松井ヨシアキさんについてご紹介させていただきます。
1947年に福井県福井市にて松井さんはお生まれになられました。
松井さんの詳細は多くが語られておりませんが、洋画家としての芸術性の高さは誰もが認めるほど素晴らしく、近年評価が高くなってきております。
25歳で初個展を開催以降、37歳で第19回昭和会展に出品、昭和会賞を受賞。そこから怒涛のように40を超える個展が開催され、多くの方に松井さんの魅力が伝えられていきました。
そんな松井さんは1995年、パリで個展を開催する機会に恵まれました。それが松井さんの転機となったのでしょうか。以来、パリを毎年のように訪れ、数カ月過ごすというような生活をされ、それが松井さんの絵の大きなテーマとなっていきました。
松井さんの作品は街角の風景やそこにいる人々などを題材にしていることが多く、実際に松井さんが散歩をしてその通りを歩いたり、素敵な人々と出会ったのだと想像できるような作品が多いのが特徴です。さらに、絵の具に大理石を混ぜて厚塗りをする技法によって、少しだけ煌びやかに、そして絵柄も相まってファンタジックな作風になっているところが、多くの人の印象に残るのではないでしょうか。
すでに注目されている作家ですが、評価も年々上がっているため今後ますます人気が出てくると思われます。
ロバート・ワイランドは国際的に有名な海洋生物アーティストです。画家、彫刻、作家、写真家、慈善家、映画製作者としても活躍している経歴を持っています。
海洋生物アーティスト(マリンアーティスト)といえば日本だとラッセンが人気ですが、世界的にはラッセンと並ぶほどの人気があり、マリンアーティストの第一人者とも呼ばれています。
ワイランドは、19歳の時に世界中の100カ所に壁画を描くという壮大な挑戦を始めました。1981年から始め、30年近い年月をかけて100枚を超えるマリンアートの壁画を完成させ、プロジェクトを達成しました。このプロジェクトは「ホエーリング ウォールズ」という名がつき、史上最大の公共芸術プロジェクトの 1 つとなっています。この世界的プロジェクトで描かれた作品は、年間で推定10 億人が鑑賞し続けています。
その他にもカリフォルニア州ロングビーチのコンベンションセンターに描いた巨大な海洋壁画は、3エーカー(12140㎡)以上の大きさでギネス世界記録に登録されるなど、多くの活動を行っています。
ワイランドのこれらの活動は全て自然保護の為の行動で、環境問題への関心を高めるための活動として取り組んでいます。美術や芸術を通して地球の大切さなどを訴え続けています。
渡辺正雄は1917年、福島県船引町に生まれました。
宮城県白石矩福岡八宮弥治郎地区を産地とする「弥治郎こけし」の佐藤辰雄に師事し、木地の技術を学びんだこけし職人です。
「弥治郎こけし」の一番の特徴は、華やかな衣装を身に着けている点です。蝶や花など女性らしいモチーフの絵柄やカラフルな彩色が施され、頭頂部にはろくろ線によるベレー帽のような模様が描かれます。
こけしには4種類あり、大きく分類すると「伝統こけし」「新型こけし」「創作こけし」「木地玩具」に分けられ、そのうち伝統こけしは、産地や工人ごとに特徴がありさらに10~12種類に細分化されます。
「弥治郎こけし」は伝統こけしに属しますが、渡辺正雄は創作こけしや新型こけしも多く制作しました。
また、こけし作家として数多くの賞を受賞しています。主な受賞歴として、1963年に全国こけし人形コンクールで内閣総理大臣賞を受賞、そして1971年には全日本こけしコンクール内閣総理大臣賞を受賞しました。
旧日本軍は、第二次世界大戦の敗戦により解体された日本の防衛組織であり、天皇総帥のもとにあった陸軍・海軍を指します。
前身は明治新政府の富国強兵政策において、明治天皇の親衛を名目に構成された「御親兵」という常備軍です。1870年代に陸軍省、海軍省がそれまでの兵部省から独立するなど、国軍として整い始めました。
軍の整備は外国との戦争に備えるためであり、その後日清戦争や日露戦争に向かってゆくこととなりました。
大正期・昭和期に入ると、軍の統帥権を巡った政府と軍部の対立が起こりました。法の上では両者は対等の地位として定められていましたが、やがて諸要因から軍部が政治に及ぼす力は大きなものとなっていきました。
1931年の満州事変による中国侵略を契機に日本は国際的孤立を深め、中国への影響を強めていきます。それはやがて1937年の盧溝橋事件へと繋がり、日中戦争へ発展します。
その戦火をさらに広める形で1941年から太平洋戦争が始まります。国民も多く徴兵される中、太平洋全域で戦火が続き、1945年にポツダム宣言を受諾。戦争が終結しました。同年には陸軍・海軍が解体されます。
1954年に自衛隊と防衛省が設置され、45年までの陸海軍は旧軍、旧日本軍などと称されるようになりました。
旧日本軍の軍服や勲章は、現在ではコレクターの間で骨董的な人気を獲得しております。
ロイヤルウースター(Royal Worcester)は、1751年に創業したイギリスの歴史のある陶磁器メーカーです。
ウィリアム・デイヴィスが創業者となり、イングランドの中西部に位置するウースター州のセヴァーン川のほとりに開業されました。
1752年に、ソープストーン(硬度が低く石鹸のような質感をもった天然石)を素地に混ぜた軟質磁器を作る「ブリストル工房」を合併し、薄い食器を製造する技術を手に入れ、規模を拡大しました。1789年にはイギリスの陶磁器会社として初めてとなるロイヤルワラントを賜り、晴れて英国王室御用達の窯となりました。
その後は中国製品との価格競争により財政難に陥りますが、フランス旅行から戻ったデイヴィスの息子たちがフランス風のレリーフ技術を持ち込み、イギリスの田園風景やネオ・ロココ調の様式で財政を立て直していきます。
19世紀からは、いくつもの工場を合併し事業を拡大するとともに、新しい挑戦を続けさらなる成長を遂げていきました。その後20世紀に入ってからは海外製品との競争にさらされ、スポードと経営統合します。2009年にはポートメリオンの傘下となっております。
中村六郎は、岡山県備前市出身の備前焼作家です。
1914年に生まれ、2004年に逝去されました。その間には、数多くの優れた作品を残されています。
自身の父親が有名陶芸家と親しく、その影響で陶芸家を志すようになりました。終戦後の1945年よりのちの人間国宝作家・金重陶陽に師事し、研鑽を積みます。そして1961年には「六郎窯」を築窯し独立します。その後は日本現代陶芸展をはじめ様々な展覧会で受賞され、1986年には伝統工芸士に認定されております。
大酒飲みであった六郎は、酒器作りの名人として知られています。一日で一升瓶を空にし、空けた一升瓶は六郎窯の入り口に陳列され、多い時には何百本という数になっていたそうです。
そんなお酒好きだからこそ、酒器制作には並々ならぬ拘りが発揮されています。飲み手におさまりやすい造形や扱いやすい薄い作り、一方で見栄えの良い緋色など、実用性と厳かな美しさを備えた作品たちは今でも多くのコレクターに愛されております。