デビッド・ウィラードソンは、ディズニー界の生きるレジェンドと呼ばれている、ディズニー公認のアーティストです。
出身はアメリカで、スティーブン・スピルバーグが監督を務めた「レイダース-失われた聖櫃」のロゴマークなどを手掛けたことで名を知られ、その後アニメーション制作からディズニースタジオに所属し、ディズニーでのキャリアをスタートしました。
ディズニーアニメ作品「バンビ」「シンデレラ」「白雪姫」「リトル・マーメイド」「アラジン」「ライオンキング」などの、日本でも人気となった映画のポスターなどの告知物を手がけました。
ウィラードソンのディズニーに対する思いは強く、子ども時代のヒーローでもあり、憧れでもあるキャラクター達は、まるで魂を入れられたような表情を感じさせます。
彼の作品は、ディズニーが公式で好きに描いて良いと許可を出すほどのもので、キャラクター描写力と独特な表現力によって描かれるキャラクター達は、見るものすべてに元気を与えてくれます。ディズニーの公認アーティストは多くいるものの、公式から好きに書いていいと言わせてしまう作家は世界中でも数人と言われています。
島倉 仁(しまくら じん)は1940年に新潟県で生を受けます。
島倉が美術界で名を馳せたのは、中学生の時でした。新潟県美術展にて中学生の時に入選。その後文部大臣賞、郵政大臣賞を受賞するなど若くして頭角を現します。
1960年には版画を勉強する傍ら上京し、東宝に入社します。
かの有名な映画監督・黒沢明をはじめ、伊丹十三、岡本喜八、大林宣彦作品に参加して装飾美術を体得していきます。
フリーになったのは1981年で、島倉が41歳の時でした。
アトリエを主宰し、背景画家としてテレビ、CM、映画など多くの作品を手掛け、また各地の博物館から内装壁画の依頼も殺到します。
1992年には黒沢明監督作品「まあだだよ」のエンディングに使われた夕景作品が評価され、日本アカデミー協会特別賞を受賞。93年には作品制作を開始し、第1作『トレメンダス』を発表。全国各地で展覧会も行われます。
95年には国際エミー賞、2005年には文化庁映画功労賞、第50回映画の日永年功労賞を受賞するなど様々な賞を受賞します。
ゴジラシリーズやウルトラマンシリーズの空や雲は島倉の手掛けたものであり、それが知られると週刊誌やテレビ、新聞など幅広く周知されるようになります。
特に評価が高いものが「空」と「雲」で、雲の描き手としは業界の第一人者という異名を持つほどです。
内田新哉は、熊本県出身の日本を代表とするイラストレーターです。
愛知教育大学美術科卒業後に大工を志しますが挫折してしまいます。元々一人旅が好きだった為シルクロードやアメリカ、欧州圏などと放浪していく中で、絵を志すに至りました。
1988年に「詩とメルヘン」にてイラストレーターとしてデビュー後には、西オーストラリアに3年移住するなど、日本にはとどまることなく今もなお世界各国を旅しては風景を描いております。
1990年には第一画集となる「IMAGINE」を刊行し、1999年までに第五画集まで刊行しております。
細やかなペン先と透明な色彩で描く爽やかな風景が人気を博しており、特に麦わら帽子自転車を好んでモチーフにすることが多いです。
現在も作品展や個展を開催しており、今後の活躍も楽しみなイラストレーターの一人でございます。
立石春美は、1908年に佐賀県生まれの画家です。
1927年に上京し洋画家の梶原貫五の紹介により鏑木清方に入門を願うがかなわず、1928年に深水画塾に入り、伊東深水に師事、洋画から路線を変更して日本画を学びます。
師である伊東深水と同じく、美人画を描いた立石はその腕前は他の門下生を驚かせたことから、才能に溢れた人物であったと思われます。
そして作品としては美人画が高い評価を得ています。1931年の『淑女』での帝展入選し以後帝展、新文展に出品し、戦後は日展を中心に制作発表を行い、同21年の第1回日展に『年寄』で特選を受け、同26年の第7回日展では『山荘の朝』で特選、朝倉賞を受賞しました。この事から昭和から平成初期にかけて美人画を描き活躍し上品、静謐、清澄と称えられ数多くの賞を受賞しました。
また故郷である佐賀や福岡の伝統文化にも深い関心を持っておりました。
地元の着物をきた美人画や陶磁器の職人を描くなど多くの作品を残していらっしゃいます。美人画や人物を描き続け今なお世界的に人気の作家です。
三輪良平は美人画を中心に描かれた昭和後期から平成時代に活躍した日本の画家です。
京都市の表具師の次男として生まれ、京都市立美術専門学校卒業後、山口華楊に師事し華揚が代表をつとめる晨鳥社(しんちょうしゃ)へ入塾すると翌年には昭和27年の日展に「憩ひ」にて初入賞その後の日展でも「裸婦」で特選、「舞妓」で白寿賞を受賞、この頃、中路融人ら晨鳥社の若手と研究会「あすなろ」を結成しました。
日展審査員や評議員をつとめるなど日展を中心に制作活動を行い、現代日本画壇の発展に尽力した方です。
また描かれた舞妓は年若い娘も多く昔舞妓として活躍していたのは十代前半の女の子であり着物は派手で鮮やかな物が多かったそうです。
しかし現代に近づくにつれ舞妓の年齢層も上がって行き作品の舞妓も年齢層が上がっている事がわかります。
そして描かれた作品は裸婦や舞妓を題材として華麗な女性美を描き、特に舞妓を多く題材にしており着物の美しさ、女性のハッキリとした顔立ちを描き全体のバランスがとても美しい作品です。
佐藤潤は生物多様性をテーマに絶滅危惧種の動物たちを描く鳥獣画家で、動物画家として大変人気があります。
そんな佐藤潤は、1970年大阪市に生まれ、幼少期を大阪の工場街で過ごしました。自然、土や木々、虫たちなどとは縁の無い場所で育ったことから生き物たちに憧れの気持ちをつのらせて暮らしていました。 さらに幼い頃は体も弱く室内で過ごすことが多く、募らせた思いはやがて描くという表現に変わっていきました。
その後、佐藤潤は美術高校、そして 京都精華大学美術学部に 進学し、卒業後は欧州の国々を旅します。その中で画家として活動を始めますが生き物たちへの憧れは変わることなくリスペクトの気持ちをもって作品を作り上げています。
1995年に初個展を開き、2000年以降は日本全国の百貨店や美術画廊などで毎年個展を開催するまでになりました。その他に動物園などへの作品寄贈や、売上の一部をWWFジャパンへ寄付するなど自然保護や動物保護にも熱心に取り組みました。そんな中2009年、アメリカの大手パズルメーカーやその他の企業により作品が商品化されることなり、佐藤潤の作品は全米で販売されるようになりました。
佐藤潤の描く作品は動物を描くことが多いのはもちろんですが、ジャパネスクシリーズと言って、日本という国の美しさ、風習や伝統的な文化を多くの方に知ってもらうため、お正月の海老や鯛・端午の節句の鯉のぼり・七夕の笹やカササギなど日本の節句や行事をテーマにした作品や、吉祥をテーマにした作品・仏画の世界をテーマにした作品を作り上げています。
このジャパネスクシリーズは、パリの展覧会にも出品され日本の文化の美しさとクオリティの高さによって海外で高い評価を受けました。
佐藤潤は、日本と動植物の昔からある繋がりを伝えるような活動を行っていますが、2004年のインドネシア・スマトラ沖地震をきっかけに動物の為に何かしなければならないという思いが募り、絶滅危惧種の動物などに目を向け、動物たちの現状を訴えかける魅力のある作品を作り上げています。