洋画から日本画へ転向した異色の画家、小杉放庵。西洋と東洋の双方を見た彼が描く絵は、画壇でも評価され続けました。
小杉放庵は1881年、栃木県の日光に生まれました。1896年より地元の洋画家・五百城文哉に弟子入り、1900年より上京し、小山正太郎の不同舎で学びます。当初は小杉未醒の号で活動し、漫画や小説挿絵が評判となりました。日露戦争では従軍記者として戦地に渡り、漫画や戦争画を描いています。
1910年、文展出品作が3等に入賞したのが始まりとなり、翌年には『水郷』が2等を獲得します。1913年、フランスに留学しますが、現地で目にした池大雅の作品に大きく影響され、逆に日本画への関心を高めました。帰国後は横山大観と親交があったことから、日本美術院の再興にに協力し、洋画部を主宰します。その後は友人とともに春陽会を結成し、活動の主軸を移しました。昭和になると日本画作品も多く手掛けるようになり、日本芸術院の会員を辞してからは晩年まで日本画制作に専念しています。
元来洋画に東洋的趣向を取りいれていましたが、フランス留学で、西洋にとって東洋は新しいものと見られることに気づき、その後は油絵でも日本画に近い見た目になるものを、題材も日本の古典を元にしたものが増えていきます。
代表作は『水郷』や『神橋』の他、東大安田講堂の壁画などが存在します。
1999年には故郷日光に、「小杉放庵記念日光美術館」が開館しました。






