塩川 文麟

塩川文麟は、19世紀に活躍した京都を代表する日本画家です。

塩川は京の安井宮門跡に仕える家に生まれ、若くして門跡近侍を務めました。
門主に仕える中で絵に親しみ、のちにその才能を認められて岡本豊彦に師事し、四条派の技法を学びました。弘化2年(1845年)に豊彦が没してからは四条派を率い、明治初期までの京都画壇を代表する画家の一人となりました。

彼は山水画(風景画)を中心に、花鳥画や自然の動きを題材とした作品も多く手掛けており、『蛍図』や『月秋図』、『梅枝図』など題材の幅の広さから画域の広い画家であったことがうかがえます。

モチーフとしては「名所風景」「山水」「季節」「生き物」などといった、自然の情趣を感じさせる題材が多めです。四条派の写生を基盤とした伝統的な画法を受け継ぎつつ、自然の気配や季節の移ろいを静かに表現した彼の作品は、伝統美術と情趣が調和するものとして高く評価されています。

菊池 芳文

菊池芳文は、明治〜大正期に活躍した大阪生まれの日本画家です。

本名を「三原常次郎」といい、のちに菊池家の養子となったため改姓しました。
はじめは滋野芳園に師事し、明治14年に京都へと移ります。その後、幸野楳嶺に師事して四条派系の画風を修め、竹内栖鳳、谷口香嶠、都路華香とともに「楳嶺四天王」と称されました。

彼は花鳥画を得意とし、とりわけ桜を主題とした作品で知られています。『桜花群鴉図』『小雨ふる吉野』『山桜小禽』など、花そのものを描いた作品から、鳥や自然の景色と組み合わせた作品まで幅広く手掛けています。

また、明治15年と明治20年の内国絵画共進会で受賞し、明治40年の第1回文展では審査員を務めました。さらに、京都市立絵画専門学校教授、帝室技芸員を歴任し、後進の育成や日本画の社会的評価の向上に大きく貢献しました。

彼の作品は、東京国立近代美術館京都国立近代美術館をはじめとする公立美術館に収蔵されており、専門家や愛好家の間でも高く評価されています。

都路 華香

路華香(つじかこう)は、日本の明治後期~昭和初期にかけて京都で活躍した日本画家です。

都路は京都市内で生まれ、満9歳で幸野楳嶺の画塾に入門。竹内栖鳳・菊池芳文・谷口香嶠とともに「楳嶺四天王」と称されました。明治時代後期から大きな展覧会にも参加し、内国勧業博覧会、新古美術品展などで受賞したほか、1907年の第1回文展(文部省美術展覧会)以降も出展を続けました。

彼は伝統的な四条派の写実に根ざしつつも、波や自然の動きを題材にした斬新な表現と、装飾性の強い彩色を特徴としています。また、動植物や鳥類などのモチーフも作品にみられ、自然の生命感や躍動を画面構成の中で強調していると考えられます。

また、大正時代には美術教育にも力を入れ、帝国美術院会員として活動する傍ら、京都市立絵画専門学校および京都市立美術工芸学校で教員や校長を務め、後進の育成にも尽力しました。

京都画壇を代表する画家の一人であり、現在でも専門家や愛好家の間で注目されている作家です。

岡本 豊彦

岡本 豊彦は、江戸時代後期に活躍した画家として知られています。

岡本は、1773年に備中国(現在の岡山県)に生まれ、幼い頃より南画家・黒田綾山に絵を学びました。
19歳の頃には福原五岳に師事し、25歳で妻子とともに京都へ移ります。
その後は四条派の祖・松村呉春の門下に入り、呉春の作品を写して技術を磨きながら、穏やかで情緒豊かな画風を身につけていきました。

呉春の没後は、「澄神社」という画塾を開き、多くの門弟を育てることで四条派の継承と発展に貢献しました。

岡本は、花鳥画・人物画など幅広く手掛けましたが、特に山水画を得意としました。
同門の松村景文と並び評されることも多く、「花鳥は景文、山水は豊彦」と称されるほど高く評価されています。

代表作には『松下鹿蝙蝠図』『泊舟』『富士山図屏風』などがあります。

織田 一磨

織田一磨は、主に都市の風景を描いたことで知られる版画家です。

生まれは東京ですが、12歳の頃に大阪へ移りました。
16歳になると、石版画工をしていた兄から石版画の技術を学びました。
その後1903年に東京へ戻り、川村清雄から洋画を学びました。

さらに「オットマン・スモリック」「金子政次郎」から石版画を学んだとされています。

葛飾北斎をはじめとした浮世絵の世界に心酔し、浮世絵の研究をしながら自身の作品制作の参考にもしていました。

彼は、時代とともに移り変わる街並みを作品に残しました。
主に東京を題材にしたものが多く、大震災前後の異なる姿が描かれた2つの作品は、織田の代表作として知られています。

代表作には『東京風景』『大阪風景』『憂鬱の谷』などがあります。

山本 紅雲

山本紅雲は、兵庫県伊丹市出身の日本画家です。

 

京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)で学び、日本画の大家である竹内栖鳳に師事しました。その作品は、繊細な筆使いと豊かな色彩表現で高く評価されています。

紅雲は、帝国美術院展覧会(帝展)や日本美術展覧会(日展)に出品し、多くの作品が入選しました。遅筆であり、展覧会への出品はいつも締切ギリギリであったと言います。

 

山水画や花鳥画を得意とし、中でも嵐山の風景を描いた作品や、鮎や鯛などの魚を描いた作品が評価されております

また、即中斎など茶道千家の家元が賛を入れた作品があり、そちらは有名な茶人の賛であることから高い評価が期待できます

 

狩野 芳崖

狩野芳崖は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて活躍した日本画家です。 狩野派の伝統を受け継ぎつつ、近代的な絵画技法を積極的に取り入れたことで知られています。   彼は、西洋画の技法を日本画に融合させることによ …

狩野 正信

狩野正信は、室町時代後期の絵師です。 狩野派の創始者として、日本の絵画史において重要な位置を占めています。   正信は京都で生まれ、仏教や神道に関わる絵を手掛ける家系に育ちました。正信の絵は、写実的な技法と華や …

狩野 永徳

狩野永徳は、安土桃山時代を代表する絵師であり、狩野派の最も重要な画家として広く知られています。   狩野派は、室町時代後期に創設され、特に戦国時代から江戸時代にかけて、豊富な絵画依頼を受けて華やかな装飾画を数多 …

木島 櫻谷

木島櫻谷は、1877年生まれの四条派の日本画家です。 京都に生まれ京都で育ち、幼少より周囲の影響で日本画をはじめとした文化の造詣を深めました。青年になると京都画壇を代表する作家・今尾景年に師事し、以降四条派の伝統を汲んだ …

池田 遙邨

池田遙邨は文化功労者として表彰を受けた日本画家です。 岡山県に生まれた池田遙邨は、幼少期より画才があり父親の転勤に伴い大阪へ転居した後に洋画家の松原三吾郎の天災画塾に入門し、洋画を学びました。 1914年に第8回の文展に …

酒井 抱一

「酒井抱一」は江戸琳派を代表する絵師で俳人の一人です。尾形光琳に私淑し琳派の雅な画風と俳味を取り入れた詩情ある洒脱な画風に翻弄したことでとても人気となり、江戸時代琳派の祖となった人物です。 酒井抱一は、1761年、姫路藩 …

竹内 栖鳳

竹内栖鳳は、横山大観と並び近代日本画の大家として、非常に有名な人物です。 1864年、京都二条城にほど近い料理屋の長男として生まれました。1877年に四条派絵師の元で絵を学ぶようになり、1881年には川合玉堂や上村松園の …