニッティスなどと交流を深めました。
1875年、サロン・ド・パリに『床削り』を出品するも落選してしまいます。
この頃から友人の絵を買うようになり、収集家としての面を見せ始めました。
第2回~第7回まで印象派展に参加し、第3回では資金調達や宣伝などを行い、展示委員も務めています。
批判されながらも展示会の存続に尽力しました。
1894年、園芸作業中の体調不良により45歳の若さで亡くなりました。
生前は、収集家というイメージが強くあまり知名度はありませんでしたが、近年画家として高い評価を得ています。
代表作には『パリの通り、雨』『ヨーロッパ橋』『ピアノを弾く若い男』などがあります。
フィンセント・ファン・ゴッホは、ポスト印象派を代表する画家です。
1853年、ゴッホはオランダにて牧師の家に生まれました。
一度は聖職者を志しましたが挫折し、弟の援助を受けながら画家としての人生を歩み始めます。
はじめの頃は農民の貧しい生活を題材にした、暗い作品を描いていました。
パリへ移ると、印象派の影響を受けた明るい色調の作品へと変化していきます。
1888年、弟の働きかけでポール・ゴーギャンとの共同生活を始めましたが、価値観の違いにより関係は悪化。
2ヶ月ほどでこの生活は終わりを迎えました。
また、この頃ゴッホは自身の耳を切り落とし、娼館に勤める女性に渡しています。
この一件は大ニュースとなり、世間を驚かせました。
その後、持病の発作により入退院を繰り返しながらも多くの作品を手掛けました。
しかし、1890年に麦畑の中で自らを銃で撃ち、2日後に亡くなっています。
ゴッホは十数年の活動期間で約2000点もの作品を手掛けましたが、生前に売れたのは1枚の絵だけでした。
死後に高く評価されるようになり『医師ガシェの肖像』という作品は、約124億円で落札されています。
彼は人生を絵に捧げ、情熱的に生きた孤高の画家として高く評価され続けています。
代表作には『ひまわり』『夜のカフェテラス』『自画像』などがあります。