徽宗

徽宗は北宋の第八代皇帝で、北宋最高の芸術家の一人とされています。
代表作『桃鳩図』は、日本で国宝に指定されています。

1082年に神宗皇帝の第十一子として生まれ、当初は皇位継承とは縁遠い立場にありましたが、兄の哲宗が嗣子を残さず崩御したため、1100年に即位しました。
即位後は贅沢な宮廷生活や大規模な造営事業を推進しはじめ、これらは財政を圧迫して国政の腐敗を招きました。

一方で北方では女真族が勃興し、宋は一時的に金と連携して遼を滅ぼしましたが、やがて金と対立するようになります。1127年には金軍の侵攻により首都が陥落し、徽宗とその子らが捕らえられる「靖康の変」が発生。これによって北宋は滅亡しました。その後、徽宗は金に連行され、「昏徳公」という屈辱的な称号を与えられ、異郷で幽閉生活を送ることになります。

徽宗は、政治家としては無能と評される一方で、書画や筆硯、文学、弓術においては非凡な才能を発揮しました。また、独自の書風「瘦金体」を創始したことでも知られ、書画の世界に多大な功績を残しました。
庭園や珍木奇石の収集にも関心を示し、山水・花鳥・人物など多様な絵を描いた文人・画人として現在でも高く評価されています。

孫 家珮

孫 家珮は、1958年に中国・上海で生まれた画家です。
独自の油彩技法を用い、故郷の風景やイタリアをはじめとするヨーロッパの景色を繊細な筆致で描くのが特徴です。光と影を巧みに表現し、静寂の中に生命力を感じさせるその作風は、多くの人々に感動を与えてきました。

1984年に上海交通大学美術研究室を修了後、画家として活動を始める一方で、生活のために工芸品会社のスタッフとしても働きました。
1988年頃、中国の開放政策により海外渡航が可能となると日本へ渡り、数々の美術展で受賞を重ねていきます。

2001年には日本の永住権を取得し、翌年には日本現代美術家連盟の副理事長に就任しました。現在も日本を拠点に、中国やアジア各国で個展を開催し、国内外で高い人気を誇っています。

胡開文

4大製墨名家の一つである「胡開文」は、胡天注によって創業された中国の伝統的な墨ブランドです。
創業当時、「曹素功」「汪近聖」「汪節庵」などの名家がすでに存在しており、胡天注は遅れて参入しましたが、製墨技術と経営手腕を駆使して成功を収めました。

胡天注は貧しい家庭に生まれ、少年時代に汪啓茂の墨屋で働き始めました。
勤勉で鋭い洞察力を持つ胡天注を気に入った汪啓茂は、彼を娘婿として迎え入れます。
そして、1765年には墨屋を継いで「胡開文」を創業し、徐々に支店を増やしていきました。

1915年、「地球墨」がパナマ万国博覧会で金賞を獲得し、胡開文は世界に知られることとなります。

文化大革命が起こると企業の合併・統合が行われ、徽州の墨店は「歙県徽墨廠」に、上海近郊の分店は「上海墨廠」に再編されました。
文化大革命終結後、職人たちは胡開文ブランドで墨の製造を行う個人経営の工房へと移り、彼らによって現在に至るまで技術が受け継がれてきました。

胡開文の墨は、同治・光緒年間に中国各地で広く流通し、故宮博物院に現存するものには「乾隆・嘉慶・道光・咸豊・同治・光緒・宣統」の7つの年号が見られ、時代ごとに独自の風格を持っています。
また、「玉のように固く、犀の角のような美しい模様を持ち、千枚書いても墨の1/3も減らない」として高く評価されています。

現代まで受け継がれた技術による質の高い胡開文墨は、今もなお多くの人を魅了し続けています。

曹素功

曹素功は、清代の4大製墨名家の一つとして知られる唐墨ブランドです。

曹素功の歴史は、曹 聖臣が1667年に安徽省歙県にて「曹素功墨庄」を創設したことから始まりました。
事業は順調に発展し、のちに徽州・蘇州・上海に支店を構えるまでに成長しました。
しかし、アヘン戦争太平天国の乱による混乱で、徽州・蘇州は衰退し、上海支店のみが生き残ることとなります。

以降も伝統を受け継ぎながら製造を続けていたものの、1966年から始まった文化大革命の際に、政府の政策により「胡開文」などと合併・統合され「上海墨廠」として再編されました。

曹素功の墨は、装飾性よりも実用性と高品質を重視して作られており、滑らかな書き味や深い黒色が特徴です。
その品質は歴代の文人や学者に高く評価され、宮中への献上品としても用いられました。

文化大革命以前に製造された唐墨は高値で取引される傾向があり、現代の上海墨廠においても曹素功ブランドは継承され、伝統的な製法と現代の技術を融合させた名墨として、世界中の愛好家や書家に親しまれ続けています。

斉白石

斉白石は中国湖南省出身の近代中国絵画を代表する巨匠です。

木工職人として生計を立てる傍ら独学で書がを学び、清朝末期から中華民国、さらに中華人民共和国の時代を生き抜きました。

花鳥図、魚、蝦、蟹、昆虫、野菜などい身近な題材を巧みに取り入れ、力強い筆致と独自のユーモラスな表現で知られています。水墨に鮮やかな彩色を加える独自の技法は、写実と簡潔な造形美を融合させ幅広い層に愛されました。

1953年には中国政府から「人民芸術家」の称号を授与され、1955年には国際平和会議より「世界十大文化名人」の一人に選出されるなど国内外で高い評価を受けています。晩年に至るまで創作意欲は衰えずその作風は円熟味を増し、軽妙さと深みを併せ持つ境地に達しました。

今日においても斉白石の作品は中国美術市場で極めて高い人気と評価を誇り、オークションでは高額で取引されることが多く、その芸術性と希少性は世界的に認められています。

李迪

李迪は、中国の南宋時代(1127年-1197年)に活躍した宮廷画家です。

李迪に関する情報は少なく、生没年は不明ですが河陽出身とされています。

花鳥画や動きのある作品が得意で、南宋時代を代表する画家の一人として知られています。

時代ごとに画風が変わっていきますが、南宋時代は宮廷画院の画家たちが活躍した最盛期とも言われており、今でも質の高い作品が多く残されています。
特に李迪は、伝統を尊重した写実性や装飾性を重要視した作品を多く描きました。

繊細な筆使いや、細部まで写実的に描かれた味わい深い作品たちは、後世においても評価が非常に高く、今も東京国立博物館などで保存されています。

代表作には『紅白芙蓉図』『雪中帰牧図』などがあります。

建窯

建窯(けんよう)は、中国福建省南平市建陽区水吉鎮付近にあった宋代の名窯です。 特に黒釉の茶盞「建盞」の生産で知られ、兎毫盞、油滴盞、曜変盞など、多彩な釉薬効果を持つ作品が生み出されました。これらは日本に伝わった際に「天目 …

郭煕

郭煕は、中国北宋時代を代表する山水画家です。   宋の第五代皇帝・神宗のもとで宮廷画家として仕え、その才能と技術によって、山水画の発展に大きく貢献しました。特に、自然の雄大さや繊細さを捉える力に優れ、北宋山水画 …

愛新覚羅 溥傑

愛新覚羅 溥傑は、清・満洲国の皇帝である愛新覚羅溥儀の同母弟です。 ラストエンペラーの実弟として、波乱万丈な生涯を歩みました。 皇帝一族である愛新覚羅家は、その政治的・歴史的な役割のほかにも書家として高名です。 書の格と …

葛明祥

葛明祥(かつめいしょう) 清朝乾隆・嘉慶年間(1736年-1821年)頃に活躍していた、宜興窯(ぎこうよう)の陶工で親子三代にわたってこの銘を使用していたとされています。宜興窯では鈞州とよばれた河南省禹県を中心に作られた …

端渓硯

中国文人の文房趣味とされる硯、墨、筆、紙の四つの文房具のことを文房四宝(ぶんぼうしほう)といい、文房四宝の硯の中でも最高峰とされているのが今回ご紹介する端渓硯になります。 中国の硯は唐硯(とうけん)と呼ばれ中国四大名硯と …

中国郵政

中国郵政(中国郵政集団有限公司)は、中国中央政府管理下の郵政企業です。 1949年に「中国人民郵政」として発足して以後、郵政事業を主軸に物流等を担う機関として中国で大きな位置を占めてきました。2020年には現在の社名への …

王 錫良

王錫良は、中国の美術工芸作家です。 1922年の景徳鎮に生まれ、若くから珠山八友の一人である王大凡に師事し、磁器と絵画を学びました。 1950年頃に在籍していた陶器科学研究院では、王大凡をはじめとする景徳鎮磁器の実力者た …

藩 天寿

潘天寿は中国・浙江省寧波市に生まれた画家・美術教育家です。幼少期から書道、絵画、切手彫刻などに興味を持ちます。特に書道と絵画に熱中し生涯をささげる決意をしたほどでした。 学政時代は成績も優秀で、卒業後は教師として小学生を …

申 正熙

申 正熙(シンジョンヒ)は、韓国で最初に高麗茶碗を再現した陶芸家です。 高麗陶器は当時、世界最高水準にあり、その素朴で温かみのある作品は多くの韓国人に愛され、日本でも茶人からその雅趣が高く評価され、国宝的な存在として数々 …

王 一亭(王震)

王一亭は書画家であり、実業家であり、政治家でもある稀有な経歴を持つ作家です。どの分野でも非凡な才能を発揮した著名人です。 王一亭には様々な名があり作品によって使い分けていました。本名は「震」という名ですが、作品名には「白 …

李 思訓

李 思訓(り しくん 651年~718年)唐時代玄宗朝に仕えた官僚である。画に長じており、子の李昭道とともに北宗画の祖とされています。若いころから芸才に優れており、唐の第3代皇帝の高宗の時に、江都令に就任しました。しかし …

呉 昌碩

1844年9月12日~1927年11月29日 呉 昌碩(ごしょうせき)は、中国の清朝末期から近代にかけて活躍した画家、書画、篆刻家になり清の時代最後の文人といわれております。詩、書、画、篆刻ともに精通し「四絶」と称賛され …

鈞窯

宋時代に繁栄し、人々を魅了した中国の五大名窯の一つが「鈞窯」です。 鈞窯はそれぞれ特徴のあった五大名窯の中でも釉薬の色に独創性があったことで知られております。 基本的な釉調は青みを帯びておりますが、釉薬の色に濃淡の差があ …

磁州窯

中国を代表する名窯の一つ、それは「磁州窯(じしゅうよう)」です。 中国河北省磁県を中心とする民窯で、起源は五代十国時代ではないかと言われており、その歴史は1000年以上にもなる窯です。 磁州窯でも特に評価が高いと言われて …

沈 南蘋 (沈銓)

緻密に写生された色鮮やかな動植物。中国、清代の画家・沈 南蘋によってもたらされた新たな画風は、当時硬直していた日本絵画界に新しい風をもたらします。 南蘋は絹織物商の子として生まれますが、絵に興味を持ち画家・胡 湄に入門。 …

龍泉窯

龍泉窯(りゅうせんよう)とは、中国浙江省の西南部に存在した名窯の一つ。 五代・北宋期にの流れを受け継いで青磁を製作していた窯元で、質の高い青磁を生み出し、中国国内のみならず、海外輸出も盛んにしていた。 日本にも鎌倉時代に …

島田 幸一

「青磁」のみを追求し続けた陶芸家・島田幸一さんです。 現在は、静岡県島田市で作陶活動を行っています。 島田幸一さんは陶芸家として美しい作品を数多く制作していますが、何よりも生き様に情熱・ロマンを感じます。 多くの有名陶芸 …

加藤 孝俊

「孤高の天才」「油滴天目の第一人者」と呼ばれた加藤孝俊さん。 代々染付磁器を製作する窯元「真玉園」の嫡男として生まれます。 家業の「真玉園」を継ぎながらも、48歳の時に、「中国宋時代の陶磁を再現」という夢を果たすため、長 …

愛新覚羅 溥佐

愛新覚羅溥佐は、中国清朝最後の皇帝にして満州国皇帝である愛新覚羅溥儀の、いとこにあたる人物です。その作風は、宋代以前の伝統的な中国絵画の手法を基礎としつつ、元朝以降の花鳥画の技法も取り入れ、特に細部まで描く動物や花鳥を得 …