小泉 仁左衛門

小泉仁左衛門は、1659年から続く南部鉄器製作の伝統を受け継ぐ襲名制の作家名です。

初代仁左衛門は、当時の盛岡市(現在の岩手県盛岡市)を治めていた南部藩主・重直公に召し抱えられ、城下町で南部茶の湯釜を製作したことから、その歴史が始まりました。
特に三代目仁左衛門は、扱いやすい持ち手付きの釜を考案し、これが現在の南部鉄瓶の原型となったと言われています。
そして2023年8月、十代目の引退を機に十一代目がその伝統を継承し、新たな活動を開始しました。

 

小泉仁左衛門の作品は、岩手県二戸市で生産される耐久性に優れた浄法寺漆を使用するほか、型土や木炭など、盛岡市近郊で採れる素材を用いて製作されています。
さらに、地金には江戸時代に流通していた古銭「寛永通宝」を原料とする砂鉄を使用。この砂鉄は独自の方法で不純物を取り除かれ、錆びにくいという特性を生かして製品化されています。

 

そのデザインにも特徴があり、球体や平らに近い楕円形のフォルム、さらには凝った意匠の持ち手が施された作品は、実用性と美観の両面から高い評価を受けています。こうした特徴が、時代を超えて人々に愛され続ける理由の一つとなっています。

 

 

中川 義實

中川義實は明治時代頃に活動した岡山県出身の金工師です。

義實について残された資料は少なく、明治時代頃までの金工師をまとめた『古今金工一覧』と父・正阿弥勝義の手紙の宛先と内容からその活躍を知る事が出来ます。
『古今金工一覧』によると「夏雄門中川氏十四代目ナリ東京後ニ京師住」とあります。ここから加納夏雄に師事した中川家の14代目である事が見受けれます。加納夏雄は京都の名工として知られ、中川家は父・正阿弥勝義の生家で岡山の金工師の名門として知られます。また、勝義との手紙から東京や京都・大阪にいたことは間違いありません。手紙の内容から神戸に光村家という顧客を抱えており、刀装具を依頼されていたことが分かります。

義實の作品は刀装具のほかに鉄瓶や香炉から仏像まで広く残されています。そのいずれも美麗であり、細緻に富んだ仕上がりとなっております。

残念ながら世にあまり認知されておらずインターネットでは海外向けの販売サイトのみヒットし日本語のサイトが全く出ない人物となっております。少しでも中川義實が世に広まり、緑和堂にお持ちいただけることを心よりお待ちしております。

角谷 一圭

角谷一圭 釜

角谷一圭は、大阪市出身の釜師です。茶の湯釜の最高峰といわれる筑前芦屋釜の復元に成功し、その技術の高さから人間国宝に認定されました。

1904年に生まれ、小学校に入学した頃から釜師であった父の仕事を手伝っていました。年月が経つにつれ自らも鋳物に興味を示すようになり、父から製作技術を学んでいきます。
21歳の頃、大阪工芸展に鉄瓶を初出品し、受賞した事で本格的に釜師の道を歩み始めます。その後は大国藤兵衛や香取秀真の指導を受け、鋳金全般の技術を学びました。以降多数の作品を制作し、日展や日本伝統工芸展などへの出品を行い多くの受賞を重ねました。日本工芸展に出品した「海老釜」が高松宮総裁賞を受賞した事が話題となり、それからの日本工芸展では角谷一圭の名前が常連となります。その随一の技量は、1978年に「茶の湯釜」で重要無形文化財にされたことで証明されております。

造形・地紋に溢れる気品は一圭ならではであり、現在は大阪市の工房でその技術が息継がれております。