吉田一也は1970年、京都生まれの陶芸家です。
20代の頃、自身が中国・インドをバックパックで旅した際の経験から自然と野生を深くリスペクトするようになり、猫を通じて野生の気高さを表現するべく、主に猫の焼き物・墨彩画を制作しています。
目の粗い白土に西陣織や神社仏閣からヒントを得た絵付けを行い、瞳等は釉薬でつややかに仕上げることで猫のぬくもりや野生の鋭さが両立しています。
氏が制作する猫たちは瞳孔が縦に細長い昼の目、対して瞳孔が丸い夜の目があり、耳の形や体の造形もわざと変えることにより、すべての作品が世界に唯一の個体となっています。
現在は京都市左京区鞍馬町に窯を持ち、犬や猫と暮らしながら作品制作を行っており、日本各地で個展も開催しています。釉薬で瑞々しく潤んだように仕上げられた瞳と、表情豊かでいきいきとした猫たちは素朴ながらも確かな存在感を放っています。
猫好きな方は、ぜひ一度吉田一也の作品をご購入してみてはいかがでしょうか。
津金日人夢(つがね ひとむ)は1973年熊本生まれの陶芸家です。
1993年に有田窯業大学校ロクロ科修了後、熊本に戻って父のもとで作陶を始めます。はじめの頃は父にならった作陶を行っておりましたが、独自の作品表現を求める中で新たな形を見つけ出します。
津金の作品の特徴は、なんといっても「青磁」ではないでしょうか。
中国宋時代の青瓷の研究を意欲的におこない、青瓷ならではの品格を損なうことなく、自己流の現代的表現を模索しました。日本工芸会を中心に公募展での受賞を重ね、東京国立近代美術館で開催された『青磁のいま』展にて青瓷の現代作家10人に選出されております。2008年には日本工芸会正会員に認定、2010年は熊本県伝統的工芸品に指定と数々の成績を収めております。
全国各地の百貨店にて、個展を開催しており、これからの活躍も楽しみな青瓷の現代作家さんでございます。
川瀬竹春(初代)は、岐阜県出身の陶芸家です。
1894年岐阜県安八郡輪之内町で生まれ、京都に移りました。
三代清風与平に指導を受けた後、初代三浦竹泉に師事。染付などの技法を体得します。
祥瑞(染付磁器の一種)による茶器を主に制作し、また華やかな色彩を施した赤絵・金欄手を得意としました。
1907年に愛知県瀬戸市で作陶を始め、1919年京都東山南日吉町に移り作品制作を本格的に開始します。
京都で拠点を変えながらも1953年からは神奈川で制作します。
1955年に国指定無形文化財技術者に指定され、その後上海にて個展を開催し日本だけでなく海外へと活躍の場を広げ、日本の陶芸家として世界に認められていきました。
1979年には竹春の名を長男・順一に譲り、以降自身は「川瀬竹翁」を名乗ることとなりました。現在でも、中国陶器の技術を継承し美しさを再現した偉大な陶芸家として、日本だけでなく海外でも高い人気を誇っております。
素三は初代素三から始まり四代まで続く、急須作りの名家と言われています。
初代素三(1866-1922)は名を井上素太郎といい富本岩次郎の三男として生まれます。後に井上家に入り、初代木二、二代三光に師事し、茶人の柴山準行に茶を学びました。
二代素三(1890-1956)は名を亀岡梅三郎といい花器や茶器、高級抹茶器を主に作成し名を上げます。
三代素三は平凡な作品を嫌い、ぐい吞みに人形を入れこんだ特徴のある作品を制作し、一風変わった作りで人気となり、その後、動物や花の細工を施したものや、独特の細工を急須にも施すようになります。
四代素三(1950-2019)では父三代目の遺志を継ぎ、独特の作風に加え、急須の口にも細工を施すなどし人気を得ました。
それぞれの代で特徴のある素三ですが、最近では、急須のつまみやお猪口の中などに、河童などの人形を入れた三代素三の作品が、大変人気です。
実用性はもちろんのこと、鑑賞用としても重宝される逸品です。
緑和堂では、歴代素三の作品を探しております。
お片付けなど、整理整頓の際に見つけた際には、是非弊社へお持ちください。
林 正太郎は岐阜県土岐市下石町の窯元の子供として生まれました。
商業高校を卒業後、名古屋で就職しましたが、すぐに岐阜県に戻ってきました。
それから兄である林 孝太郎に師事し、陶作を手伝うようになりました。
初期の頃はガス窯を利用し、天目や黄瀬戸など様々な作品を制作しました。
24歳の時に朝日陶芸展知事賞を受賞、翌年の1972年には日本伝統工芸展初入選や朝日陶芸展優秀賞に輝きました。
1974年には独立し、中日新聞社新人賞受賞を受賞しました。
1993年美濃陶芸展で最高の大賞を受賞、翌年には美濃陶芸展で加藤幸兵衛賞を受賞、1997年には庄六賞を受賞致しました。
この3つの賞を立て続けにとる事は同展が開催されて初めての快挙と言われております。
2002年には土岐市指定の重要無形文化財保持者に認定されております。
2012年には県指定重要無形文化財「志野」の保持者に認定されます。
作品の多くは「志野焼」です。釉薬をたっぷり使った豪快な作風が特徴的で、作品全体から感じられる迫力に圧倒されながらも、魅了されます。
その他にも、織部や天目など様々なジャンルの陶芸作品を作陶しています。
小西平内は、兵庫県西宮市に「太閤窯」を構える陶芸家、およびその名跡です。
太閤窯を築いた初代・平内とその甥の二代・平内がおり、世に多く出ているのは二代の作品となります。なのでここでは、主に二代の紹介をさせていただきます。
二代は1928年に愛媛県に生まれ、十代のうちに叔父の初代に師事します。初代のもとで作陶技術を学んだあと、翌年には昭和の光悦と称される川喜田半泥子に師事し、茶陶作りの技術を身に着けていきます。
1964年に叔父の隠居に伴い、二代・小西平内を継ぐことになります。その後は大阪三越での初個展にはじまり、国内外での活躍を見せました。
楽焼・伊賀焼による茶陶を中心に制作し、伝統的な茶陶の精神を大事にされた作品を多く残されています。特に黒樂茶碗、赤樂茶碗は小西平内の精神を体現したような代表作品であり、その実力は茶道裏千家十五代家元である鵬雲斎大宗匠からも高く評価されています。