丸山 晩霞

丸山晩霞は、明治から昭和初期にかけて活躍した水彩画家です。

丸山は長野県東御市に生まれ、本名は健作といいます。18歳頃に上京し、神田の画学舎や本多錦吉郎の私塾「彰技堂」で洋画を学びました。その後、洋画家・吉田博の水彩画などに影響を受け、1890年代後半には水彩を主軸とする制作へ移行していきます。そして、1900年前後にはアメリカおよびヨーロッパへ渡航し、現地で制作・研鑽を重ねたのち、帰国後は太平洋画会の創立に関与、1907年には大下藤次郎らとともに日本水彩画研究所を設立するなど、画壇の中心的な活動を担いました。

彼の作品は、とくに自然の景観を主題とし、写生に基づく描写が特徴です。主なモチーフとしては、山岳・高山植物を中心としており、緻密な筆使いにより石や建物の質感など細部まで丁寧に描写しています。また、水彩ならではの特性を活かし、透明感のある色彩や柔らかく穏やかな筆致により、風景の空気感や光を繊細に表現しているところも彼の作品の醍醐味といえます。

丸山晩霞は、様々な場所を巡って制作していた画家でした。日本各地やヨーロッパのほかインドなども含めた国内外を実際に訪れていたこともあり、現地での観察に基づく作品も多くみられます。こうした点から、実景観察に基づく写生主義を徹底した画家であったといえます。

歌川 貞秀

歌川貞秀は、江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した浮世絵師です。

歌川は下総国布佐(千葉県我孫子市)に生まれ、本名は橋本兼次郎といいます。歌川国貞(三代豊国)に学んだとされ、歌川派の絵師として文政期頃より挿絵などを手がけ、天保期には美人画・役者絵・武者絵・風景画など幅広い分野で制作し、幕末には横浜開港に伴う異国風俗や風景を描いた『横浜絵』でも知られます。

彼は、鳥瞰(俯瞰)構図を巧みに用いた名所絵や一覧図を得意とし、都市や名所、港湾の様子を広範囲にわたって精緻に描き込み、画面全体を一望できる構成を特徴としています。こうした視点は、実景を俯瞰的に把握しつつ情報性を高める表現として評価されており、その作風から「鳥の目をもつ絵師」とも称されています。

小林 永濯

小林永濯は、幕末から明治時代に活躍した日本画家・浮世絵師です。

小林は、日本橋の魚問屋に生まれ、幼少期より狩野派の画法を学びました。その後、彦根藩井伊家のお抱え絵師への登用が持ち上がるなど、若くしてその並外れた才能を認められ、明治維新後は浮世絵、新聞挿絵、歴史画など幅広い分野で活動しました。また、月岡芳年河鍋暁斎と同時代に活躍した、明治期の歴史画・挿絵分野を担った画家の一人として知られています。

彼の作品は、狩野派の伝統的な技法を基盤に、精緻な描写と安定した人物表現を特徴としています。人物像を大きく動かし、緊張感のある瞬間を切り取る構図により、戦闘場面や儀式的場面を視覚的に強い印象で表現しています。

小林永濯は明治期において、狩野派の基礎的な描写力を背景に、日本神話・歴史人物を劇的構図で描いた作家ともいえます。

大田垣 蓮月

大田垣蓮月は、幕末から明治初期にかけて、和歌・書・陶芸を通じて活躍した文化人です。

大田垣は、武家の血筋に生まれ、幼少期に大田垣家の養女として迎えられました。40代前半までに夫や子どもを次々と失い、こうした不幸を経て出家し、「蓮月尼」と名乗り、和歌や書、陶芸の分野で活動しました。その後は和歌を中心に文芸活動を行い、同時に自作の陶器に自詠の歌を刻む独自の作風を確立しました。素朴な器形に平明な言葉で詠まれた和歌を組み合わせた作品は『蓮月焼』として知られ、文学と工芸を融合させた表現として評価されています。

彼女の作品は、和歌・書・陶芸が一体となった総合的な表現に特徴があり、流麗でやわらかな仮名書と、型を用いず手びねり(手づくね)によって成形された温かみのある造形に独自の魅力が見られます。また、日常的な器に和歌を刻むことで実用性と芸術性を兼ね備えており、贈答品や交流の媒介としても機能していました。

大田垣蓮月は、自らの表現によって活動の場を広げた文化人ともいえます。

鄭 道昭

鄭道昭(てい どうしょう)は、中国南北朝時代に活躍した北魏を代表する書家・詩人です。名門の出身で、光州の刺史などの要職を歴任しました。

鄭道昭が現在の中国山東省の岩山に残した摩崖刻石は「鄭道昭刻石」などと総称されています。同時代に見る北魏の六朝楷書独特の角ばって固い筆づかいの「方筆」ではなく、南朝寄りの角が丸く柔らかい印象の「円筆」の書が特徴とされ、鋭い角を持つ一般的な北魏楷書とは異なり、ゆったりとした風格と気品を兼ね備えています。

清代の包世臣や康有為らによって再評価され、明治以降の日本の書道界にも大きな影響を与えました。

胡 蘭成

胡蘭成は、中国出身の思想家・政治家・作家・書家です。

1906年、中国浙江省嵊県に生まれました。
本名は
胡 積蕊、幼名は蕊生といいます。若い頃から文章に優れ、杭州の蕙蘭中学で学んだ後、北京の燕京大学の講義を聴講するなどして文学や思想に関心を深めました。

その後、政治活動に関わり、日中戦争期には日本が支援した汪兆銘政権に参加し、宣伝部次長や行政院法制局長などを務めました。
またこの時期に、漢口の新聞「大楚報」に関わり、ジャーナリズム活動にも従事しました。

1944年には中国の著名作家である張愛玲と結婚しましたが、政治的立場や生活の不安定さなどから関係が破綻し1947年に離婚しています。

第二次世界大戦後、政治的立場が悪化したことから、1950年に日本へ渡ります。その後は日本で長く生活し、中国文化や思想に関する著作を執筆し、文化人との交流も行いました。
来日初期は日本全国を講演して回ったり、雑誌や新聞に政論を投稿していました。
1963年からは梅田寛一が筑波山中に神道の修行をする道場として開いた「梅田学筳」に滞在し、神道について学びます。ここで岡潔や湯川秀樹、保田與重郎などにも出会い交流を深めました。
その後、梅田学筳を離れた後の1974年には台湾の中国文化学院で教授となり、若い文学者を指導しました。この頃、彼の思想に影響を受けた作家たちが「三三派」と呼ばれる文学グループを形成しました。
約2年間の台湾生活の後は、再び日本に戻り、1981年に没するまで東京で生活を続けました。

書を得意とし、晩年には文人としても活動し自作の詩や中国古典などを題材とした作品を残しています。その書は、中国文化への深い素養を背景とした文人書として評価されることがあります。

横山 清暉

横山清暉(よこやま せいき)は、江戸時代後期から幕末期にかけて京都で活躍した四条派の日本画家です。 横山は京都で生まれ、はじめ江村春甫から手ほどきを受け、松村景文に四条派の画風を学びました。主に花鳥画・山水画・人物画を得 …

西山 芳園

西山芳園(にしやま ほうえん)は、江戸時代後期に活動した四条派の流れを汲む日本画家です。 芳園は大阪で生まれ、はじめは中村芳中に師事し、中村の紹介を受けて四条派の松村景文や横山清暉に絵を学びました。大阪において制作活動を …

谷口 香嶠

谷口香嶠は、明治時代から大正時代にかけて京都画壇で活躍した日本画家です。 1864年、現在の大阪府和泉市に生まれ、旧姓は辻、本名は雅秀と言います。別号として「後素斎」、「羅浮山人」、「藤原雅秀」などがあります。 1871 …

長谷川 玉峰

長谷川 玉峰(はせがわ ぎょくほう)は、幕末から明治初期に京都で活躍した四条派の日本画家です。 長谷川は京都に生まれ、四条派の松村景文に絵を学びました。景文の洗練された画風を受け継ぎ、花鳥画や人物画を得意としました。また …

関 牧翁

関牧翁(せき ぼくおう)は、愛知県出身の臨済宗の禅僧で、花園大学教授や妙心寺派の高僧として知られます。 幼少より聡明で、慶應義塾大学医学部に進学するほどの秀才でしたが、在学中に「人間とは何か」「生きるとは何か」という根源 …

歌川 貞房

歌川 貞房は江戸時代の浮世絵師です。五亀亭(ごきてい)、五楓亭(ごふうてい)、桶蝶楼(とうちょうろう)などの号を用いました。門人には歌川房種がいます。 生没年や生涯については不明な点が多いですが、初代 歌川国貞(三代目 …

中林 竹洞

中林 竹洞は、江戸時代後期を代表する南画(文人画)家です。 名を成昌、字を伯明、通称を大助といい、画号は「竹洞」をはじめ複数の別号を用いました。 尾張を拠点としながら京都を中心に活動し、近世日本の文人画壇において重要な役 …

塩川 文麟

塩川文麟は、19世紀に活躍した京都を代表する日本画家です。 塩川は京の安井宮門跡に仕える家に生まれ、若くして門跡近侍を務めました。 門主に仕える中で絵に親しみ、のちにその才能を認められて岡本豊彦に師事し、四条派の技法を学 …

菊池 芳文

菊池芳文は、明治〜大正期に活躍した大阪生まれの日本画家です。 本名を「三原常次郎」といい、のちに菊池家の養子となったため改姓しました。 はじめは滋野芳園に師事し、明治14年に京都へと移ります。その後、幸野楳嶺に師事して四 …

都路 華香

都路華香(つじかこう)は、日本の明治後期~昭和初期にかけて京都で活躍した日本画家です。 都路は京都市内で生まれ、満9歳で幸野楳嶺の画塾に入門。竹内栖鳳・菊池芳文・谷口香嶠とともに「楳嶺四天王」と称されました。明治時代後期 …

土田 麦僊

土田麦僊は、大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家で、日本画における東西美術融合の融合を目指した画家の一人です。 1887年、新潟県佐渡郡に生まれ、本名は「金次」といいます。 16歳の時に京都の智積院で僧侶になるため上 …

徳川 光圀

徳川光圀は、江戸時代前期に活躍した水戸藩第2代藩主です。徳川家康の孫にあたり、将軍家に近い立場にありましたが、学問と歴史を政治の基盤として重視した大名として知られています。 若い頃に司馬遷の『史記』に強い感銘を受けたこと …

徳川 家康

徳川家康は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、江戸幕府を開いた初代征夷大将軍です。三河国(現在の愛知県)岡崎城主・松平広忠の嫡男として生まれました。幼少期には織田家、続いて今川義元のもとで人質となり、不安定 …

武田 双雲

武田双雲(たけだ そううん)は1975年生まれの日本を代表する書道家の一人であり、「書」を通じてポジティブなメッセージを発信し続けるアーティストです。 東京理科大学を卒業後、IT企業に勤務するも、幼少期から親しんだ書の道 …

宇田 荻邨

宇田 荻邨は、大正から昭和にかけて活躍した、三重県出身の日本画家です。 四条派を基盤に、大和絵や琳派の要素を取り入れた独自の作風で知られています。 17歳で京都に移り、四条派の流れを汲む菊池芳文に師事。京都市立絵画専門学 …

岡本 豊彦

岡本 豊彦は、江戸時代後期に活躍した画家として知られています。 岡本は、1773年に備中国(現在の岡山県)に生まれ、幼い頃より南画家・黒田綾山に絵を学びました。 19歳の頃には福原五岳に師事し、25歳で妻子とともに京都へ …

島津 久光

島津 久光は、江戸時代末期から明治にかけて活躍した政治家です。 1817年、久光は薩摩藩十代藩主・島津 斉興の息子として生まれました。 藩主の後継をめぐる兄・島津斉彬との派閥争い(お由羅騒動)の結果、斉彬が藩主となります …

乃木 希典

乃木 希典は明治を代表する陸軍軍人です。 武士道的な忠誠・献身の象徴的存在として広く知られ、「軍神」と称されました。 また、漢詩や和歌を多く残すなど、文学的な側面も併せ持っていました。 1877年の西南戦争では薩摩藩士に …

欧豪年

欧豪年は現代台湾画壇の第一人者として知られる中国出身の水墨画家で、嶺南派の代表的な画家です。1935年に高東省で生まれ、17歳で嶺南派の巨匠である趙少昂に師事し、その画技を継承しました。 嶺南画派の画風を受け継ぎながら、 …