青木 龍山

1926年8月18日~2008年4月23日 青木 龍山(あおき りゅうざん)は、日本の陶芸家になります。佐賀県西松郡有田町の佐賀県立有田工業学校を卒業後、神奈川県にある、縫製大学第二高等学校および法制大学女子高等学校の美術教師をしておりましたが、父に呼び戻され祖父の会社に戻ります。祖父の甚一郎は、豪駅を主とした内外向けの陶磁器製造販売を行っており、のちに青木兄弟商会へと発展させるも、父の代に有田陶業と改名したが倒産。そこで龍山は、フリー陶器磁器デザイナーとして生計を立てながら日展入選を目指し、個人陶芸家として生きる道を決意します。1954年(昭和29年)第十回日展に初出展初入選を果たし、以降順調に入選していき日展系に作家としてNO1になります。龍山はその後、モダンなデザインを追求し続け、花器を中心に新境地を開拓し、有田焼の代表的作家となりました。弟子をとらず、妻と二人三脚で焼き続け佐賀で初めて文化勲章受章者になりました。

鈞窯

宋時代に繁栄し、人々を魅了した中国の五大名窯の一つが「鈞窯」です。
鈞窯はそれぞれ特徴のあった五大名窯の中でも釉薬の色に独創性があったことで知られております。
基本的な釉調は青みを帯びておりますが、釉薬の色に濃淡の差があり天藍は濃い発色、淡くなると月白、天青と称され、独特な釉調からは澱青釉とも呼ばれております。
鈞窯の釉色は様々な美称で称えられ、鈞窯の品物を鑑賞する用語となっています。特に有名なものとしては玫瑰紫(まいかいし)、海棠紅(かいどうこう)、茄皮紫(かひし)、鶏血紅、梅子青、などの10種類以上あり、それらが変幻自在に混じりあうことで様々な光彩を彩ります。
造形に関しては主に日常の生活用品である、盆、瓶、香炉、碗などがあり、さらにそれぞれの器はいくつかの形に分けられています。
また、鈞窯の窯変による変幻自在の釉色の美しさや独創性は異彩を放ち、後世にも大きな影響を与えることになりました。

磁州窯

中国を代表する名窯の一つ、それは「磁州窯(じしゅうよう)」です。
中国河北省磁県を中心とする民窯で、起源は五代十国時代ではないかと言われており、その歴史は1000年以上にもなる窯です。

磁州窯でも特に評価が高いと言われているのが「白地黒掻落し」と呼ばれる装飾方法で作陶された品物です。
この装飾方法は、磁州窯の中でも特に高い技術が発揮されていることから宋元期の磁州窯の技術水準の高さがわかる品物となっています。
その特徴はなんといっても、白と黒の対比により表現される模様ではないでしょうか。艶のある白さと独特な質感の黒によって形作られる作品は、緻密な文様表現によってさらに魅力を際立たせます。当時の磁州窯の中でも高級な部類だったことは間違いないであろうと言われております。

装飾に関しても人々の好みを作品に映し出していたことから、当時の人々に愛されており、現在も多くの人々に愛される所以となっていると言えるでしょう。

竹内 久一

1857年(安政4年)7月9日~1916年(大正5年)9月24日 竹内 久一(たけうち ひさかず)は、明治時代の彫刻家になります。最初は、多才であった父のはからいで、象牙彫刻家の堀内龍仙の弟子となります。もともと病弱な久一、一家の大国柱だった父が病気を患い生活は貧しかった為、森下町の骨董屋「雅楽堂」主人鉢木雅楽の影響で骨董に目覚め、森下町に魅せを借り、彫刻家として活動しつつ道具屋を始めました。その後、竹内は世界に日本の伝統的木彫芸術を伝えようと行動していたが、当時は西洋における美術の概念と日本の美術作品が馴染めず、特に木彫りと牙彫は工芸品扱いされ、正当な評価を受けることがありませんでした。その後、日蓮宗徒の運動の影響で東京美術学校に雛形の製作依頼があり、明治25年(1892年)8月に銅像が完成。明治1年(1898年)に美術学校騒動が起こり、一時辞職するも復職する。明治39年(1906年)4月4日には帝室技芸員に選ばれます。竹内は、職人というよりは数寄者として知られておりましたが、幸堂得知と研究会を開いたり、淡路椿岳や大槻如電などと交流することで元緑文化について知識を深めるなどし、「玩具博士」と呼ばれた清水晴風とは竹馬の友でもあり、「集古会」などで活動をともするなどしておりました。

市橋 とし子

1907年8月21日~2000年10月26日 市橋とし子は、日本の人形作家になります。東京都千代田区神田の出身で、桐塑(とうそ)の人間国宝になります。桐塑とは、粘土の一種になり桐の粉末に正麩糊(しょうふのり)というのをまぜて作った粘土で、強度を出すために和紙を混ぜ込まれているものもあるそうです。桐塑の第一人者として平成元年に人間国宝に指定されました。戦争のない平和な時代への祈りを素朴であたたかな人形で表現した。33歳の時に、ふらりと立ち寄った人形展で今村繁子の人形を魅了され弟子入り、家事や育児の合間を縫って人形作りを始める。当時、日本は戦時中ということもあり戦中、終戦直後まで人形作りを断念していましたが、偶然道中で会った師の今村繁子と出会い、今村の強いすすめで再度人形の製作を始め、1949年第1回現代人形美術展で、特選第一席を受賞する。その後も美術展に出品し続け市橋は、より人肌に近い質感を求め桐塑を使用する様になります。金子篤司に師事して彫刻デッサンや木彫を学び、人形制作においても、一層、的確な構成力を見せるようになりました。

平田 郷陽

1903年(明治36年)11月25日~1981年(昭和56年)3月23日、平田 郷陽(ひらた ごうよう)は、日本の人形作家で重要無形文化保持者(人形師として初の人間国宝)になります。衣装人形の第一人者で、木目込みの技法を用いた衣装人形を多数手掛けております。14歳の時に、人形師の初代安本亀八の門弟であった父のもとで人形製作の修行を始め、その中「活人形(生き人形)」の製作技法を習得しました。1924年(大正13年)父の跡を継ぎ2代郷陽を襲名、日本人形の製作者となり端正なリアリズムをもつ人形を製作するようになります。1927年(昭和2年)に青い目の人形の答礼人形として市松人形も製作しました。当時人形は芸術とは認められていなかった為、1927年(昭和3年)から創作人形を目指す同志と白沢会を結成し、1935年(昭和10年)には日本人形社を起こします。翌1936年には同士6人とともに第一回帝展に入選、以来帝展、文展、日展等で活躍を致します。日本政府の依頼でベルギーやフランスでの万国博覧会に衣装人形を出品し1955年(昭和30年)2月15日、重要無形文化財「衣装人形」保持者に認定されました。社団法人日本工芸会理事、同人形部会長等を歴任したり、衣裳人形研究の陽門会を主宰するなど、後継者育成にも尽力しました。作風は、初期は生人形師らしく写実的だったが、次第に抽象的なデフォルトを加え、様式化・単純化に向かった。反面、郷陽作品は常に確固とした存在感があり、繊細な感情表現に特色がある作品を残しております。

堀 柳女

1897年8月25日~1984年12月9日、堀 柳女(ほり りゅうじょ)は、日本の衣装人形作家で、東京都港区出身です。本名は、山田松枝。自然を取り入れた「柳女人形」で知られており、人間国宝となります。日本伝統工芸会鑑査・ …

隅谷 正峯

隅谷 正峰(すみたに まさみね1921年1月24日‐1998年12月12日)日本の日本刀匠です。日本美術刀剣保存協会元理事であり全日本刀匠会元理事長でもある。石川県松任市(現在は白山市)出身。立命館大学理工学部機械工学科 …

西出 大三

西出大三(にしで だいぞう) 1913年6月7日~1995年7月8日(享年82歳)は日本の截金師です。1985年に諸工芸の截金の分野で2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。 石川県にて生まれ、東京美術 …

川北 良造

川北良造は、人間国宝にも認定されている石川県の木工芸家です。 1934年に石川県山中町(現加賀市)に生まれ、木工芸家だった父の技術を学んだ他、人間国宝の氷見晃堂にも師事しその技術を磨きます。挽物と呼ばれる木材をろくろで削 …

奥田 元宗

 奥田元宗は 1912(明治45)年、広島県双三郡八幡村(現在の三次市吉舎町)に生まれます。小学校4年生の頃から、図画教師であった山田幾郎教諭の影響で絵を描き始める。1930(昭和5)年に上京し、同郷の日本画家・児玉希望 …

尾形 月耕

尾形月耕は、1859年9月に江戸京橋で生まれた浮世絵師・日本画家です。 絵を描き始めたのは父の勧めによるもので、1881年頃には新聞や雑誌の挿絵を手がけるようになり、人気を博しました。当時、日本の出版業界が勃興していたこ …

平福 百穂

 平福百穂は日本画家、歌人で画家平福穂庵(順蔵)の四男として、秋田県仙北市に生まれました。本名は貞蔵。幼い時から秋田市の豪商である那波家のコレクションなどで、秋田蘭画を見て育ったが、1890年から父から絵を学びはじめる。 …

高田 博厚

高田博厚(たかたひろあつ)は、明治33年(1900年)8月19日、矢田郷村(現石川県七尾市岩屋町)に生まれました。晩年、七尾の知人の中に宛てた手紙の中で高田は、七尾湾の夕空に浮かぶ雲が大変美しかったと回想しているそうです …

三代 山田 常山

三代山田常山は「常滑焼(急須)」で重要無形文化財に認定された人物です。 常滑(とこなめ)の時代は古く、日本六古窯の中でも最も古い歴史を持つとされており、その始まりは奈良、平安時代を代表する遠投の影響を受けて、十二世紀初頭 …

岩倉 寿

 岩倉寿は香川県三豊郡山本町(現 三豊市山本町)出身の日本画家です。香川県立観音寺第一高等学校、京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)日本画科卒業。同大学専攻科修了します。京都市立芸術大学名誉教授です。京都市立美術大学 …

上村 淳之

 上村松篁の子として京都に生まれる。特別科学学級での同級に、伊丹十三がいた。父同様、花鳥画を描きます。幼い頃から父松篁 の飼う小鳥達と共に過ごして来たため、鳥達が常に身近に居ることはごく自然なことでした。上村淳之は絵の道 …

辻 常陸

辻常陸とは佐賀県有田に窯を構える辻家の現当主が襲名した名で、当代は15代目に当たります。辻家の歴史は長く400年以上続く名門です。3代喜右エ門の時代に仙台藩主伊達綱宗によって皇室に献上された陶磁器が認められ皇室御用達とな …

中村 元風

中村 元風(なかむら がんぷう)1955年(昭和30年)9月2日~現在、日本の陶芸家、科学者になります。今九谷窯アーティストとして活動、「芸術とは輝きの創出である」との信条のもと、光や色から構成される「輝き」を一貫したテ …

佐々木 象堂

佐々木象堂は1960年に「蝋型鋳造」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された金工師です。 1884年に新潟県に生まれた佐々木象堂(本名は文蔵)は、貧しい家庭で育った為高校に通いながら商家に奉公しておりました。画家を …

秋山 逸生

秋山逸生は1987年に「木象嵌」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された東京都出身の木竹工芸家です。木象嵌とは様々な天然の木材を用いて絵画や図柄を表現する木画技術となります。起源は古代オリエント文明にまで遡るとされ …

齋田 梅亭

齋田 梅亭(さいた ばいてい)1900年(明治33年)4月6日~1981年(昭和56年)6月1日は、日本の截金師になります。 京都市下京区で西本願寺御用の截金師の家に生まれになります。京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸 …

高橋 貞次

19002年4月14日~1968年8月21日、日本の刀匠で、愛媛県出身。重要無形文化財保持者になります。1919年東京の中央党見解養成工となり、以後大正年間より古刀の作風を研究し、五ヶ伝に精通しました。1936年故郷松山 …

前田 竹房斎

前田竹房斎は、主に堺で活動した竹工芸家の名跡です。明治初めから平成まで続き、初代と二代がおられます。 初代は1872年の大阪に生まれました。十代半ばには竹工芸家・三代早川尚古斎に才覚を認められ、独学で竹工芸を学びました。 …