S.Bang COPENHAGEN バング・コペンハーゲン

S.Bang COPENHAGENは、デンマーク・コペンハーゲンにあるパイプ工房です。

創業者であるスヴェント・バングは、1941年にパイプやタバコを扱う商店を開業しました。バング自身はごく少数のパイプしか製作しておらず、主に経営者として工房運営に携わっていたことで知られています。
1968年にタバコ店に併設して「S.Bang COPENHAGEN」の工房を設立しました。
以後、ウルフ・ノルテンスマイヤーとペル・ハンセンの2人のパイプ職人を中心に、年間約500本程度のパイプが製造されました。。
S.Bang社のパイプは、厳選された高品質のブライヤー材を使用し、熟練された職人の手作業によって一本ずつ製作されています。その品質と仕上がりの美しさから、世界的に高い評価を受けています。

1984年にスヴェント・バングが引退し、工房はノルテンスマイヤーとハンセンに引き継がれました。これに伴い、パイプのシャフト部分にある社名の刻印は、英語表記の「S.BANG COPENHAGEN」から、デンマーク語表記の「S.BANG KOBENHAVN」の変更されたことで知られています。
また、S.Bangのパイプには製作者を示す刻印が残されています。ノルテンスマイヤー製は「UN」、ハンセン製は「PH」のモノグラム刻印が確認できます。

1970年頃からヨーロッパ向けのパイプには、グレードの刻印が施されるようになりました。
グレードは一般的にBlack blast→Tan blast→5→6→7→8→9→A→B→C→Dの順で設定されており、最上位の「D」グレードは極めて希少とされています。

さらに1990年頃からは、アメリカ輸出向けのパイプには年号2桁とシリアル2桁の4桁のコードが刻まれるようになりました。これらは全て高品質な輸出向けモデルであったため、従来のグレードの刻印は施されていません。
シリアル2桁はその年の何番目に作られたかを表します。例えば、「PH」と「9532」の刻印がある場合は、「ペル・ハンセンが1995年の32番目に製作したパイプ」であることを表しています。

このように、丁寧な手作業で作られたS.Bangの一点物のパイプは、世界中の愛好家から高い支持を集めています。

山本 広已

山本広巳は、三重県四日市市に伝わる伝統工芸 萬古焼 を、実用工芸の枠を超えた芸術作品へと昇華させた現代陶芸家の一人です。

萬古焼の代名詞ともいえる「紫泥」の魅力を極限まで追求した作品は、一切の過度な装飾を排した端正な造形でありながら、金属器を思わせるような硬質感と、手仕事ならではの柔らかな曲線美を兼ね備えています。

特筆すべきは、その圧倒的な肌合いの美しさです。厳選された良質な土を長い時間をかけて練り上げ、焼成後も丹念に磨き込むことで、シルクのように滑らかで吸い付くような独特の質感を実現しています。使い込むほどに艶が深まり、経年変化を楽しめる点も高く評価されています。

また、茶器、特に急須制作においては、注ぎ口の水切れや蓋の精密な密閉性など、実用面でも極めて完成度が高く、煎茶愛好家や海外コレクターからも高い人気を誇ります。

伝統的な萬古焼の技術を継承しながら、現代的な洗練を纏わせた山本広巳の作品は、日本の手仕事文化の美意識を体現した逸品として高い評価を受けています。

イヴァルソン

イヴァルソンは、デンマークのパイプ作家シクステン・イヴァルソン(Sixten Ivarsson)を創始者とする工房系ブランド【AN IVARSSON PRODUCT】として知られています。

シクステン・イヴァルソンは20世紀中盤において、従来の定型的な工業製パイプとは異なる「フリーハンド(自由造形)」スタイルの開祖ともいえる存在で、いわゆる“デンマーク・パイプ”の基礎を築いた人物です。

特徴は、ブロック材(特にブライヤー)の木目を最大限に活かした機能性と芸術性を融合した独創的なデザインにあります。手作業によって生まれる一点ごとに異なる彫刻的な作品性を持つ点が評価されています。

また、その技術と美学は息子のラルス・イヴァルソンをはじめとする後継世代にも継承されました。イヴァルソンのパイプは現代においてもハイエンド・コレクターズアイテムとして扱われ中古市場でも作家性の強いハンドメイドパイプとして高い評価を維持しています。

鄭 道昭

鄭道昭(てい どうしょう)は、中国南北朝時代に活躍した北魏を代表する書家・詩人です。名門の出身で、光州の刺史などの要職を歴任しました。

鄭道昭が現在の中国山東省の岩山に残した摩崖刻石は「鄭道昭刻石」などと総称されています。同時代に見る北魏の六朝楷書独特の角ばって固い筆づかいの「方筆」ではなく、南朝寄りの角が丸く柔らかい印象の「円筆」の書が特徴とされ、鋭い角を持つ一般的な北魏楷書とは異なり、ゆったりとした風格と気品を兼ね備えています。

清代の包世臣や康有為らによって再評価され、明治以降の日本の書道界にも大きな影響を与えました。

浅利 法生

浅利 法生は、日本におけるハンドメイドパイプ制作の草創期を支えたパイプ職人の一人です。1948年に生まれ、油絵画家として活動する傍ら、趣味でパイプを喫していた浅利 法生は、1974年にハンドメイドパイプの本場であるデンマークへ渡り、北欧パイプ作家の巨匠であるシクステン・イヴァルソンの弟子イエス・コノウィッチ(Jess Chonowitsch)のもとで研鑽を重ねました。

「ASARI TOKYO HAND MADE」の刻印で流通した作品が確認されており、日本製クラフトパイプ黎明期の作家として愛好家の間で高く評価されています。特にブライヤー材を用いた一点制作を得意とし、実用性と造形性を兼ね備えた作風が特徴です。

国内では戦後から喫煙文化の広がりとともに海外製パイプが普及しましたが、浅利法生は日本人職人による本格的なハンドメイドパイプ制作に取り組んだ先駆的存在の一人とされています。現在でも中古市場やオークションでは高い人気がございます。

高岡銅器

高岡銅器は、約400年前より主に富山県高岡市で生産されている金工品です。

江戸時代初期、二代目加賀藩主・前田利長公が高岡城を築いた際、城下繁栄の新たな産業政策として、7人の鋳物師や刀装彫金師を招いたことが始まりとされています。
鋳物師たちを中心に鋳造工場を富山県高岡市に作り、当初は鍋や釜等の日用品や農作業用の鍬や鋤などの実用的な鉄鋳物を製作していました。
江戸時代中期になると、生活や文化の水準が向上し、仏具や梵鐘、灯篭、大仏のような大型のものなど「唐金鋳物」が盛んに作られるようになります。特に仏具は、一般家庭にも仏壇が普及したことにより需要が高まり、高岡の鋳物産業は大きく発展しました。

「唐金鋳物」とは、主に銅に錫を加えた青銅を基本とする合金鋳物で、用途に応じて鉛などを加える場合もあります。銅合金は鉄に比べて流動性が高く、複雑で繊細な造形が可能であるとともに加工性にも優れ、美術工芸品に適した素材です。
こうした特性を生かし、美術品や仏具、花器、茶道具など、美術性の高い製品が数多く作られるようになりました。
さらに、品種の増加により、着色や象嵌、彫金といった加飾技術も発展し、装飾性豊かな工芸へと展開していきます。
刀装具に用いられていた彫金や象嵌といった精密な装飾技法が取り入れられたことで、高岡銅器は生活用品を超え、美術品としても高く評価されるようになりました。

明治時代には、パリやウィーンで開かれた万国博覧会にも出品され、高い評価を受けました。これにより世界でも知られるようになり、輸出工芸品として美術銅器は確固たる地位を確立しました。

製造工程は、原型作りから始まり、鋳型の作成、溶解した金属の鋳込み、冷却・型外しを経て、研磨や彫金、着色といった仕上げ加工が施され完成します。

それぞれの工程は専門の製作所や職人による分業制で行われており、一つの地域でその工程が完結する点は、他産地にはあまり見られない高岡銅器の大きな特徴です。

「高岡銅器」という名称ではありますが、真鍮や青銅などの銅合金以外に加え、アルミ合金・錫・鉄・金・銀など様々な金属も用途に応じて用いられています。

1975年には、国の伝統工芸品指定を受けました。
力強さと繊細さ、そしてしなやかさを併せ持つ造形は高岡銅器の大きな魅力であり、時間の経過とともに生まれる風合いの変化も楽しむことができます。

幹山 伝七

幹山伝七は、尾張瀬戸出身ながら京都で活躍した陶工で、加藤孝兵衛の第三子として生まれました。 幼名は繁次郎、のちに孝兵衛を襲名し、製陶においては「伝七」の名を用いました。 1863年(文久3年)には「幹山」または「松雲亭」 …

但野 英芳

但野 英芳(ただの ひでよし)は、但野硝子加工所の二代目として活動する江戸切子作家です。 同じく江戸切子作家である父・但野孝一のもとに育ち、幼少期より江戸切子と親しむ環境にありましたが、当初は強い関心を示さず、建築系の専 …

篠崎 英明

篠崎 英明(しのざき ひであき)は、日本の伝統工芸である江戸切子の分野で活動するガラス工芸作家の一人です。 特に酒器やぐい呑、冷酒杯といった実用性と鑑賞性を兼ね備えた作品を多く手掛けています。 作風としては、江戸切子の伝 …

黒川 昭男

黒川昭男は江戸切子を代表する作家で中学卒業と同時に上京し、名人と称された小林菊一郎に弟子入り。菊一郎亡きあとはその子息・英夫を師と仰ぎながら技を磨きました。 江戸切子の世界でトップクラスの技術者として知られるようになった …

迫田 賢一

迫田賢一は、鹿児島県が世界に誇る伝統工芸「島津薩摩切子」の復元と発展を支え続ける、現代を代表する切子職人の一人です。現在は「薩摩ガラス工芸」にて、デザインや制作の中核を担っています。 彼の最大の特徴は、幕末から続く薩摩切 …

奥田 元宋

奥田元宋(おくだ げんそう)は、昭和から平成にかけて活躍した日本画家で、特に「赤」を基調とした風景表現で知られる作家です。 代表的特徴は、深い朱や紅を主体とする紅葉表現です。山肌や樹木を赤系統で大胆に構成し、秋の自然の華 …

田村七宝工芸

「田村七宝工芸」は尾張七宝の発祥の地である七宝町にて、1883年から代々続く窯元です。 七宝焼とは、金属の表面に色鮮やかなガラス質の釉薬を施し、高温で焼き上げた工芸品です。 その中でも「尾張七宝」は、主に現在の愛知県あま …

鈴木 長翁斎

初代長翁斎は江戸後期より活躍された作家であり、江戸幕府の御用金工師の直系である錺師(かざりし)として名が知られています。現在までに三代目の長次斎氏の作品が確認されています。 主に銀製品の作品を手掛けており、銀瓶や急須、煙 …

横山 清暉

横山清暉(よこやま せいき)は、江戸時代後期から幕末期にかけて京都で活躍した四条派の日本画家です。 横山は京都で生まれ、はじめ江村春甫から手ほどきを受け、松村景文に四条派の画風を学びました。主に花鳥画・山水画・人物画を得 …

西山 芳園

西山芳園(にしやま ほうえん)は、江戸時代後期に活動した四条派の流れを汲む日本画家です。 芳園は大阪で生まれ、はじめは中村芳中に師事し、中村の紹介を受けて四条派の松村景文や横山清暉に絵を学びました。大阪において制作活動を …

長谷川 玉峰

長谷川 玉峰(はせがわ ぎょくほう)は、幕末から明治初期に京都で活躍した四条派の日本画家です。 長谷川は京都に生まれ、四条派の松村景文に絵を学びました。景文の洗練された画風を受け継ぎ、花鳥画や人物画を得意としました。また …

田中 佐次郎

田中佐次郎(たなか さじろう)は、唐津焼の流れを汲む陶芸家として知られ、とくに「斑唐津」「絵唐津」を中心とした作風で評価されている作家です。近代以降の唐津焼作家の一人として、伝統的な技法を踏まえながらも、実用性と造形美を …

加藤 利昇

加藤利昇(かとう りしょう、1946年生)は、京焼を代表する茶陶作家の一人です。永樂家十六代・即全(永樂善五郎)のもとで絵付けを学び、1979年に三代目「加藤利昇」を襲名して独立しました。 初代、二代は実用的な陶器に絵付 …

平安 吉兆

平安吉兆は、京都・五条坂で活動する京焼・清水焼の陶芸作家です。 1971年に独立して現在の雅号を名乗り、主に染付磁器による煎茶器や茶器類を制作してきました。日本煎茶工芸協会正会員として、伝統を踏まえつつ洗練された京焼の世 …

國友 藤平衛

國友藤平衛は、江戸時代に活躍した鉄砲鍛冶工房で、近江国國友村(現在の滋賀県長浜市)を拠点に活動していました。國友藤平衛の地域は、江戸時代に火縄づくりが盛んだったことで知られ、多くの鉄砲鍛冶が集まっていた場所です。その中で …

谷脇 利光

谷脇 利光(たにわき としみつ)は、1946年高知県生まれの珊瑚彫刻家で、宝石珊瑚を用いた精巧な彫刻作品を制作する工芸作家として知られています。 卓越した技術と豊かな表現力により、七福神や仙人、仏像などの人物像を中心に数 …

松本 富太郎

松本 富太郎(まつもと とみたろう)は、日本の洋画家で、20世紀を代表する具象・抽象表現の画家の一人です。 戦前から戦後にかけて日展(日本美術展覧会)にも出品を続け、1953年には日展で「アトリエのポーズ」による特選と岡 …

田中 良平

田中 良平(たなか りょうへい)は、日本の版画家で、主に銅版画(エッチング)による風景表現で知られております。 京都を拠点に制作を続け、日本各地の古い町並み、港町、農村、民家などを主題としました。作風の特徴は、極めて緻密 …

舩木 倭帆

舩木倭帆は島根県出身のガラス作家で、民藝の思想を背景にしつつも、極めて現代的で造形性の高いガラス作品を確立した作家です。 父は民藝運動の中心人物である舩木道忠、兄は陶芸家の舩木研児という、民藝史において重要な家系に生まれ …