前川 泰山

川 泰山は珊瑚彫刻界を代表する作家です。

革新的な彫刻技術を取り入れ、従来の日本の珊瑚彫刻の伝統を覆す作品スタイルが注目されました。特に「寄木彫り」と呼ばれる手法(複数の珊瑚を組み合わせて立体表現をする技術)を開発し、希少な珊瑚を有効活用しつつ、表現の自由度を高めた点が高く評価されています。

長年にわたって創作活動を続け、「現代の名工」や黄綬褒章の受章など、多くの栄誉に輝いています。

また、ユーモアあるモチーフ(たとえば、動物、食べ物、日常の題材)を主体とした作品づくりにも取り組み、サンゴ彫刻の表現の幅を広げたパイオニアとして知られます。

内島 市平

青鳳(せいほう)としても名が知られている内島市平は、彫金家として今現在でも注目度が高い作家です。

1881年富山県高岡市出身の内島市平は、細川松次郎氏に彫金術を学び日展に何度も入選を果たし、若くしてその名を知られるようになります。1928年には高岡工芸学校教諭として務めていました。更には国会議事堂銅扉装飾金具仕上げに従事したり、ベルギー万国博覧会にて名誉大賞を受賞、晩年は陶器の製作も行うなど、活躍の場を広く展開していました。

主な作品は銀を用いた香炉や置物です。
美しく輝く銀ならではの特性を生かし、高度で繊細な技術によって生み出されるデザインは、先端にまでこだわり抜かれ、圧倒的な表現力を備えているのが特徴です。

 

HANSEN BRIAR ハンセンブライヤー

デンマークのパイプ作家ハンセン氏から生まれたハンドメイドのパイプブランドです。

1910年デンマークで誕生、1960年代には数多くのハンドメイドパイプを制作します。基本独学で制作されたそのほとんどのパイプには「HANSEN BRIAR」というブランド刻印があり、その存在感を示しています。

特徴は、重厚感が満ちた木彫りの深みある味わいと、視覚的にも楽しむことができるパイプで、数多く展開してきました。

1970年代半ばにパイプ作家として引退している為、現在では比較的入手困難なパイプブランドとなっています。

アルフレッド・シスレー

アルフレッド・シスレーは、風景画で知られる印象派の画家です。

1839年、シスレーはフランス・パリにて裕福な家庭に生まれました。
18歳でロンドンに移りビジネスを学びますが、美術への強い興味から風景画に触れるようになります。
数年後、ビジネスの勉強を辞めることにしたシスレーは、画家を志します。
パリへ戻るとシャルル・グレールのアトリエで学びはじめ、クロード・モネピエール=オーギュスト・ルノワールらと出会いました。

当時は古典的な絵画が主流で、見たものをそのまま描くという様式は不人気でした。
このような背景から、シスレーの描いた作品がサロンで入選を果たした際も、あまり評価されませんでした。

1870年、普仏戦争の影響で父親が破産し、絵で生計を立てなければならなくなりました。
しかし、シスレーの作品はなかなか売れず、それから生涯にわたり困窮した中で生活することになります。

そして1899年、モレ=シュル=ロワンにて喉頭癌のため亡くなりました。

シスレーの900点近い油彩作品の大部分はパリ周辺の風景を描いたもので、テイストを崩すことなく一貫して風景画を描き続けました。
静かな自然の美しさや穏やかな時の流れを繊細に表現しており、今では高い評価を得ています。

代表作には『モレの教会』『モレ・シュル・ロワン』『積み藁』などがあります。

岡崎雪声

岡崎雪声は、京都府伏見区で釜師・岡崎貞甫の子として生まれました。本名は庄次郎です。大阪で釜師の修業を積んだ後、21歳で上京し、鋳金家の鈴木政吉に師事しました。

明治22年(1889年)には、その年のパリ万国博覧会に出品した作品が2等賞を受賞し、その名を高めるきっかけとなりましたその後、岡倉覚三(岡倉天心)と知己を得て、明治23年(1890年)に東京美術学校(現・東京藝術大学)の鋳金科教師となり、明治29年(1896年)には教授に昇進しました。

岡崎は、分解鋳造法による大型鋳造を得意とし、銅像や建築装飾などを手がけました。代表作には、上野公園の「西郷隆盛像」や皇居前広場の「楠木正成像」などがあります。また、1903年には鋳金家協会の設立に尽力し、日本の鋳金界の発展に大きく貢献しました。

引間 二郎

引間二郎は北海道八雲町出身で、元々は農家として従事していましたが、不慮の交通事故により熊彫師に転向します。

「八雲」とは、熊彫発祥の地とも言われている八雲町からきています。1931年頃から品評会で評価の高かった木彫りの熊に対して目視で分かるよう、足の裏に「八雲」の焼印を入れ販売され始めたところから、「八雲の熊彫」という一種のブランドが確立されました。

熊彫は主に2種類の彫り方があります。かなりデフォルメが効いた柔らかさを感じつつもメリハリのある「荒彫り」と、日本画をモチーフにしたと言われている優雅さある毛の流れを繊細に表現する「毛彫り」です。引間はそのどちらも手掛けており、奥深さも垣間見える野性味あふれる作風が特徴的です。

大木 平蔵

大木平蔵(おおき へいぞう)は、京都・丸平大木人形店の伝統的な当主が襲名する名跡であり、明和年間から続く老舗京人形司における最高峰の人形作家です。 明和年間(約250年前)に創業され、現在も七代目まで続く伝統の技術と美意 …

北野 明信

北野 明信(きたの あきのぶ)は、大阪市出身で1959年生まれの洋画家です。1987年に市展、1989年に県展に入選し、1991年には大阪で初の個展を開催しました。その後も個展やグループ展を多数開催し、フランス・パリの国 …

清課堂

清課堂(せいかどう)は、1838年(天保9年)に京都で創業した老舗の金属工芸工房です。 創業以来、錫(すず)を中心に銀や銅などの金属を用いた工芸品を製作しており、神社仏閣の荘厳品や宮中の御用達品、煎茶道具など、伝統的な品 …

牧野 宗則

牧野宗則は、1940年に静岡県静岡市で生まれた木版画家です。伝統的な浮世絵の技術と、現代的な創作木版画の精神を融合させた、独自の美の世界を築いてきました。 彼の作品は、日本の自然や四季の移ろいをテーマにしたものが多く、月 …

田中 暢枝

1934年山口県出身の田中暢枝は、加藤龍雄に師事し伝統工芸品である創作こけしの制作を開始します。 作品1点に対する製作技量と表情や色の表現力が圧倒的で、衣類を身に着けている作品は細密なデザイン力がより高く、製作されるサイ …

片岡 鶴太郎

東京都出身の片岡鶴太郎は、俳優・タレント・声優など多方面で活躍する一方、画家・書家としての顔も持ち、文化人としても幅広い活動を続けています。 そんな片岡が画家として活動を始めたのは1990年代のこと。きっかけは、早朝に見 …

北村 辰夫(辰吉)

1952年に石川県輪島市で誕生した北村辰吉は、1973年頃に輪島漆器の製作を行うようになると、現代の技法に限らず古典の技法の研究も行い、技術力の向上を図りました。1985年には北村工房を設立し、着実に活躍の幅を広げていき …

TSUGE (柘製作所) 

高級ハンドパイプを制作・販売を行っている、日本を代表する喫煙具ブランドの一つとして近年注目度が高まってます。 柘製作所は、1936年に柘恭一郎によって創業されました。 元々は幼少期に象牙のシガレットホルダーの製作している …

茶平 一斎

初代一斎が「一斎」の号を茶道宗家宗偏流家元より受け、現在三代目と、輪島初の茶道具専門の塗師として今でも時代と高い技術力が受け継がれています。 特徴的なのが、蒔絵と金彩の豪華さは勿論ですが、そこから見える細かな技術が行き渡 …

定岡 宏

1946年、愛媛県にて、画家・定岡玲艸子(れいそうし)を父に持ち誕生した洋画家で、親子二代にわたって活躍しました。主にヨーロッパ、特にフランス・パリの風景を題材に作品を描き、「父子二人展」などの展覧会も開催しています。 …

曾我 蕭白

曾我 蕭白は、江戸時代中期に活躍した絵師です。 独特で強烈な画風が特徴的で、「奇想の絵師」と呼ばれました。 彼に関する詳細な資料はほとんど残されておらず、その生涯は不明な点が多いです。 1730年に京都の商家に次男として …

周徳

周徳は、雪舟の優秀な弟子であり、雪舟流を正統に受け継いだ画僧です。 惟馨(いけい)と号し、山水画や人物画を得意としました。 周徳の生没年については明らかにされておらず、遺された作品などから16世紀初頭に活動していたとされ …

小堀 遠州

小堀 遠州は、江戸時代初期に活躍した茶人・作庭家・建築家です。 「遠州」という名前は通称であり、本名は「小堀 政一」です。 1579年、近江国(現在の滋賀県)に生まれた遠州は、父親から英才教育を受けて育ちました。 159 …

仙厓 義梵

仙厓 義梵は、脱力感のあるユニークな禅画で知られる禅僧です。 1750年、仙厓は美濃(現在の岐阜県)に貧しい農民の子として生まれました。11歳で出家得度し、「仙厓義梵」の名を与えられます。 40歳で聖福寺の住職となり、6 …

神崎 紫峰

1942年、滋賀県信楽町に生まれた神崎紫峰は、関西大学法学部に進学し、当初は法曹界を目指していました。しかし、卒業後に陶芸の道へ進むことを決意します。 作品を築き上げていく過程では多くの苦闘がありましたが、やがて桃山時代 …