オディロン・ルドンは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの画家です。
感情など形のないものを、神話や文学のモチーフを用いて表現する「象徴主義」の代表的な作家として知られています。
フランスのボルドーに生まれ、15歳でスタニスラス・ゴランから素描を学びはじめました。
その後、植物学者のアルマン・クラヴォーと出会い、読書の手ほどきを受けました。
彼の存在は大きく、のちの作品にも影響が表れています。
さらに、ロドルフ・ブレスダンからは銅版画、アンリ・ファンタン=ラトゥールからは石版画の指導を受けました。
1870年の普仏戦争での従軍後、初の石版画集『夢の中で』を刊行しています。
ルドンの最期は悲しいもので、第一次世界大戦中に行方不明となった次男を探す途中で体調を崩し、会うことが叶わないまま自宅で息を引き取りました。
オディロン・ルドンは、独自の視点で内面を映す幻想の世界を描き続け、美術史に大きな影響を与えました。
代表作には『眼=気球』『眼をとじて』『蜘蛛』などがあります。
織田一磨は、主に都市の風景を描いたことで知られる版画家です。
生まれは東京ですが、12歳の頃に大阪へ移りました。
16歳になると、石版画工をしていた兄から石版画の技術を学びました。
その後1903年に東京へ戻り、川村清雄から洋画を学びました。
さらに「オットマン・スモリック」「金子政次郎」から石版画を学んだとされています。
葛飾北斎をはじめとした浮世絵の世界に心酔し、浮世絵の研究をしながら自身の作品制作の参考にもしていました。
彼は、時代とともに移り変わる街並みを作品に残しました。
主に東京を題材にしたものが多く、大震災前後の異なる姿が描かれた2つの作品は、織田の代表作として知られています。
代表作には『東京風景』『大阪風景』『憂鬱の谷』などがあります。
北田 稔は1969年に埼玉県で生まれ、専門学校卒業後はアニメーターやデザイナーとして活躍していきます。後にイラストレーターとして独立し、展覧会の実施や、SNSを通じて作品や制作過程の様子を発信するなど、現在においても幅広く活動を続けております。
作品の共通するポイントとしましては、可愛らしい動物やキャラクターが柔らかなタッチ感で描かれており、和やかで心癒されるような印象を与える作風が特徴的です。主に猫や鳥などを万年筆で描いたり、水彩画でとても温かみのあるイラストを描くこともあります。
また、キャラクターたちが四季と共に描かれる作品も多く、作品と一心同体かのように季節感を味わえるのも魅力の一つとなります。
ダン・パルトゥシュは、主にパステル画を描く画家です。
アルジェリアのティアレットで生まれ、ロンドンのセント・マーチンス芸術大学で学びました。
主にはフランスで活躍されましたが、後年は日本でも個展を開きました。国内外問わず幅広い方に人気がある作家となります。
静物画、特に花をモチーフにした作品が主流であり、作風の特徴としては柔らかく優しい作品となっております。
現在でも多くのファンを持つ人気の高い作家さんです。
川島見依子は、愛知県出身の画家です。
1982年に早稲田大学文学部を卒業し、1990年には日洋展に出品しました。
1993年から8年間、銀座三越で個展を開催し、全国の主要百貨店でも多数の個展を行いました。1996年には「北京景山公園風景」が国会議事堂に収蔵されています。
「富士山」に対して高い関心を持ち、特定非営利活動法人「NPO法人ふじまみたい人の会」の代表も務め、富士の自然と文化の発展・保護に貢献しました。
作品のモチーフとしても多く使用されます。
2004年に逝去しましたが、その作品は現在も美術市場で人気を集めております。
平野遼は、大分北海郡(現在の大分市)出身の洋画家です。
幼少期に福岡県八幡市(現・北九州市)に移り住み、独学で絵画を学びました。
1949年、新制作派展に蝋画「やまびこ」で初入選し、1951年には自由美術家協会展に「詩人」で初入選しました。その後、自由美術家協会の会員となり、1964年には麻生三郎らと共に主体美術協会を設立しました。
平野の作品は、人間の内面や社会の在りようを深く見つめ、独特の筆致と重厚な色彩で表現されています。特に、苦悩や不安、矛盾を抱える人間の普遍的な心情を描き、「魂の画家」と称されました。
主な作品に「裸形の風景」や「修羅A」「修羅B」などがあります。
人気が高いのは、そういった心情描写が表れる「人間」をモチーフとした作品です。
晩年には無所属となり、海外を旅しながら活動を続けました。
平野遼の作品は、北九州市立美術館や福岡県立美術館などに収蔵されており、現在も多くの人々に親しまれています。