初代木越三右衛門(木越正之)は、江戸時代に河北郡木越村で生まれました。農民の出身でしたが、鋳物師としての才能を見出され、横川長久のもとで修行しました。18歳の時には、師である横川長久の命により金沢天徳寺の梵鐘(釣鐘)を製作し、質の高い作品を作った事で評価されました。彼は鉄瓶や釜などの茶道具を得意とし、特に金沢藩主前田家の御用釜師としても活躍しました。彼の技術と作品は代々三右衛門と称され、木越家の伝統として受け継がれました。
木越三右衛門の鉄瓶や鉄釜は、和銑(わずく)という日本古来の技法で作られています。和銑は砂鉄とたたら製法で製錬することで作られ、洋銑よりも高度な技術と手間がかかりますが、錆びにくく強靭な特性を持ちます。そのため、数百年前の鉄瓶や釜が今でも美しい状態で残っています。また、象嵌という伝統的な工芸技法で装飾された鉄瓶は、特に高い人気があります。これらのお品物は、茶人や文豪にも愛され、現在でも高い評価を受けています。
山近泰は1975年石川県能美郡にある代々続く窯元に生まれ、幼いころから九谷焼に囲まれて育ちました。
九谷五彩と呼ばれる赤・緑・黄・紫・紺青を駆使して、様々な動物や植物を生き生きと描く新進気鋭の陶芸家であり、その色鮮やかな色彩は、九谷焼の伝統を引き継ぎながらも、幻想的で独特な世界観を創り出しています。
造形から上絵付までの全ての工程を自ら手がける彼の作品は、平成29年伝統九谷焼工芸展で最優秀賞を受賞するなど、多くの美術展や工芸展で高い評価を得ています。
山近泰はもともと清山窯4代目として生まれましたが、独自の世界観を表現するためにも2011年、石川県野々市市に大志窯を開窯しました。
また、2022年にはイタリアの高級車ブランドであるアルファロメオのノベルティ制作を手がけ、さらに活動の幅を広げています。
十二代 聴松宗守 愈好斎(ゆこうさい)は茶道の武者小路千家の家元です。
名は嘉次、宗守、別号として聴松。
明治から昭和の半ばにかけて活躍された茶人です。
武者小路千家の十二代家元ですが、元々は表千家久田流十代家元・久田宗悦の次男として生まれました。
武者小路千家十一代家元・一叟宗守に子がいなかったため養子として迎えられました。
三千家と呼ばれる「表千家」「裏千家」「武者小路千家」ですが、その存続のために互いに助け合いながら発展してきた歴史があります。
愈好斎の実父である久田宗悦にしても、表千家十代・汲江斎の三男であり、祖父は久田流七代家元・久田宗也というように、多くの代で互いに後見人を務めたり、養子になったりと密接に結びついています。
幕末から昭和という激動の時代を互いに支えあって発展してきたのです。
そんな歴史の中、愈好斎も波乱の人生を歩みます。
養子として武者小路千家に引き取られますが、十一代・一叟宗守が愈好斎が九歳の時に亡くなってしまいます。
そのため表千家十一代家元・碌々斎や十二代家元・惺斎の元へと引き取られ、茶道を習います。
この表千家へ引き取られている期間は、武者小路千家としては一時中断という形になりますが、その期間に愈好斎は東京帝国大学へ入学し、国史学を学びたくさんの知識を身に着けます。
そして大学卒業後に宗守を継承して十二代家元となり、武者小路千家を再興させます。
再興後は武者小路千家に代々引き継がれてきた官休庵を改築し、利休居士350年忌に際して、稽古の間である弘道庵を再興させます。
愈好斎は伝統を継承しつつも、論理的に現状を分析、批判し、近代の茶道を改めました。
優れた門弟を輩出する傍ら、多くの著書を出版するなど、現代茶道に大きな影響を与えた人物と言えるでしょう。
デュポンは、ライターに代表されるフランスの高級ブランドです。
1872年、シモン・ティソ・デュポンによって革製品店として創業されました。高級層に向けたアイテムは人気を呼び、順調に業績を伸ばしておりました。
第二次世界大戦の折、旅行用鞄の発注が受けられなくなったのを機として、シモンの息子であるアンドレ・デュポン主導のもと、ラグジュアリーライターの製作を開始しました。さらに1952年には火力調節を可能としたガスライターを発表し、特許を取得しました。独特な開閉音に代表されるエレガントな設計のライターは瞬く間に人気を呼び、現在ではブランドの顔となっております。
1973年からは高級ペンの製作にも着手し、ライター、革製品とともにデュポンの人気の柱となりました。その他にも眼鏡や宝飾品、香水などが展開されています。
古くはパブロ・ピカソ、近年ではカール・ラガーフェルドなど著名なアーティストとのコラボも行われており、世界的に人気の高いブランドです。
大森金長は武者小路千家にて厚く抱えられた錺師で、多くの茶道具を制作しました。
錺師という見慣れない言葉。「かざりし」と読み、金工細工職人を指します。
金属加工の歴史は古く、日本においては出土品などから弥生時代にまで遡ることが可能です。武器や防具としてだけではなく、装飾品としても求められたのは世界共通と言えるでしょう。
日本で生まれたこの錺師は、神社仏閣と強く結びつき、その寺社を装飾するために重用されました。平安時代には銀(しろがね)細工の技術が確立し、鎌倉から戦国時代までの動乱を経て、江戸時代に大きく花開きます。金具や建築物の飾りなどが主でしたが、装飾品の需要に伴って首飾りや耳飾りなども手掛けるようになり、金銀細工師とも呼ばれるようになりました。
茶道は多くの道具を用いる上にその歴史は古いため、御用職人とも言える職人がいます。そんな中の一人として、大森金長は武者小路千家にて腕を大いに振るいました。金長は銀瓶などの銀製品はもちろん、銅の花器などの銅製品など幅広く作品を制作しております。
現在でもその作品には多くのファンがおり、名工の一人と言えるでしょう。
ピーターソンは、パイプに代表されるアイルランドの喫煙具メーカーです。
1865年、アイルランドのダブリンにてフリードリッヒ・カップとハインリッヒ・カップの兄弟が創業したパイプ煙草の販売会社を起源とします。
その直後、カップ兄弟の工房に立ち寄ったチャールズ・ピーターソンが、自分ならより良いパイプを作れると宣言したことで、三人でのパイプ製造会社が始まりました。
1890年に彼らは、煙道の下にジュース溜まりを設けてフィルターの役割にする独自機構「ピーターソン・システム」を開発し、発売を開始します。1898年にはリップの煙道を上向きにした「ピーターソン・リップ」を開発します。さらに「アーミーシステム」と呼ばれるシャンクに金属を巻き、吸い口を先細りにして接続する独自機構も開発し、今あるピーターソンのパイプに通じるひな型とも呼べる姿が出来上がりました。
ピーターソンのパイプはその後世界中に流通することとなり、現在においても人気の高いメーカーとなっております。