濱田友緒は、栃木県益子町を拠点に活動する陶芸家で、人間国宝・濱田庄司の孫として知られています。
多摩美術大学大学院修了後、濱田窯三代目として活動し、益子焼の伝統を継承しながら、塩釉や刷毛目などを用いた現代的な作陶でも高い評価を受けています。
その中でも特に代表的なのが「塩釉(えんゆう)」による作陶です。祖父である濱田庄司が1950年代にドイツで学び、日本で初めて濱田窯に塩窯を築いたことで知られる塩釉は、1200℃以上に達した窯へ焼成途中で塩を投入し、気化した塩分が器肌に付着して自然なガラス質の釉膜を形成する技法で、濱田友緒はその技法を継承・発展させています。
さらに、友緒は従来の登り窯だけでなく、自ら設計したアーチ型塩窯「志緒窯」を用いて制作しており、焼成効率や発色の研究を続けています。器、花瓶、扁壺、酒器など幅広い作品を制作し、日本国内だけでなく、英国のリーチポタリーや海外美術館でも紹介されています。
宗像亮一は、栃木県の益子町を拠点に活動している陶芸家です。
伝統ある益子焼を基盤に作品制作を行っており、日常使いの器から展示向けのオブジェまで幅広く手掛け、土の質感や釉薬の色合いを活かした独自の作風が特徴です。益子焼の伝統を受け継ぎながらも、現代的な感覚を取り入れたデザインは、多くのコレクターに支持されています。展示会や陶器市への出品も行い、日常生活に寄り添う美しい器としての魅力を広く発信しています。
宗像亮一の作品は、使う人の暮らしに温かみと豊かさを添える陶芸作品として注目されています。
濱田庄司は益子焼の陶芸家として、現在でも非常に高い人気を誇っている人物です。単純ながらバランスのよい造形と、そこに描き出されるシンプルな釉の文様がよく調和していて、素朴ながら味わい深い作品となっています。
濱田は1894年、神奈川県高津村(現川崎市)に生まれます。当時の名門校・東京府第一中学校卒業後は、東京工業大学の前身・東京高等工業学校へ進学しました。学校では窯業科に進み、板谷波山のもとで窯業の基礎を学び、同時に先輩の河井寛次郎にも出会いました。卒業後、河井とともに京都市立陶芸試験場に入所します。在籍中に民藝運動の発起人・柳宗悦や、イギリス人の芸術家・バーナード リーチに出会い、1920年にはリーチとともにイギリスへ渡りました。帰国後は栃木県の益子町に移り住み、以降益子焼の制作に没頭します。
1955年には、第一回の人間国宝認定に見事選ばれ、民芸陶器の重要無形文化財保持者となったほか、紫綬褒章や文化勲章といった数々の栄誉を手にしました。
1978年に没していますが、生前館長を務めた日本民藝館には450点近い作品が収蔵されているほか、自身の収集品が益子参考館にて展示されています。