荒木 十畝

荒木 十畝(あらき じっぽ)は、明治から昭和初期にかけて活動した日本画家です。現在の長崎県に生まれ、後に帝室技芸員にも選ばれる荒木 寛畝に師事し、後に養嗣子となりました。

伝統的な画法に基づく精緻な花鳥画を得意とし、官展を中心に作品を発表しました。画業前期にはその鮮やかな色彩が特徴的ですが、次第にぼかしの技法や光・影による空気感を取り入れ、深みのある空間表現を確立しました。伝統的な型を守りつつ、静寂や東洋的な精神性を感じさせる画風へと深化させていった点が特徴です。 

日本画会の創立に参加したほか、文展や帝展の審査員、女子高等師範学校の教授などを歴任し、1937年には帝国芸術院会員に選出されました。東京画壇の重鎮として、後進の指導・育成にも尽力した人物です。

並木 正三

並木正三は江戸時代に活躍した歌舞伎の脚本家です。

1730年に大坂の芝居茶屋に生まれ、浄瑠璃や歌舞伎を身近に目にしながら育ちました。10代の頃から脚本を書いており、14歳ごろには舞台のからくり装置を考案したと言われています。

1750年からは並木宗輔に浄瑠璃を学びますが、わずか1年ほどで師を亡くしてしまったため、再び歌舞伎の世界へ戻ります。浄瑠璃から得た着想や先行作品を取り入れた作品を残したほか、起こった事件をすぐに舞台化するなど世の中の動きにも敏感でした。

現在でも使われている数々の大掛かりな舞台装置や転換の技法は並木が考案したものも多く含まれています。代表作品『幼稚子敵討(おさなごのかたきうち)』などです。

池上 秀畝

池上 秀畝(1874年-1944年)は、明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家です。現在の長野県に生まれ、後に帝室技芸員に選ばれる荒木 寛畝の門下に入りました。

文展にて1916年から3年連続で特選を受賞し、帝展で無鑑査や審査員を務めるなど、官展を中心に「旧派」を代表する画家として活躍しました。師である荒木寛畝から継承した伝統的な画法を基礎としながらも、当時の新派が試みた空気感や明暗の表現を柔軟に取り入れた作風が特徴です。

緻密な花鳥画や山水画を数多く残し、画塾「伝神洞」の主宰も務め後進の育成にも努めました。2024年には生誕150周年を迎え、ゆかりのある各地で池上 秀畝の展覧会が行われ、今なお愛されている日本画家です。

本多 天城

本多天城は、明治時代から昭和時代にかけて活躍した日本画家です。

本多は江戸に生まれ、本名を佑輔(ゆうすけ)といいます。19歳で「近代日本画の父」と称される狩野芳崖に師事し、岡倉秋水岡不崩らとともに「芳崖四天王」の一人に数えられました。その後、東京美術学校を卒業し、29歳という若さで母校の助教授に就任しました。明治30年の第2回日本絵画協会共進会、および同年の第3回共進会でともに銅牌を受賞し、明治31年の東京美術学校騒動に際しては、辞職組として連署したものの最終的に留任し、明治34年まで助教授を務めました。

彼の作品の特徴は、師である狩野芳崖から継承した狩野派の伝統的な技法(岩や樹木の描写など)をベースにしながら、西洋画の写実性や明暗法を取り入れ、独自の色彩や画境を追求した作風が特徴です。代表作の『柳鷺図』『秋野』『山水(山水図)』では、自然や生物の生命感が繊細なタッチで描かれています。
また、前漢の武将を題材とした『蘇武(そぶ)』などでは卓越した人物描写力を示しており、狩野派の伝統に近代的な表現を吹き込んだ実力派として高く評価されています。

本多天城は、伝統的な狩野派の筆遣いと西洋の空間表現を融合させ、日本画の発展に貢献した画家といえます。

水野 年方

水野年方は、明治時代に活躍した浮世絵師・日本画家です。

江戸・神田に左官屋の子として生まれた年方は、幼少期から優れた画才を見込まれ、13歳で最後の浮世絵師と称される月岡芳年に入門して伝統的な浮世絵の技術を学びました。明治後期には新聞の挿絵を多く手掛け、時代を代表する人気絵師として活躍。『やまと新聞』『都の花』などで数々の口絵や挿絵を描き、その高い実力が岡倉天心に認められました。これにより日本青年絵画協会へ加わると、明治31年(1898年)の日本美術院創立の際には賛助会員として参加しました。門下からは、鏑木清方池田輝方池田蕉園といったのちの美人画の最高峰と称される名手たちが輩出されており、教育者としても極めて大きな功績を残しています。

彼の作品の特徴は、代表作『三十六佳撰』『今様美人』をはじめ、美人画・風俗画の秀作を残しており、人物を小さく描き余白を活かした構図や、繊細なぼかし技法を用いた近代的な画風が特徴です。明治という新しい時代の空気をまとった、華やかながらも気品に溢れた美人画を得意とする一方で、歴史画も描いており、弟子の鏑木清方によると、依頼ではなく自ら進んで描く場合は歴史をテーマにすることを好んだといわれています。

水野年方は、近代化が進む中で、伝統的な浮世絵の技法を受け継ぎつつ、新聞・小説の挿絵や「美人画」「歴史風俗画」に新境地を開拓し、後進の育成にも多大な貢献をした作家といえます。

魚屋 北渓

魚屋北渓(ととやほっけい)は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。元々は江戸の四谷で魚屋を営んでいたことから、魚屋北渓と称されました。

初めは木挽町狩野派の奥絵師(江戸幕府の御用絵師、最も格式の高い職)である狩野惟信に絵を学び、そののちに葛飾北斎に師事します。肉筆画や狂歌絵本(社会風刺や滑稽さを込めた和歌である「狂歌」に、一流の浮世絵師が描いた豪華な挿絵を添えて出版された江戸時代の版本)の挿絵などを多く残しました。

師匠譲りの大胆な構図、観察眼から描き出される緻密な描写や繊細な色遣いが特徴的です。

魚屋北渓の作品は国内のみならず大英博物館やボストン美術館など外国の美術館にも展示され、世界中で親しまれています。

浦上 春琴

浦上春琴は、江戸時代後期に活躍した文人画家です。 浦上春琴は、江戸時代後期を代表する文人画家であり、文人画の巨匠・浦上玉堂の長子として備前岡山城下に生まれました。幼少より父に画を学び、16歳で玉堂の脱藩に同行した後は京都 …

熊耳 耕年

熊耳耕年(くまがみ こうねん)は、明治から昭和初期にかけて活動した浮世絵師、日本画家です。 仙台の老舗の仕立て屋の次男として生まれますがその後明治維新のあおりを受け家は没落、1888年に上京して月岡芳年の内弟子となりまし …

高田 好胤

高田好胤(たかだ こういん)はユーモアを交えた親しみやすい法話で知られる薬師寺の名物管長です。 平易な言葉で仏教の教えを語る「法話」に優れ、テレビや講演活動を通じて広く知られるようになりました。 その語り口は、専門的な仏 …

西村 五雲

西村 五雲は、動物画を得意とした京都出身の日本画家です。 1890年に岸竹堂に入門し、竹堂の死後は竹内栖鳳に師事しました。 1907年の第1回文展に出品した『白熊(咆哮)』で三等賞を受賞。 1911年の第5回文展では『ま …

王 冕

王 冕は、中国の元代末期を代表する著名な文人画家であり、詩人、篆刻家としても歴史に名を残す巨匠です。 美術史における王冕の最大の功績は、水墨による梅の絵画「墨梅(ぼくばい)」の表現を大きく進化させた点にあります。それまで …

名取 春仙

名取春仙は、明治から昭和期にかけて活躍した版画家・挿絵画家・日本画家です。 名取は山梨県に生まれ、本名を名取芳之助といいます。幼少期に上京し、久保田米僊・久保田金僊らに師事して日本画を学びました。その後、平福百穂の影響も …

宮島 詠士

宮島 詠士(みやじま えいし)は、明治から昭和前期にかけて活躍した山形県米沢出身の書家です。 11歳頃より 勝海舟 の門に入り、その後東京外国語学校で中国語を学びます。1887年には清国へ渡り、清末を代表する書家の 張裕 …

斉 良已

斉 良已(さい りょうい)は、中国の近現代を代表する書画家です。 1923年に生まれ、20世紀を代表する中国画の巨匠と称されている水墨画家斉 白石(さい はくせき)の五男にあたります。 字は子泷(ズィーロン)、号は迟迟( …

佐藤 重教

佐藤重教(さとう じゅうきょう)は、京都を拠点に活動した西陣織作家として知られています。 初代(1917年生)と二代目(1947年生)の二人が確認されており、親子で同名を継承していたとされています。 作風は、西陣織の伝統 …

丸山 晩霞

丸山晩霞は、明治から昭和初期にかけて活躍した水彩画家です。 丸山は長野県東御市に生まれ、本名は健作といいます。18歳頃に上京し、神田の画学舎や本多錦吉郎の私塾「彰技堂」で洋画を学びました。その後、洋画家・吉田博の水彩画な …

歌川 貞秀

歌川貞秀は、江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した浮世絵師です。 歌川は下総国布佐(千葉県我孫子市)に生まれ、本名は橋本兼次郎といいます。歌川国貞(三代豊国)に学んだとされ、歌川派の絵師として文政期頃より挿絵などを …

小林 永濯

小林永濯は、幕末から明治時代に活躍した日本画家・浮世絵師です。 小林は、日本橋の魚問屋に生まれ、幼少期より狩野派の画法を学びました。その後、彦根藩井伊家のお抱え絵師への登用が持ち上がるなど、若くしてその並外れた才能を認め …

大田垣 蓮月

大田垣蓮月は、幕末から明治初期にかけて、和歌・書・陶芸を通じて活躍した文化人です。 大田垣は、武家の血筋に生まれ、幼少期に大田垣家の養女として迎えられました。40代前半までに夫や子どもを次々と失い、こうした不幸を経て出家 …

鄭 道昭

鄭道昭(てい どうしょう)は、中国南北朝時代に活躍した北魏を代表する書家・詩人です。名門の出身で、光州の刺史などの要職を歴任しました。 鄭道昭が現在の中国山東省の岩山に残した摩崖刻石は「鄭道昭刻石」などと総称されています …

胡 蘭成

胡蘭成は、中国出身の思想家・政治家・作家・書家です。 1906年、中国浙江省嵊県に生まれました。 本名は胡 積蕊、幼名は蕊生といいます。若い頃から文章に優れ、杭州の蕙蘭中学で学んだ後、北京の燕京大学の講義を聴講するなどし …

横山 清暉

横山清暉(よこやま せいき)は、江戸時代後期から幕末期にかけて京都で活躍した四条派の日本画家です。 横山は京都で生まれ、はじめ江村春甫から手ほどきを受け、松村景文に四条派の画風を学びました。主に花鳥画・山水画・人物画を得 …

西山 芳園

西山芳園(にしやま ほうえん)は、江戸時代後期に活動した四条派の流れを汲む日本画家です。 芳園は大阪で生まれ、はじめは中村芳中に師事し、中村の紹介を受けて四条派の松村景文や横山清暉に絵を学びました。大阪において制作活動を …

谷口 香嶠

谷口香嶠は、明治時代から大正時代にかけて京都画壇で活躍した日本画家です。 1864年、現在の大阪府和泉市に生まれ、旧姓は辻、本名は雅秀と言います。別号として「後素斎」、「羅浮山人」、「藤原雅秀」などがあります。 1871 …

長谷川 玉峰

長谷川 玉峰(はせがわ ぎょくほう)は、幕末から明治初期に京都で活躍した四条派の日本画家です。 長谷川は京都に生まれ、四条派の松村景文に絵を学びました。景文の洗練された画風を受け継ぎ、花鳥画や人物画を得意としました。また …