アンヘレス・セレセダは、1962年にスペインのサンタンデールに生まれた油彩画家です。
1982年に同国の画家J・トレンツ・リャドが設立した地中海絵画自由学校に入学し、リャドの教えを学びながらモデルとしても活躍しました。リャドが描いた彼女の肖像画も現存しています。卒業後しばらくは同校で教鞭も取りましたが、現在は独立して活動を続けています。
光と影のコントラストや、優雅なタッチで描かれた花の作品などが特徴的で、また、師匠であるJ・トレンツ・リャド同様に肖像画家としても目覚ましい作品を残しています。
1994年以降はスペインや日本をはじめとする世界各地で展覧会を開催しており、J・トレンツ・リャドの後継者として光を浴び始めています。
本多天城は、明治時代から昭和時代にかけて活躍した日本画家です。
本多は江戸に生まれ、本名を佑輔(ゆうすけ)といいます。19歳で「近代日本画の父」と称される狩野芳崖に師事し、岡倉秋水や岡不崩らとともに「芳崖四天王」の一人に数えられました。その後、東京美術学校を卒業し、29歳という若さで母校の助教授に就任しました。明治30年の第2回日本絵画協会共進会、および同年の第3回共進会でともに銅牌を受賞し、明治31年の東京美術学校騒動に際しては、辞職組として連署したものの最終的に留任し、明治34年まで助教授を務めました。
彼の作品の特徴は、師である狩野芳崖から継承した狩野派の伝統的な技法(岩や樹木の描写など)をベースにしながら、西洋画の写実性や明暗法を取り入れ、独自の色彩や画境を追求した作風が特徴です。代表作の『柳鷺図』『秋野』『山水(山水図)』では、自然や生物の生命感が繊細なタッチで描かれています。
また、前漢の武将を題材とした『蘇武(そぶ)』などでは卓越した人物描写力を示しており、狩野派の伝統に近代的な表現を吹き込んだ実力派として高く評価されています。
本多天城は、伝統的な狩野派の筆遣いと西洋の空間表現を融合させ、日本画の発展に貢献した画家といえます。
水野年方は、明治時代に活躍した浮世絵師・日本画家です。
江戸・神田に左官屋の子として生まれた年方は、幼少期から優れた画才を見込まれ、13歳で最後の浮世絵師と称される月岡芳年に入門して伝統的な浮世絵の技術を学びました。明治後期には新聞の挿絵を多く手掛け、時代を代表する人気絵師として活躍。『やまと新聞』や『都の花』などで数々の口絵や挿絵を描き、その高い実力が岡倉天心に認められました。これにより日本青年絵画協会へ加わると、明治31年(1898年)の日本美術院創立の際には賛助会員として参加しました。門下からは、鏑木清方や池田輝方、池田蕉園といったのちの美人画の最高峰と称される名手たちが輩出されており、教育者としても極めて大きな功績を残しています。
彼の作品の特徴は、代表作『三十六佳撰』『今様美人』をはじめ、美人画・風俗画の秀作を残しており、人物を小さく描き余白を活かした構図や、繊細なぼかし技法を用いた近代的な画風が特徴です。明治という新しい時代の空気をまとった、華やかながらも気品に溢れた美人画を得意とする一方で、歴史画も描いており、弟子の鏑木清方によると、依頼ではなく自ら進んで描く場合は歴史をテーマにすることを好んだといわれています。
水野年方は、近代化が進む中で、伝統的な浮世絵の技法を受け継ぎつつ、新聞・小説の挿絵や「美人画」「歴史風俗画」に新境地を開拓し、後進の育成にも多大な貢献をした作家といえます。
魚屋北渓(ととやほっけい)は、江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。元々は江戸の四谷で魚屋を営んでいたことから、魚屋北渓と称されました。
初めは木挽町狩野派の奥絵師(江戸幕府の御用絵師、最も格式の高い職)である狩野惟信に絵を学び、そののちに葛飾北斎に師事します。肉筆画や狂歌絵本(社会風刺や滑稽さを込めた和歌である「狂歌」に、一流の浮世絵師が描いた豪華な挿絵を添えて出版された江戸時代の版本)の挿絵などを多く残しました。
師匠譲りの大胆な構図、観察眼から描き出される緻密な描写や繊細な色遣いが特徴的です。
魚屋北渓の作品は国内のみならず大英博物館やボストン美術館など外国の美術館にも展示され、世界中で親しまれています。
市ノ木慶治(しのき けいじ)は、名古屋が生んだ伝説の画工として高い評価を受けている画家であるとともに、オールドノリタケの陶磁器において高い人気を誇る絵付画家としても知られています。
1891年に愛知県名古屋市で生まれた市ノ木は、1905年に森村組絵付工場に入社しました。森村組は、日本の陶磁器を海外へ輸出し、直輸出事業を成功させた先駆的な商社として知られています。
その後、見習い、雇を経て画工となり、鈴木不知や鬼頭鍋三郎の指導を受けました。1928年に帝展へ初入選すると、その後は官展や二科展、光風会への出品のほか、個展も開催するなど、中部画壇でも活躍しました。
また、日本陶器(現在のノリタケグループの前身)において個人名のサインを作品に残すことが認められた数少ない画工として、社内美術学校の先駆けとなる日本陶器技芸科で後進の育成にも携わり、技術の継承にも貢献しています。
市ノ木が手がけた作品は海外でも高い評価を受けており、「薔薇の市ノ木」と評されています。
1953年佐賀県に生まれた川村 悦子は、京都市立芸術大学で西洋画を学び、写真的な精密さと、心象風景を融合させた透明感あふれる作品で、評価を確立してきた現代美術作家です。
「曇りガラス」や「樹木記」といったシリーズに加え、1999年から続くライフワークの「蓮」シリーズでは、静寂と生命力が共存する独自の精神世界を描き出しています。
近年は日常の風景を題材にするだけでなく、襖絵や屏風、掛軸などの伝統的な形式に西洋画の技法を融合させる試みにも注力しており、文化庁芸術家在外研修員としてのミラノ滞在を経て、京都市文化功労賞などを受賞。
現在は、京都芸術大学特任教授として後進の育成にも深く携わっています。