徳川 斉昭は江戸時代に活躍した大名であり、江戸幕府十五代将軍・徳川慶喜の実父としても知られています。
また、斉昭は漢詩や漢文、書の作品を多く残し、文化人としても高い評価を受けています。
1800年、江戸小石川の水戸藩邸にて、水戸藩第七代藩主・徳川治紀の三男として生まれました。
会沢正志斎のもとで水戸学を学び、部屋住みとして過ごしていましたが、1829年に兄の跡を継いで第九代水戸藩主となります。
藩主就任後は、藩財政の再建や藩士の規律強化に努め、弘道館の設立や偕楽園の造園など、藩政改革を積極的に推進しました。
しかし1844年、大規模な軍事訓練の実施や寺院整理による仏教弾圧などの改革が幕府に警戒され、謀反の疑いをかけられて隠居を命じられました。
藩政の実権は「門閥派」と呼ばれる結城寅寿らに移りましたが、下士層を中心とする復権運動の高まりもあり、1849年に謹慎を解かれて藩政への関与を許されました。
1853年のペリー来航の際には海防参与として幕政に加わり、攘夷論を唱えて外国排斥を主張しました。
しかし、開国を進める井伊直弼らと対立し、次第に幕府内での影響力を失っていきます。
その後も将軍継嗣問題や日米修好通商条約の調印をめぐって争いが続き、1859年には水戸藩江戸屋敷での「永蟄居」を命じられました。そして翌年、処分が解かれないまま水戸で亡くなりました。
政治家としては厳格な藩政改革を断行し、文化人としては弘道館や偕楽園を築いた斉昭は、幕末の日本に大きな思想的影響を与えた人物として今も語り継がれています。






