旧日本軍

旧日本軍は、第二次世界大戦の敗戦により解体された日本の防衛組織であり、天皇総帥のもとにあった陸軍・海軍を指します。

前身は明治新政府の富国強兵政策において、明治天皇の親衛を名目に構成された「御親兵」という常備軍です。1870年代に陸軍省、海軍省がそれまでの兵部省から独立するなど、国軍として整い始めました。
軍の整備は外国との戦争に備えるためであり、その後日清戦争や日露戦争に向かってゆくこととなりました。

大正期・昭和期に入ると、軍の統帥権を巡った政府と軍部の対立が起こりました。法の上では両者は対等の地位として定められていましたが、やがて諸要因から軍部が政治に及ぼす力は大きなものとなっていきました。

1931年の満州事変による中国侵略を契機に日本は国際的孤立を深め、中国への影響を強めていきます。それはやがて1937年の盧溝橋事件へと繋がり、日中戦争へ発展します。
その戦火をさらに広める形で1941年から太平洋戦争が始まります。国民も多く徴兵される中、太平洋全域で戦火が続き、1945年にポツダム宣言を受諾。戦争が終結しました。同年には陸軍・海軍が解体されます。
1954年に自衛隊と防衛省が設置され、45年までの陸海軍は旧軍、旧日本軍などと称されるようになりました。

旧日本軍の軍服や勲章は、現在ではコレクターの間で骨董的な人気を獲得しております。

井尾 建二

1945年香川県高松市に井尾建二は、金工家である井尾敏夫の次男として生まれました。

大学時代に父から錬金・彫金の技術を学びます。

1971年には伝統工芸新作展に初入選しました。

以降、連続出品をするとともに全国各地で個展を開催します。

工芸家としてだけでなく、伝統の継承と革新性を併せ持つ井尾建二は、現在では青山彫金・金工スクールの主宰を務めています。

また日本伝統工芸展において鑑審査員を歴任し、『日本工芸会』の金工部前会長も務められました。

井尾建二の作品は、日本古来のクラシカルな金工の伝統を受け継ぎながらも独自のオリジナリティ溢れる感性で、現代の生活空間に合う美を追求した作品を残し、多くの人を魅了しています。