大田垣 蓮月

大田垣蓮月は、幕末から明治初期にかけて、和歌・書・陶芸を通じて活躍した文化人です。

大田垣は、武家の血筋に生まれ、幼少期に大田垣家の養女として迎えられました。40代前半までに夫や子どもを次々と失い、こうした不幸を経て出家し、「蓮月尼」と名乗り、和歌や書、陶芸の分野で活動しました。その後は和歌を中心に文芸活動を行い、同時に自作の陶器に自詠の歌を刻む独自の作風を確立しました。素朴な器形に平明な言葉で詠まれた和歌を組み合わせた作品は『蓮月焼』として知られ、文学と工芸を融合させた表現として評価されています。

彼女の作品は、和歌・書・陶芸が一体となった総合的な表現に特徴があり、流麗でやわらかな仮名書と、型を用いず手びねり(手づくね)によって成形された温かみのある造形に独自の魅力が見られます。また、日常的な器に和歌を刻むことで実用性と芸術性を兼ね備えており、贈答品や交流の媒介としても機能していました。

大田垣蓮月は、自らの表現によって活動の場を広げた文化人ともいえます。

鄭 道昭

鄭道昭(てい どうしょう)は、中国南北朝時代に活躍した北魏を代表する書家・詩人です。名門の出身で、光州の刺史などの要職を歴任しました。

鄭道昭が現在の中国山東省の岩山に残した摩崖刻石は「鄭道昭刻石」などと総称されています。同時代に見る北魏の六朝楷書独特の角ばって固い筆づかいの「方筆」ではなく、南朝寄りの角が丸く柔らかい印象の「円筆」の書が特徴とされ、鋭い角を持つ一般的な北魏楷書とは異なり、ゆったりとした風格と気品を兼ね備えています。

清代の包世臣や康有為らによって再評価され、明治以降の日本の書道界にも大きな影響を与えました。

胡 蘭成

胡蘭成は、中国出身の思想家・政治家・作家・書家です。

1906年、中国浙江省嵊県に生まれました。
本名は
胡 積蕊、幼名は蕊生といいます。若い頃から文章に優れ、杭州の蕙蘭中学で学んだ後、北京の燕京大学の講義を聴講するなどして文学や思想に関心を深めました。

その後、政治活動に関わり、日中戦争期には日本が支援した汪兆銘政権に参加し、宣伝部次長や行政院法制局長などを務めました。
またこの時期に、漢口の新聞「大楚報」に関わり、ジャーナリズム活動にも従事しました。

1944年には中国の著名作家である張愛玲と結婚しましたが、政治的立場や生活の不安定さなどから関係が破綻し1947年に離婚しています。

第二次世界大戦後、政治的立場が悪化したことから、1950年に日本へ渡ります。その後は日本で長く生活し、中国文化や思想に関する著作を執筆し、文化人との交流も行いました。
来日初期は日本全国を講演して回ったり、雑誌や新聞に政論を投稿していました。
1963年からは梅田寛一が筑波山中に神道の修行をする道場として開いた「梅田学筳」に滞在し、神道について学びます。ここで岡潔や湯川秀樹、保田與重郎などにも出会い交流を深めました。
その後、梅田学筳を離れた後の1974年には台湾の中国文化学院で教授となり、若い文学者を指導しました。この頃、彼の思想に影響を受けた作家たちが「三三派」と呼ばれる文学グループを形成しました。
約2年間の台湾生活の後は、再び日本に戻り、1981年に没するまで東京で生活を続けました。

書を得意とし、晩年には文人としても活動し自作の詩や中国古典などを題材とした作品を残しています。その書は、中国文化への深い素養を背景とした文人書として評価されることがあります。

関 牧翁

関牧翁(せき ぼくおう)は、愛知県出身の臨済宗の禅僧で、花園大学教授や妙心寺派の高僧として知られます。

幼少より聡明で、慶應義塾大学医学部に進学するほどの秀才でしたが、在学中に「人間とは何か」「生きるとは何か」という根源的な問いに突き当たり、医学の道に疑問を抱きます。

その後、作家 武者小路実篤 らが提唱した理想郷運動「新しき村」に触発され、「真の人間の生き方」を探求するようになります。

「禅は古いものではなく、生きている人間の道である」と説き、形式的な修行や権威主義を排し、「心の自由」と「主体的な生き方」を重視しました。

晩年は京都嵐山の天龍寺を拠点に、講話・執筆・書画などの活動を行い、

その語り口とユーモア、そして温かみのある人柄で多くの信奉者を得ました。

彼は「禅とは、心が自由であること」「自分自身で立つこと」だと説きます。

伝統を重んじつつも、時代の変化に応じた新しい禅のかたちを提示した点で、「20世紀の禅改革者」とも呼ばれています。

武田 双雲

武田双雲(たけだ そううん)は1975年生まれの日本を代表する書道家の一人であり、「書」を通じてポジティブなメッセージを発信し続けるアーティストです。

東京理科大学を卒業後、IT企業に勤務するも、幼少期から親しんだ書の道を志して書道家として独立しました。伝統的な書の枠にとらわれず、現代的な感性と自由な表現を融合させた作風が特徴で力強さと自由な表現を融合させた作風が特徴で、力強さと優しさを併せ持つ独自の筆致は多くの人々を魅了しています。

NHK大河ドラマ『天地人』や映画『春の雪』などの題字を手掛けたことで広く知られるようになり、近年では企業ロゴ、商品デザイン、教育活動など多岐にわたる分野で活動しています。

講演活動や著書を通じて「感謝」「前向きな心」「幸せのあり方」といったメッセージを発信し、人間の内面と芸術を結びつける表現者として高く評価されています。

彼の書は単なる美しい文字ではなく、見る者の心を動かすエネルギーを兼ね備えた作品として国内外で高く評価されています。

 

乃木 希典

乃木 希典は明治を代表する陸軍軍人です。
武士道的な忠誠・献身の象徴的存在として広く知られ、「軍神」と称されました。
また、漢詩や和歌を多く残すなど、文学的な側面も併せ持っていました。

1877年の西南戦争では薩摩藩士による反乱鎮圧の任務にあたりますが、連隊旗を敵に奪われるという失態を経験。乃木はこの事件を生涯の恥とし、のちの徹底した忠誠心や自己犠牲的な行動に影響を与えたとされています。

また、1896年からは日本統治時代の台湾で総督を務め、治安維持やインフラ整備を進めました。
しかし、官僚との対立などもあり、短期間で退任しています。

1904年からの日露戦争では、第3軍司令官として「旅順要塞攻囲戦」を指揮。第3軍は3度の総攻撃と白襷隊の突撃を敢行し、最終的に旅順を陥落させますが、代償として多くの死傷者を出しました。

戦後は学習院院長に就任し、皇族・華族の教育に尽力しました。
1912年に明治天皇が崩御すると、葬儀の日に妻とともに殉死し、日本中に衝撃を与えました。

近代では、軍神としての称賛とともに、犠牲を多く出した愚将としての批判もあり、評価は二分されています。

白隠 慧鶴

白隠 慧鶴は、江戸時代中期に活躍した禅僧です。 臨済宗の中興の祖として知られており、白隠禅師とも呼ばれています。 白隠は、1686年に駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)で生まれました。 幼い頃に寺で地獄にまつわる話を聞き、 …

島崎 藤村

島崎 藤村は、日本を代表する文豪の一人です。 1872年、島崎は筑摩県馬籠村(現在の岐阜県中津川市馬籠)で生まれました。 代々本陣や庄屋を務めた家柄で、父・島崎正樹は国学者でした。 10歳の頃に上京し、泰明小学校に入学。 …

西郷 南洲(隆盛)

西郷南洲(さいごう なんしゅう)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて活躍した日本の政治家・武士・軍人で、幕末維新の立役者の一人です。 自分の立場にかかわらず周囲の人を大切にし、下や仲間に慕われ、多くの人をまとめる力が …

親鸞

鎌倉時代の僧・親鸞(しんらん)は、浄土真宗の宗祖として知られ、「親鸞聖人」と尊称されています。 1173年に京都で生まれ、争いや災害、疫病、大飢饉が相次ぐ不安定な世の中で幼少期を過ごします。 叔父に伴われて9歳で出家し、 …

勝 海舟

勝海舟は、幕末から明治期にかけて活躍した政治家・軍人・思想家で、日本の近代化に大きな影響を与えた人物です。 勝海舟は、幕府海軍の創設に力を尽くし、日本の近代海軍の基礎を築きました。1860年には咸臨丸に乗って、日本人とし …

東皐 心越

東皐 心越は、江戸時代初期に中国から渡来した禅僧です。 心越は、1639年に中国浙江省で生まれました。 幼い頃より仏門に入り、1676年に清による圧政から逃れるため、日本へ亡命しました。 長崎に移住し、日本各地を訪れてい …

清巌 宗渭

清巌 宗渭は、江戸時代前期に活動した臨済宗の僧です。 近江(滋賀県)に生まれ、9歳で大徳寺の「玉甫紹琮」について得度しました。 師が亡くなると「賢谷宗良」のもとにつきました。 のちに大徳寺第170世を務め、多くの寺院の開 …

隠元 隆琦

隠元 隆琦は、中国福建省生まれの禅僧です。 臨済宗や曹洞宗と並ぶ、日本の三大禅宗のひとつである「黄檗宗」の開祖として知られています。 1592年に福建省で生まれた隠元は、28歳で出家。35歳で悟りを開きました。 長崎の唐 …

小堀 遠州

小堀 遠州は、江戸時代初期に活躍した茶人・作庭家・建築家です。 「遠州」という名前は通称であり、本名は「小堀 政一」です。 1579年、近江国(現在の滋賀県)に生まれた遠州は、父親から英才教育を受けて育ちました。 159 …

仙厓 義梵

仙厓 義梵は、脱力感のあるユニークな禅画で知られる禅僧です。 1750年、仙厓は美濃(現在の岐阜県)に貧しい農民の子として生まれました。11歳で出家得度し、「仙厓義梵」の名を与えられます。 40歳で聖福寺の住職となり、6 …

即非 如一

即非如一は、江戸時代前期に中国・明から日本へ渡来した臨済宗の僧侶です。 1616年、福建省福州府福清県に生まれた如一は、早くに父親を亡くしました。18歳で出家した後、黄檗宗の開祖である「隠元隆琦」に師事しています。 隠元 …

細井 広沢

細井 広沢は、江戸時代中期に活躍した儒学者・書家・篆刻家です。 1658年、遠江国掛川(現在の静岡県)に生まれた細井は、11歳で江戸に出ました。 その後は、1672年から坂井漸軒に「朱子学」を、1677年から北島雪山・都 …

伊藤 蘭嵎

伊藤 蘭嵎は、江戸時代中期に活躍した儒学者です。 1694年、蘭嵎は儒学者の「伊藤仁斎」の五男として京都に生まれました。 父親の仁斎は、一般的な朱子学よりも古義学こそ正しい儒学であると考え、町民に学問を広めた人物です。 …

小田 雪窓

1901年、小田雪窓は鳥取県に生まれました。 1913年、12歳で故郷鳥取の廣徳寺にて得度し、臨済宗の僧となります。その後、修行を重ね、1921年には18歳で京都へ移り、妙心寺に落ち着きました。 1947年、師である瑞巌 …

立花 大亀

立花大亀は臨済宗の僧侶であり、茶道や書道、禅の世界で名を馳せた人物です。 大阪府に生まれた大亀は、22歳の時に南宗寺で得度(僧侶になるための出家)します。その後は臨済宗大徳寺派の徳禅寺住職を経て、大徳寺の住職まで務めまし …