清課堂

清課堂(せいかどう)は、1838年(天保9年)に京都で創業した老舗の金属工芸工房です。
創業以来、錫(すず)を中心に銀や銅などの金属を用いた工芸品を製作しており、神社仏閣の荘厳品や宮中の御用達品、煎茶道具など、伝統的な品々を手がけてきました。

現在は七代目当主・山中源兵衛氏が経営を担い、伝統技術を継承しつつ、現代のライフスタイルに合った製品づくりにも取り組んでいます。例えば、古い火鉢を錫で覆い、シャンパンクーラーとして再生するなど、伝統と革新を融合させた商品開発も積極的に行っています。

清課堂の製品は、使い込むほどに風合いが増し、独特の「侘び寂び」を感じさせる点が魅力です。特に錫製の酒器は、お酒の味をまろやかにすると評判で、現在でも贈り物として多くの支持を得ています。

大森 金長

大森金長は武者小路千家にて厚く抱えられた錺師で、多くの茶道具を制作しました。

錺師という見慣れない言葉。「かざりし」と読み、金工細工職人を指します。
金属加工の歴史は古く、日本においては出土品などから弥生時代にまで遡ることが可能です。武器や防具としてだけではなく、装飾品としても求められたのは世界共通と言えるでしょう。

日本で生まれたこの錺師は、神社仏閣と強く結びつき、その寺社を装飾するために重用されました。平安時代には銀(しろがね)細工の技術が確立し、鎌倉から戦国時代までの動乱を経て、江戸時代に大きく花開きます。金具や建築物の飾りなどが主でしたが、装飾品の需要に伴って首飾りや耳飾りなども手掛けるようになり、金銀細工師とも呼ばれるようになりました。

茶道は多くの道具を用いる上にその歴史は古いため、御用職人とも言える職人がいます。そんな中の一人として、大森金長は武者小路千家にて腕を大いに振るいました。金長は銀瓶などの銀製品はもちろん、銅の花器などの銅製品など幅広く作品を制作しております。
現在でもその作品には多くのファンがおり、名工の一人と言えるでしょう。

帖佐 美行

帖佐美行(ちょうさ よしゆき)は、鹿児島県出身の金工作家です。

1915年の鹿児島県薩摩郡に生まれ、13歳の時に上京します。それから彫金家の小林照雲に師事、25歳頃からは後の人間国宝・海野清に師事し、彫金の腕を磨きました。

1942年の新文展入選を皮切に各展で受賞を重ねるようになり、54年、55年の二年連続で日展特選受賞するなど、文展・日展を中心に活躍しました。

花瓶や香炉、置物などをはじめとした彫金作品を多く制作しており、精緻な彫金技術によって形作られた器や文様が特徴的です。鳥をはじめとした動物や自然物をモチーフとして、生命や自然など超然的なテーマが表現されます。

器はもちろんとして、1950年代の後半あたりからは壁面装飾用の大型パネルの制作も行っており、緻密で細やかだった彫金の世界を大規模な壁面装飾へと広げたことで、大きな注目を集めることとなりました。その知名度や世界観から、今なお多くの愛好家に親しまれております。

帖佐美行作品で気になるお品物をお持ちでしたら、是非一度緑和堂までお問い合わせくださいませ。

服部時計店

服部時計店は、時計事業で著名なセイコー(SEIKO)の前身となる企業です。

創業は1881年で、当時21歳だった服部金太郎が輸入時計・宝飾品の販売店として銀座に立ち上げました。服部時計店は取引先の、特に外国商館から高い評判を得たこともあり、すぐに目覚ましい躍進を遂げます。

1892年には国産クロックの製造販売を開始。まもなくして銀座四丁目の表通りに移転し、現在まで続く銀座の象徴「時計塔」が建てられました。その後1920年代に一度改築され、現在の銀座で見られるものは二代目の時計塔となります。

現在のセイコーのイメージからすれば意外かもしれませんが、服部時計店は時計や宝飾品の他、多く銀製品も手掛けておりました。銀瓶や盃にはじまり、花瓶、香炉、純銀像など仔細は尽きませんが、服部時計店の製品ジャンルとして大きな位置におりました。

製品には「服部製」の文字が彫られており、判別のしやすいものが多いです。お手持ちの銀製品に「服部製」の文字がありましたら、それは服部時計店製のものの可能性が高いでしょう。

関 武比古

関武比古は、三代続く銀細工師です。

初代・関武比古は1908年の千葉県勝浦に生まれ、上京を機に打物の名匠である田島勝之師に師事し、銀細工を修行しました。その後、さらに香坂宗廣師のもとで技術を磨き、28歳で独立しました。数年後には太平洋戦争に動員されますが、1948年から再び活発な制作を開始しました。

二代・関武比古は、初代の長男として1936年に生まれました。中学生の頃から父のもとで技術の研鑽に励み、1963年には父と共に「関工芸株式会社」を設立します。現在は三代・武比古監修の下、貴金属美術の伝統工芸品を製作を行っております。
「貴金属美術工芸品を、ひろく人々に」を標語として、伝統工芸の技法に、新しい技術をとり入れて制作されたいくつもの作品は、長らく人々から親しまれています。

 

尚美堂

尚美堂は、大阪淀屋橋にて1900年より続いている美術工芸品の製造・販売事業会社です。

初代となる江藤栄吉郎は、23歳の頃に大阪淀屋橋の南に「尚美堂」を開業しました。創業当初から美術工芸品の他、時計や貴金属など多角的な展開をしており、業界の発展に深く貢献してきました。

創業当時からオリジナル品として扱っているもので『純銀青海盆』があり、製造工程が機械化した今でも、最大の特徴である「青海波」は職人の手で打つなど、流通だけでなく自社製品へのこだわりも感じられます。純銀青海盆をはじめ銀製品を多く制作しており、銀瓶などは今なお高い人気を持っています。

近年では宝飾品のメンテナンスや贈答品の製造・販売にも力を入れるなど、紡いできた伝統をもとにさらに枝葉を広げております。

いいものだけを愛したい、いいものだけをお勧めしたい、という尚美堂の心は伝統の中で今も育まれており、多くの人に支持を得ています。

美術品・骨董品として尚美堂作品は高い評価を得ているお品物が多いです。

池田製

池田製についての文献資料が少ないため、詳細は分かりませんが、池田製の作品は金工作品の中でも高い技術が注目されており、素材価値以上の高値で取引されています。 江戸時代末期、戦の少ない時代が永く続き、刀は武具としてではなく美 …

村田宏

1936年に富山県高岡市で生まれました。 その後、日展評議員の村田吉生氏に師事し原型(ペンモールド)を修業、1958年には高岡市展高岡市長賞受賞、日展に初入選(以後6回入選)、1964年には日本現代工芸展に初入選(以後数 …

長谷川 一望斎

長谷川一望斎は尾張徳川家の御用鍔師の家系です。 鍔とは、刀装具の一種で、刀身と柄(つか)の間に装着されている金具の事です。 刀の重心を調節する役割もあります。江戸時代末期、戦の少ない時代が永く続き、刀は武具としてではなく …

大淵 光則

大淵 光則は富山県出身の金工作家です。非常に細かい部分まで表現された作品が多く、発表のたびに驚嘆の渦を巻き起こしてきました。 大淵光則は1932年に富山県に生まれます。1948年に金工業界の名門である早川徳太郎氏に師事し …

金谷五郎三郎

金谷五郎三郎さんは、京都を代表する錺鋳物師で、代々同名を世襲しております。 茶道具や花器の製作において知られ、近年では装身具や建築装飾等の分野も手がけるなど、伝統の技に新たな活用を見出しています。 作品の特徴は、銀や銅、 …

田中 鐵邦

田中鐵邦は日本の金工師、打物師。 「てつくに」または(てっぽう)とも呼ばれています。 田中鐵邦についての文献的な資料が少ないため、詳しい詳細は分かりませんが、田中鐵邦の作品は高い技術面でも注目されており、高額で取引されて …

一楽斎

一楽斎は日本の明治時代の金工師です。 明治時代の金工師の作品は技術面も美しさも最高峰と称され、今も尚、市場では高値で取引されております。 江戸時代末期、戦の少ない時代が永く続き、刀は武具としてではなく美術品としての価値を …

亀文堂

亀文堂(きぶんどう)とは滋賀県の湖東で主に鉄瓶を製造していた鉄瓶屋です。波多野正平によって創業されました。昭和20年代まで4代に亘って引き継がれていましたが、高級な鉄瓶の需要がなくなってきたことにより、終わりをつげます。 …

蓮田 修吾郎

昭和から平成にかけて活躍し、白銅や青銅によるレリーフなどの建築空間を飾る手法を開発するなどをして金工の近代化に尽力した蓮田修吾郎という方をご存知でしょうか。 1915年に石川県に生まれた蓮田修吾郎は東京美術学校工芸科鋳金 …

奥山 峰石

奥山峰石は1995年に鍛金の技術で国の重要無形文化財に認定された金工師です。 1937年に山形県に生まれた奥山峰石は、少年時代は芸能界に入りたいと思っておりましたが、日々の生活の為に洋食器を作る銀器職人である笠原宗峰に弟 …

中川 衛

中川衛は加賀象嵌に新しいスタイルを生み出し、話題となった金工師です。「彫金」にて国の重要無形文化財にも認定されております。 中川は1947年、石川県金沢市に生まれます。金沢美術工芸大学産業美術学科を卒業した後、大阪の松下 …

中川 浄益

中川浄益(1559~2008年)は、金物、金工品を得意とした千家十職(金物師)の一人です。 初代である紹益は、当初、武具や鎧などの製作をしていたが、千利休の依頼をきっかけに茶道具製品の製作を開始したと言われております。 …

竹影堂 榮眞(栄真)

竹影堂 榮眞(ちくえいどう えいしん)とは、寛政時代から約200年以上の歴史を持つ、京錺(きょうかざり)、金工品を製作する京都を代表する有名工房です。 栄真(榮眞)という屋号は、竹影堂の四代目竹次郎の時に、当時の有栖川宮 …

鹿島 一谷

鹿島一谷は、日本を代表する金工作家であり、『彫金』保持者の人間国宝である。 明治31年(1898年)に東京都下谷(現在の台東区)の金工一家に長男として生まれる。 祖父である一谷斎光敬、父の一谷光敬に布目象嵌を学び、後藤一 …

井尾 建二

1945年香川県高松市に井尾建二は、金工家である井尾敏夫の次男として生まれました。 大学時代に父から錬金・彫金の技術を学びます。 1971年には伝統工芸新作展に初入選しました。 以降、連続出品をするとともに全国各地で個展 …

秦 蔵六

「秦蔵六」は日本を代表する鋳金家の名です。 当代で六代目となります。 「秦蔵六」の名は江戸の末期から代々、伝統の鋳金技法と共に継承されてきました。 初代蔵六は文政6年(1823年)に当時の山城国(京都府)に生まれ。 「二 …

平田 重光

平田重光は明治から大正期にかけて活躍した金工師です。 その高い技量から、皇室への献上品も数多く制作しており、献上品の中でも自分の名と工房名を刻むことを許された数少ない人物です。 皇室御用金工師の名にふさわしく、その作品は …