ロバート・ワイランドは国際的に有名な海洋生物アーティストです。画家、彫刻、作家、写真家、慈善家、映画製作者としても活躍している経歴を持っています。
海洋生物アーティスト(マリンアーティスト)といえば日本だとラッセンが人気ですが、世界的にはラッセンと並ぶほどの人気があり、マリンアーティストの第一人者とも呼ばれています。
ワイランドは、19歳の時に世界中の100カ所に壁画を描くという壮大な挑戦を始めました。1981年から始め、30年近い年月をかけて100枚を超えるマリンアートの壁画を完成させ、プロジェクトを達成しました。このプロジェクトは「ホエーリング ウォールズ」という名がつき、史上最大の公共芸術プロジェクトの 1 つとなっています。この世界的プロジェクトで描かれた作品は、年間で推定10 億人が鑑賞し続けています。
その他にもカリフォルニア州ロングビーチのコンベンションセンターに描いた巨大な海洋壁画は、3エーカー(12140㎡)以上の大きさでギネス世界記録に登録されるなど、多くの活動を行っています。
ワイランドのこれらの活動は全て自然保護の為の行動で、環境問題への関心を高めるための活動として取り組んでいます。美術や芸術を通して地球の大切さなどを訴え続けています。
小澤 摩純は絵本などの挿絵なども手掛けている東京出身の女流画家です。
1962年に東京で生まれ、1981年に女子美術大学芸術学部版画科に入学します。在学中の1984年期特の新人版画大賞展にて買い上げ賞、大学版画展にて買い上げ賞を受賞します。1985年女子美術大学芸術学部版画科を卒業し、画家として活動していきます。
ほるぶ出版社『クリスマス急行』、佼成出版社『魔女シャーホ』などの挿絵・『ゆめがとびだしたケーキ』『くいしんぼうがまってるぞ』といった絵本なども手掛け作家として認知されるようになりました。個展なども開き、自身の作る作品のこだわりや、作り出したい世界観を表現しています。
小澤 摩純は、絵本などを手掛けていることからわかるように、優しくて柔らかい絵柄が特徴です。色彩が豊かで多くの色を使用しますが、調和という言葉がぴったりはまる美しいタッチで描かれています。
銅版画やシルクスクリーンなども手掛けており、いろんなことにチャレンジしているのも彼女の特徴で、絵本風のタッチのまま描く掛け軸のような和風作品を作っていたりもします。
小澤 摩純の作品は、絵本の挿絵などに使われるほどの優しい作品なので、学校や子供部屋など、子供が関わる所に飾ると柔らかい雰囲気になり空間が和やかになるように思います。
ジョウ・ナイトウは、東京生まれの日本のワイルドライフ・アーティストです。
アーティストとしての始まりは、1983年教育社から発売された『日本の自然シリーズ』というカレンダー制作からです。
1985年には、アメリカ植物協会の国際ボタニカルアート展に作品を出展し、1986年には、ユナイテッド航空の『アメリカの自然シリーズ』を制作し、日経広告賞部門賞を受賞しており、その後も1992年までに多くの賞を総なめにしております。
1993年には、アメリカ・レイ・ヨーキー・ウッドソン美術館主催の『バード・イン・アート展』に入選し、日本人で2人目の入選という快挙も成し遂げております。
ジョウ・ナイトウは、アフリカやアラスカなどの地を訪れ、動物や植物を直接観察し、スケッチすることで作品を制作しており、精密な写実主義とハイパーリアリズムを信条とし、作品はどれも見る者を虜にする、魅力的なものばかりです。
デビッド・ウィラードソンは、ディズニー界の生きるレジェンドと呼ばれている、ディズニー公認のアーティストです。
出身はアメリカで、スティーブン・スピルバーグが監督を務めた「レイダース-失われた聖櫃」のロゴマークなどを手掛けたことで名を知られ、その後アニメーション制作からディズニースタジオに所属し、ディズニーでのキャリアをスタートしました。
ディズニーアニメ作品「バンビ」「シンデレラ」「白雪姫」「リトル・マーメイド」「アラジン」「ライオンキング」などの、日本でも人気となった映画のポスターなどの告知物を手がけました。
ウィラードソンのディズニーに対する思いは強く、子ども時代のヒーローでもあり、憧れでもあるキャラクター達は、まるで魂を入れられたような表情を感じさせます。
彼の作品は、ディズニーが公式で好きに描いて良いと許可を出すほどのもので、キャラクター描写力と独特な表現力によって描かれるキャラクター達は、見るものすべてに元気を与えてくれます。ディズニーの公認アーティストは多くいるものの、公式から好きに書いていいと言わせてしまう作家は世界中でも数人と言われています。
島倉 仁(しまくら じん)は1940年に新潟県で生を受けます。
島倉が美術界で名を馳せたのは、中学生の時でした。新潟県美術展にて中学生の時に入選。その後文部大臣賞、郵政大臣賞を受賞するなど若くして頭角を現します。
1960年には版画を勉強する傍ら上京し、東宝に入社します。
かの有名な映画監督・黒沢明をはじめ、伊丹十三、岡本喜八、大林宣彦作品に参加して装飾美術を体得していきます。
フリーになったのは1981年で、島倉が41歳の時でした。
アトリエを主宰し、背景画家としてテレビ、CM、映画など多くの作品を手掛け、また各地の博物館から内装壁画の依頼も殺到します。
1992年には黒沢明監督作品「まあだだよ」のエンディングに使われた夕景作品が評価され、日本アカデミー協会特別賞を受賞。93年には作品制作を開始し、第1作『トレメンダス』を発表。全国各地で展覧会も行われます。
95年には国際エミー賞、2005年には文化庁映画功労賞、第50回映画の日永年功労賞を受賞するなど様々な賞を受賞します。
ゴジラシリーズやウルトラマンシリーズの空や雲は島倉の手掛けたものであり、それが知られると週刊誌やテレビ、新聞など幅広く周知されるようになります。
特に評価が高いものが「空」と「雲」で、雲の描き手としは業界の第一人者という異名を持つほどです。
内田新哉は、熊本県出身の日本を代表とするイラストレーターです。
愛知教育大学美術科卒業後に大工を志しますが挫折してしまいます。元々一人旅が好きだった為シルクロードやアメリカ、欧州圏などと放浪していく中で、絵を志すに至りました。
1988年に「詩とメルヘン」にてイラストレーターとしてデビュー後には、西オーストラリアに3年移住するなど、日本にはとどまることなく今もなお世界各国を旅しては風景を描いております。
1990年には第一画集となる「IMAGINE」を刊行し、1999年までに第五画集まで刊行しております。
細やかなペン先と透明な色彩で描く爽やかな風景が人気を博しており、特に麦わら帽子自転車を好んでモチーフにすることが多いです。
現在も作品展や個展を開催しており、今後の活躍も楽しみなイラストレーターの一人でございます。