五百住 乙人(いおずみ きのと)は、脇田和に師事し、立軌会に所属して洋画(油彩)を中心に制作した画家です。
静物画をはじめ、動物や人物を取り入れた油彩作品が見られ、師である脇田和に通じる落ち着いた色調と、大胆で厚みのある筆致が特徴の一つです。華やかさを前面に出すというよりも、やや沈んだ中間色を基調とし、その中で対象の存在感を際立たせる構成が取られることが多く、静謐で落ち着いた画面空間を形成しています。
立軌会を中心とした活動を通じて継続的に作品制作を行い、戦後の洋画壇における一作家として独自の表現を展開しました。
清水信行(しみず のぶゆき)は、日本画を中心に制作する画家です。風景画、とりわけ富士山を主題とした作品を多く手がけています。
雄大な自然景観を題材とし、なかでも富士山を描いた作品には「富岳」と題されたものが確認されています。構図としては、堂々とした山容を画面中央に据え、四季や時間の変化を背景描写によって表現する形式が見られます。
筆致は比較的明瞭で、山肌や雲の表現に厚みをもたせる点が特徴の一つといえます。
富士を描いた作品では、赤富士や雪をいただく富士など、日本的象徴性の強いモチーフが扱われ、明快な構図と鮮やかな色彩によって装飾性のある画面が構成されています。
横山 真弥(よこやま まや)は、日本のイラストレーター/画家で、主として児童向けのメルヘン(幻想・童話)世界を描く作家です。
東京都出身で、日本児童教育専門学校の絵本創作専攻科を修了し、絵本表現やメルヘン的イラストレーションの基礎を学びました。
1988年頃には家族と共に岡山県美星町に移住し、1992年の初個展以降は、岡山県内外や広島を中心にギャラリーでの発表を重ねています。
作風は、天使・妖精・子供・動物・夢のような風景などを描くメルヘン調のイラストレーションおよび版画 が中心です。
まとめると、横山真弥は児童向けの幻想的・メルヘン風イラストレーションと版画を手掛け、国内のアートギャラリーや百貨店での展示販売を通じて作品を発表し続けている人物です。
ダナ・クイーンは、1944年11月にアメリカ・デトロイトで生まれました。ブランディス・ファインアート・スクール在学中の1974年に、後に夫となるジョン・ピトレーと出会い、以降は二人で芸術活動を展開しています。
その後ハワイへ移住し、イルカへの深い愛情を背景に、独自の表現で海中の生命を描き続けてきました。
主なモチーフはイルカや海といった自然で、油彩をはじめ、リトグラフやシルクスクリーンなど多様な技法を用いた作品も手がけています。海の生命や光の美しさをテーマに、現在も精力的に創作活動を続けています。
ノーマン・ロックウェルは、20世紀アメリカを代表する画家・イラストレーターです。
家族や地域社会、子どもたちの日常を写実的かつ温かみのある表現で描き、重厚な質感やユニークな視点、豊かな感情表現により大衆から広く支持されました。また、雑誌『サタデー・イブニング・ポスト』の表紙画を通じて、市民の生活や当時の社会的価値観を描き続けたことでも知られています。
制作では実在の人物をモデルに写真撮影を行い、精密な下絵を経て油彩で仕上げる手法を一貫して用いました。
画業の後期には社会的なテーマにも取り組んでおり、その代表作が1964年に発表された『The Problem We All Live With』です。これは「学校統合政策によって白人のみが通っていた小学校へ登校することとなったアフリカ系アメリカ人の少女が、連邦保安官の護衛を受けながら通学した」という実際の出来事を描いた作品で、当時のアメリカ社会が抱えていた人種差別問題を象徴的に表現しています。
彼が生涯に手がけた作品は2000点以上に及ぶとされていますが、1943年に起きたスタジオ火災によって多くの作品が失われました。現存する作品も市場に出る機会が限られているため、高い評価が付く傾向にあります。
松本 富太郎(まつもと とみたろう)は、日本の洋画家で、20世紀を代表する具象・抽象表現の画家の一人です。
戦前から戦後にかけて日展(日本美術展覧会)にも出品を続け、1953年には日展で「アトリエのポーズ」による特選と岡田賞受賞を果たしています。1950年代には大久保作次郎らと新世紀美術協会を結成し、日展以外の美術団体にも深く関与しました。
彼の作品は具象の写実から抽象表現まで幅広く、具象期の風景画や静物、特に薔薇を題材にした油彩作品などが流通市場でも取り扱われています。作品収蔵先としては、東宮御所や大阪市、農林水産省などの公的機関にも存在するとされます。
代表的な作品としては「薔薇」「洛北大原の里(京都)」などの油彩画が知られ、静物・風景・人物など伝統的題材を扱いながらも画面構成や色彩感覚には個性的な表現が見受けられます。