細井 広沢

細井 広沢は、江戸時代中期に活躍した儒学者・書家・篆刻家です。

1658年、遠江国掛川(現在の静岡県)に生まれた細井は、11歳で江戸に出ました。

その後は、1672年から坂井漸軒に「朱子学」を、1677年から北島雪山・都筑道乙に「書道」を教わりました。

学問への探求心が強かった細井は、兵学・天文・歌道など幅広い知識を身に着け、特に腕の良かった書は高く評価されました。

また、堀内正春から剣術を学び、赤穂浪士の堀部武庸と親しくなりました。「赤穂事件」でも堀部武庸を通じて赤穂浪士に協力するほど、互いに信頼しあっていたようです。

元禄前期には柳沢吉保に召し抱えられましたが、松平輝貞と友人の間で起こった揉め事に関与し、細井を追い払うようにと柳沢家に圧がかかったことで追放されました。

細井は書を多く手掛け、唐様の発展に貢献しました。また、日本篆刻の先駆者の一人とされています。

著書に『国字国訓弁』『紫微字様』『観鵞百譚』などがあります。

伊藤 蘭嵎

伊藤 蘭嵎は、江戸時代中期に活躍した儒学者です。

1694年、蘭嵎は儒学者の「伊藤仁斎」の五男として京都に生まれました。

父親の仁斎は、一般的な朱子学よりも古義学こそ正しい儒学であると考え、町民に学問を広めた人物です。

仁斎には5人の子供がいて、全員に「蔵」の字が使われていました。その中でも長男(東涯)と五男(蘭嵎)が特に優秀だったことから「伊藤の首尾蔵」と呼ばれるようになりました。

1731年からは紀伊藩に仕えていましたが、東涯が亡くなった事をきっかけに、父親が開いた塾である「古義堂」を10年預かりました。

蘭嵎は父親の価値観を受け継ぎながらも、より理論的な学問を展開し、平秩東作、宮崎筠圃、井口蘭雪など多くの弟子を育てました。

著書に『書反正二巻』『大学是正一巻』『蘭嵎雑記六巻』などがあります。

李迪

李迪は、中国の南宋時代(1127年-1197年)に活躍した宮廷画家です。

李迪に関する情報は少なく、生没年は不明ですが河陽出身とされています。

花鳥画や動きのある作品が得意で、南宋時代を代表する画家の一人として知られています。

時代ごとに画風が変わっていきますが、南宋時代は宮廷画院の画家たちが活躍した最盛期とも言われており、今でも質の高い作品が多く残されています。
特に李迪は、伝統を尊重した写実性や装飾性を重要視した作品を多く描きました。

繊細な筆使いや、細部まで写実的に描かれた味わい深い作品たちは、後世においても評価が非常に高く、今も東京国立博物館などで保存されています。

代表作には『紅白芙蓉図』『雪中帰牧図』などがあります。

東洲斎 写楽

東洲斎 写楽は1794年~1795年と短い期間のみ活動した謎多き浮世絵師です。

10か月程度の活動期間にもかかわらず、役者絵を中心に140点以上もの作品を発表。その後は忽然と姿を消し、残ったのは彼の作品だけでした。

写楽の正体について様々な仮説が提唱されていますが、決定的な証拠が見つかっていないため今も議論が続いています。しかしその謎めいた存在が、写楽の魅力をより一層高めているのかもしれません。

写楽の作品は、役者の個性や感情を鋭く捉えた描写が特徴で、特に「大首絵」と呼ばれる大胆な構図の作品で知られています。役者の表情だけでなく、着物に描かれた家紋から役者が分かるようにするなど細部までこだわっています。

このように役者の特徴を誇張したダイナミックな作風は、江戸の人々の間では賛否両論ありましたが、明治以降に海外へ作品が流れるようになると、大きな反響を呼びました。

彼の作品は国内外の美術館で所蔵され、時代を超えて多くの人々を魅了し続けています。

代表作には『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』『市川鰕蔵の竹村定之進』『三代目坂田半五郎の藤川水右衛門』などがあります。

鳥文斎 栄之

鳥文斎栄之は、江戸時代後期に活躍した武家出身という異色の経歴をもつ浮世絵師です。美人画を中心に多彩な作品を手掛け、「十二頭身」という独自の様式を確立しました。

1756年、栄之は祖父の代から「江戸勘定奉行」を任されていた立派な家柄に生まれました。若くに家督を継承し徳川家治に仕えていましたが、1786年に家治が病死。それから3年後に栄之は隠居し、浮世絵師としての人生を歩み始めました。

彼の描く女性像は、その色使いや細くしなやかな線などから控えめで知的な美しさが感じられ、当時の浮世絵界に新しい風を吹き込みました。

上流階級や知識人などからは特に愛されていたことが知られています。

人気の高い浮世絵師ですが、幕末から明治にかけて多くの作品が海外に流出した為、国内で彼の全貌を知ることは難しくなっています。

代表作には『青樓藝者撰・いつとみ』『青楼美人六花仙 扇屋花扇』『隅田川図巻』などがあります。

菱川 師宣

「浮世絵の祖」と呼ばれる菱川師宣。これまで絵入本の挿絵程度に捉えられていた浮世絵版画を一枚の芸術作品として確立させ、江戸の庶民文化の中での美人画や風俗画の発展に貢献しました。

菱川の生年については、1618年(元和4年)と1630年(寛永7年)頃という2つの説があります。​幼いころから縫箔師だった父親を手伝い、美的センスと繊細な技術を磨いていきました。​成長した菱川は江戸へ向かい、「狩野派」「土佐派」「長谷川派」などの伝統的な絵画技法を独学で学び、それを基礎に新しい絵画様式を作りあげていきました。

菱川の描く女性像は人気が高く「これぞ江戸美人である」と賞賛されました。

​当時の風俗や美人画を中心に多彩な題材を描き、庶民の等身大の生活や文化を知る上で貴重な資料となっています。

代表作には『見返り美人図』『歌舞伎図屏風』『伽羅枕』などがあります。

鳥居 清信

鳥居 清信は、江戸時代中期の浮世絵師です。 歌舞伎劇場の絵看板などを手掛けていた父、鳥居清元から絵を学びました。 「役者絵」を浮世絵版画の重要な画題として確立させ、現代にまで続く「鳥居派」の祖と言われています。 役者の筋 …

北尾 重政

北尾重政は「北尾派の祖」として知られている江戸時代中期の浮世絵師です。 生家が書肆を営んでいたため、幼い頃から書物や版画に触れ、俳諧や書道、絵も得意という多才な子供でした。それからは様々な絵師の画風を参考にしながら独学に …

郭煕

郭煕は、中国北宋時代を代表する山水画家です。   宋の第五代皇帝・神宗のもとで宮廷画家として仕え、その才能と技術によって、山水画の発展に大きく貢献しました。特に、自然の雄大さや繊細さを捉える力に優れ、北宋山水画 …

董 寿平

董寿平は、中国の著名な画家・書家です。   山西省出身で、生家には膨大な絵画や書画のコレクションがありました。そんな周囲の影響を受け、画家・書道家としての基礎を築き上げました。 1926年に北京の東方大学を卒業 …

織田 信長

織田信長は、戦国時代に活躍した日本随一の知名度を誇る武将です。 尾張(現在の愛知県)に生まれ、若くして織田家の当主となった彼は、型破りな発想と大胆な行動力で急速に勢力を拡大していきました。   1560年、今川 …

王 成喜

王成喜は、中国河南省出身の画家です。 1940年に生まれ、1966年に中央美術工芸学院を卒業します。中国花鳥画の巨匠・董寿平に師事し、伝統的な中国画の技法を基に、繊細で色彩鮮やかなスタイルを確立しました。   …

山本 紅雲

山本紅雲は、兵庫県伊丹市出身の日本画家です。   京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)で学び、日本画の大家である竹内栖鳳に師事しました。その作品は、繊細な筆使いと豊かな色彩表現で高く評価されています。 …

小田 雪窓

1901年、小田雪窓は鳥取県に生まれました。 1913年、12歳で故郷鳥取の廣徳寺にて得度し、臨済宗の僧となります。その後、修行を重ね、1921年には18歳で京都へ移り、妙心寺に落ち着きました。 1947年、師である瑞巌 …

立花 大亀

立花大亀は臨済宗の僧侶であり、茶道や書道、禅の世界で名を馳せた人物です。 大阪府に生まれた大亀は、22歳の時に南宗寺で得度(僧侶になるための出家)します。その後は臨済宗大徳寺派の徳禅寺住職を経て、大徳寺の住職まで務めまし …

渡辺 省亭

渡辺省亭(せいてい)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本画家で、特に花鳥画で名を馳せました。     16歳のときに歴史画家の菊池容斎に師事し、写生を重視した絵画技術を磨き上げました。1878年のパリ万博では、工芸品 …

狩野 芳崖

狩野芳崖は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて活躍した日本画家です。 狩野派の伝統を受け継ぎつつ、近代的な絵画技法を積極的に取り入れたことで知られています。   彼は、西洋画の技法を日本画に融合させることによ …

狩野 正信

狩野正信は、室町時代後期の絵師です。 狩野派の創始者として、日本の絵画史において重要な位置を占めています。   正信は京都で生まれ、仏教や神道に関わる絵を手掛ける家系に育ちました。正信の絵は、写実的な技法と華や …

狩野 永徳

狩野永徳は、安土桃山時代を代表する絵師であり、狩野派の最も重要な画家として広く知られています。   狩野派は、室町時代後期に創設され、特に戦国時代から江戸時代にかけて、豊富な絵画依頼を受けて華やかな装飾画を数多 …