島崎 藤村

島崎 藤村は、日本を代表する文豪の一人です。

1872年、島崎は筑摩県馬籠村(現在の岐阜県中津川市馬籠)で生まれました。
代々本陣や庄屋を務めた家柄で、父・島崎正樹は国学者でした。
10歳の頃に上京し、泰明小学校に入学。その後、明治学院普通部本科に進学し、在学中にキリスト教の洗礼を受けました。

卒業後は、北村透谷らとともに文学雑誌『文学界』を創刊し、詩人としての活動を本格化させます。
またこの頃、島崎は女学校の教員を務めていましたが、教え子の佐藤輔子を愛してしまい、翌年に辞職しています。

1897年、詩集『若菜集』を発表し、浪漫主義の詩人として注目を集めます。
以降、詩から小説へと活動の幅を広げ、自然主義文学の旗手として地位を確立しました。

1943年には『東方の門』の連載を始めましたが、同年、脳溢血のため亡くなりました。
最期の言葉は「涼しい風だね」であったと伝えられています。

島崎は、時代の流れと自らの経験を重ねて作品を変化させた、日本近代文学において重要な作家として今でも高く評価されています。

代表作には『破戒』『夜明け前』『新生』などがあります。

任 頤

任 頤(任 伯年)は、清末に活躍した中国の画家です。
花鳥・人物・山水画を得意とし、中国の伝統と西洋絵画の要素を融合させた独自の作風が特徴です。
また、海上派の蒲華、虚谷、呉昌碩とともに「海派四傑」と称されています。

任頤は、1840年に浙江省紹興府山陰県航塢山の農村に生まれました。
父の任鶴声、伯父の任熊・任薫も画家という環境で育ち、幼い頃から彼らの影響を受けていました。
15~16歳で叔父の作品を模写して売りはじめますが、叔父に知られた際には、怒られるどころか「才能がある」と弟子に招かれたという逸話が残っています。

太平天国の乱では旗手として活躍し、天京(南京)陥落と共に故郷に戻りました。
その後は上海にて「古香室」という扇子店を開き、文人画家たちと交流しながら画家としての活動を続け、1895年に肺炎で亡くなっています。

西郷 南洲(隆盛)

西郷南洲(さいごう なんしゅう)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて活躍した日本の政治家・武士・軍人で、幕末維新の立役者の一人です。

自分の立場にかかわらず周囲の人を大切にし、下や仲間に慕われ、多くの人をまとめる力がありました。義務・誠実・忠義を重んじ、自己中心ではなく大義のために動きました。

歴史的には明治維新の立役者として高く評価され、「西郷どん」として現代のドラマや書籍でも親しまれています。

簡単に言うと、西郷南洲は 「正義感と誠実さを持ち、人々に慕われながら行動した、最後の武士的な人物」 です。

書画・行書を多く制作した一面もあり、現代でも直筆の作品は高い人気を持ちます。

斉白石

斉白石は中国湖南省出身の近代中国絵画を代表する巨匠です。

木工職人として生計を立てる傍ら独学で書がを学び、清朝末期から中華民国、さらに中華人民共和国の時代を生き抜きました。

花鳥図、魚、蝦、蟹、昆虫、野菜などい身近な題材を巧みに取り入れ、力強い筆致と独自のユーモラスな表現で知られています。水墨に鮮やかな彩色を加える独自の技法は、写実と簡潔な造形美を融合させ幅広い層に愛されました。

1953年には中国政府から「人民芸術家」の称号を授与され、1955年には国際平和会議より「世界十大文化名人」の一人に選出されるなど国内外で高い評価を受けています。晩年に至るまで創作意欲は衰えずその作風は円熟味を増し、軽妙さと深みを併せ持つ境地に達しました。

今日においても斉白石の作品は中国美術市場で極めて高い人気と評価を誇り、オークションでは高額で取引されることが多く、その芸術性と希少性は世界的に認められています。

親鸞

鎌倉時代の僧・親鸞(しんらん)は、浄土真宗の宗祖として知られ、「親鸞聖人」と尊称されています。

1173年に京都で生まれ、争いや災害、疫病、大飢饉が相次ぐ不安定な世の中で幼少期を過ごします。

叔父に伴われて9歳で出家し、比叡山延暦寺にて修業に励みました。
しかし、20年修行を続けても悩みが絶えなかった親鸞は、山を下りて聖徳太子ゆかりの六角堂に籠もることを決めました。

六角堂で過ごしてしばらく経ったある晩、聖徳太子が夢に現れました。
親鸞は、これをきっかけに法然のもとを訪ね、教えを学ぶようになります。

その後、親鸞は「阿弥陀仏の力を信じて念仏を唱えれば、善人・悪人関係無く皆が救われる」という法然の教えを広めましたが、他宗から強い反発を受けたことで朝廷が弾圧に踏み切り、越後へ流罪となってしまいます。

のちに罪を許された親鸞は関東へ向かい、布教活動を行いながら約20年間滞在しました。
63歳になると京都へ戻り、亡くなるまで布教と執筆活動に励んだといいます。

親鸞の教えは受け継がれ、今では日本国内で最多の信者数を誇る宗派として、人々の心の支えとなっています。

自筆の書や、後年の復刻工芸などは美術品としても親しまれております。

本居 宣長

本居 宣長は、江戸時代を代表する国学者・医師です。
荷田春満・賀茂真淵・平田篤胤と共に、日本らしさを追求する「国学」という分野を確立させました。

宣長は、1730年に伊勢国松坂の木綿問屋である小津家に生まれました。
23歳になると医師を志し、京都で医学朱子学を学び始めます。
数年後には帰郷して開業し、生涯にわたって町医者として尽力しました。

また、古典の研究に力を注いだことでも知られ、『源氏物語』でみられる「もののあはれ」という情緒こそが、文学の本質であると提唱しました。

さらに、平仮名が登場する以前に書かれ、解読不可能とされていた『古事記』を、一文字ずつ解読して江戸の言葉に直しました。そして約35年を費やして完成したのが、かの有名な『古事記伝』です。

本居宣長は、医師として活躍しながら国学者として日本文化の本質を究め、日本文学の研究や国学の発展に大きく貢献しました。

濱田 観

濱田観は、花鳥画を中心に活躍した兵庫・姫路生まれの日本画家です。繊細な筆致と淡い色彩で自然の美しさを表現しました。 大阪で洋画を学びつつ商業デザインにも携わる中、1929年に竹内栖鳳に師事。1933年、京都市立絵画専門学 …

勝 海舟

勝海舟は、幕末から明治期にかけて活躍した政治家・軍人・思想家で、日本の近代化に大きな影響を与えた人物です。 勝海舟は、幕府海軍の創設に力を尽くし、日本の近代海軍の基礎を築きました。1860年には咸臨丸に乗って、日本人とし …

東皐 心越

東皐 心越は、江戸時代初期に中国から渡来した禅僧です。 心越は、1639年に中国浙江省で生まれました。 幼い頃より仏門に入り、1676年に清による圧政から逃れるため、日本へ亡命しました。 長崎に移住し、日本各地を訪れてい …

織田 一磨

織田一磨は、主に都市の風景を描いたことで知られる版画家です。 生まれは東京ですが、12歳の頃に大阪へ移りました。 16歳になると、石版画工をしていた兄から石版画の技術を学びました。 その後1903年に東京へ戻り、川村清雄 …

山本 梅逸

山本 梅逸は、花鳥図を得意とした文人画家で「尾張南画の巨匠」と称されています。 1783年、梅逸は名古屋に生まれました。 幼い頃から絵が好きだった彼は、12歳で見事な襖絵を描きあげ周囲を驚かせたという逸話があります。 父 …

曾我 蕭白

曾我 蕭白は、江戸時代中期に活躍した絵師です。 独特で強烈な画風が特徴的で、「奇想の絵師」と呼ばれました。 彼に関する詳細な資料はほとんど残されておらず、その生涯は不明な点が多いです。 1730年に京都の商家に次男として …

清巌 宗渭

清巌 宗渭は、江戸時代前期に活動した臨済宗の僧です。 近江(滋賀県)に生まれ、9歳で大徳寺の「玉甫紹琮」について得度しました。 師が亡くなると「賢谷宗良」のもとにつきました。 のちに大徳寺第170世を務め、多くの寺院の開 …

隠元 隆琦

隠元 隆琦は、中国福建省生まれの禅僧です。 臨済宗や曹洞宗と並ぶ、日本の三大禅宗のひとつである「黄檗宗」の開祖として知られています。 1592年に福建省で生まれた隠元は、28歳で出家。35歳で悟りを開きました。 長崎の唐 …

賈又福

賈又福は、山水画を得意とする中国の画家です。 1942年、賈又福は中国河北省に生まれました。 中央美術学院に通い、卒業後は「李克然」に師事しました。 現在では、母校で教授を務めています。 彼は、中国北部の太行山脈を題材と …

周徳

周徳は、雪舟の優秀な弟子であり、雪舟流を正統に受け継いだ画僧です。 惟馨(いけい)と号し、山水画や人物画を得意としました。 周徳の生没年については明らかにされておらず、遺された作品などから16世紀初頭に活動していたとされ …

小堀 遠州

小堀 遠州は、江戸時代初期に活躍した茶人・作庭家・建築家です。 「遠州」という名前は通称であり、本名は「小堀 政一」です。 1579年、近江国(現在の滋賀県)に生まれた遠州は、父親から英才教育を受けて育ちました。 159 …

仙厓 義梵

仙厓 義梵は、脱力感のあるユニークな禅画で知られる禅僧です。 1750年、仙厓は美濃(現在の岐阜県)に貧しい農民の子として生まれました。11歳で出家得度し、「仙厓義梵」の名を与えられます。 40歳で聖福寺の住職となり、6 …

即非 如一

即非如一は、江戸時代前期に中国・明から日本へ渡来した臨済宗の僧侶です。 1616年、福建省福州府福清県に生まれた如一は、早くに父親を亡くしました。18歳で出家した後、黄檗宗の開祖である「隠元隆琦」に師事しています。 隠元 …

細井 広沢

細井 広沢は、江戸時代中期に活躍した儒学者・書家・篆刻家です。 1658年、遠江国掛川(現在の静岡県)に生まれた細井は、11歳で江戸に出ました。 その後は、1672年から坂井漸軒に「朱子学」を、1677年から北島雪山・都 …

伊藤 蘭嵎

伊藤 蘭嵎は、江戸時代中期に活躍した儒学者です。 1694年、蘭嵎は儒学者の「伊藤仁斎」の五男として京都に生まれました。 父親の仁斎は、一般的な朱子学よりも古義学こそ正しい儒学であると考え、町民に学問を広めた人物です。 …

李迪

李迪は、中国の南宋時代(1127年-1197年)に活躍した宮廷画家です。 李迪に関する情報は少なく、生没年は不明ですが河陽出身とされています。 花鳥画や動きのある作品が得意で、南宋時代を代表する画家の一人として知られてい …

東洲斎 写楽

東洲斎 写楽は1794年~1795年と短い期間のみ活動した謎多き浮世絵師です。 10か月程度の活動期間にもかかわらず、役者絵を中心に140点以上もの作品を発表。その後は忽然と姿を消し、残ったのは彼の作品だけでした。 写楽 …

鳥文斎 栄之

鳥文斎栄之は、江戸時代後期に活躍した武家出身という異色の経歴をもつ浮世絵師です。美人画を中心に多彩な作品を手掛け、「十二頭身」という独自の様式を確立しました。 1756年、栄之は祖父の代から「江戸勘定奉行」を任されていた …

菱川 師宣

「浮世絵の祖」と呼ばれる菱川師宣。これまで絵入本の挿絵程度に捉えられていた浮世絵版画を一枚の芸術作品として確立させ、江戸の庶民文化の中での美人画や風俗画の発展に貢献しました。 菱川の生年については、1618年(元和4年) …