田能村 直入

田能村直入は幕末・明治の日本画家であり、南画(文人画)の振興に尽力した人物です。

直入は1814年、豊後国・岡藩(現大分県竹田市)に生まれ、親戚の伝手で南画家・田能村竹田(たのむらちくでん)の画塾に入門します。そしてすぐにその才能を認められ、竹田の養嗣子となりました。絵だけでなく儒学や陽明学、漢詩なども学び、さらには茶道や剣術も身に着けました。師・竹田の没後は詩社「咬菜吟社」を結成し、黄檗宗の居士にもなっています。

明治期には京都を拠点に南画振興に努めました。京都府画学校(現・京都市立芸術大学)の設立に関わり、初代校長も務めました。1896年には富岡鉄斎らと日本南画協会を設立しています。

中国古典の深い知識と、竹田より学んだ南画の技術でつくりあげられる作品の評は高く、日本最後の文人画家と呼ばれます。