郭煕

郭煕は、中国北宋時代を代表する山水画家です。

 

宋の第五代皇帝・神宗のもとで宮廷画家として仕え、その才能と技術によって、山水画の発展に大きく貢献しました。特に、自然の雄大さや繊細さを捉える力に優れ、北宋山水画の頂点を築いた人物として知られています。

 

彼の作風は、自然の奥行きや広がりを表現する革新的な技法で特徴づけられます。
特に有名なのは、郭煕が自著『林泉高致』で論じた「三遠」と呼ばれる表現技術です。高さを感じさせる「高遠」、奥行きを強調する「深遠」、そして広がりを見せる「平遠」という三つの視点を巧みに組み合わせ、壮大な風景の立体感と空間の広がりを描き出しました。
筆致は力強くも繊細で、山や川、霧といった自然の要素を生き生きと表現し、静謐な中に動きを感じさせる独特の美しさを放っています。

 

彼の代表作である『早春図』は、冬の終わりから春の訪れを描いた名作として知られ、濃淡の変化や霧の表現が非常に巧みです。この作品は、現在台北の国立故宮博物院に所蔵されており、宋期の至宝として語り継がれております。

 

池田 遙邨

池田遙邨は文化功労者として表彰を受けた日本画家です。

岡山県に生まれた池田遙邨は、幼少期より画才があり父親の転勤に伴い大阪へ転居した後に洋画家の松原三吾郎の天災画塾に入門し、洋画を学びました。

1914年に第8回の文展にてみなとの曇り雲が入選、当時は10代の池田遙邨が入選したことで話題になりましたが、1912年に初めて福山市で個展を開いた際に小野竹喬に出会ったことで日本画へ興味を持つようになりました。
みなとの曇り雲が入選した後に小野竹喬を頼って京都に出て竹内栖鳳の画塾竹杖会に入ることで日本画に転向し、京都市立絵画専門学校別科に入学した頃から暗い主題を好むようになりますが、同校を卒業後は一変して軽やかでのびのびとした画風を好むようになります。

烏城会を結成後は、池田遙邨が旅好きであったことから徒歩による東海道写旅行の決行をはじめとして、北海道、南海道を巡り風景画をよく描きました。
戦後は文学やニュースに触発されながらもどこか現実離れした幻想性豊かな画境にいたり、独自の画境による風景画を残した作家であるといえます。