熊本県の阿蘇山や富士山を描いていた画家として創造するのはなんといっても田崎広助でしょう。
1898年に福岡県に産まれた田崎広助は子供の頃より画家を志していたそうでしたが両親の反対があった為、美術学校への進学を諦めて福岡県師範学校を卒業しました。しかし、22歳の時に両親の反対を押し切って上京しそこで安井曾太郎に師事します。1932年よりパリにて西洋の美を学びますが、帰国後は日本の本来の美を追求していきます。
1973年には東郷青児と共に日伯現代美術展を主催し、その功績が称えられてかブラジル政府のグラン・クルーズ賞、コメンダドール・オフィシアール賞を受賞します。それ以降も数々の賞を受賞し、1968年には勲三等瑞宝章を、1975年には文化勲章を受章し文化功労者となりました。
田崎広助の作品は山の風景を描いた物が有名です。
中でも朱富士と呼ばれる朱色の富士山は非常に人気が高い物となっております。
また、田崎広助の作品は遠近法を使用しておらず平面で山の風景を描くことにより自身が感じた事を最大限表現と考えていたのではないでしょうか。
丁紹光(ティンシャオカン)は中華人民共和国出身の画家であり、国際派現代中国絵画の大巨匠です。
1939年に中国陝西省に生まれた丁紹光は1962年に北京中央美術工芸学院を最高成績で卒業し、昆明雲南芸術学院にて教授を務めました。その後、中国政府より依頼を受けて北京人民大会堂に「麗しき神秘的西双版納」を制作しました。
その後アメリカに移住し1986年にはアメリカSEAGAL社と契約して本格的にシルクスクリーンの制作を始めていきます。1992年のクリスティーズオークションにて岩彩画が東洋作家史上最高価格で入札、さらに1993年には国連公認作家に任命されアメリカでの評価も非常に高い作家となっています。
丁紹光の作品は「女性」や「母子」を題材にしたものを想像される方が多いかと思います。直線が多く用いられることにより中国の古来からの作風を踏襲しつつ、華麗な色彩は「ティン・ブルー」と呼ばれ多くの人の心に安らぎを与えてくれます。
ジャンセンは1920年アナトリア(現在のトルコ)にて生まれました。父はアルメニア人、母はトルコ人と当時のオスマン帝国の情勢では非常に危うい立場でした。家族は危険な故郷を離れ、ギリシャに移り、その後フランスへと渡りました。
フランスで過ごす中でジャンセンは画家にになることを決め、パリの装飾美術学校の他、デッサン学校やアトリエで絵について学んでいきます。
1939年以降はフランスを代表する美術展であるサロン・ドートンヌ展を始め、多くの展覧会に出品しています。1950年代からは定期的にイタリアを訪れ制作を行いました。その実力が認められ、1960年代には世界各地で個展を開くようになります。2002年にはアルメニア正教会1700年記念として、アルメニア国立美術館にて「虐殺展」を開催し、アルメニア国家勲章を受章し、2003年にはフランスの最高勲章 レジオン・ドヌール勲章の受賞をするなど世界に認められた作家の一人です。
ジャンセンの作品は、自らの目で対象を見て、ありのままの姿を描いた作品で、デッサンを重視しています。線画家であったジャンセンの作品は、彼の目に映る世界をそのままに映し出しています。
主なシリーズ作品は、バレリーナ・ベニス・闘牛・マスカラード(仮面舞踏会)・虐殺と多くのシリーズものを残しています。
日本でもジャンセンの評価は高く、1993年には長野県にある安曇野にジャンセン専用美術館がたてられています。
クリスチャン・ラッセンはアメリカのカリフォルニア州、海沿いの町であるメンドシーノ出身の画家です。
ラッセンが11歳の時にハワイ・マウイ島へ家族で移住し、1976年より作品を発表します。幼少のころハワイに移り住んだラッセンは海の魅力に魅せられ、海・イルカ・自然への愛情を膨らませました。
ラッセンの作風はハワイの海中風景やイルカなどの海洋生物を主要なモチーフとして、南洋の自然観を鮮やかな色彩の画風で描き、「マリンアート」と称されます。その作品は安価な版画やリトグラフ、ジグソーパズルとして大衆的人気を得ました。特に日本ではバブル期に一世を風靡し、大きな知名度を持つ作家となりました。
1990年頃からは環境保護活動を行っており、作品の収益の一部を環境問題に投じるなど、自身の愛した自然への孝行的な一面も見られます。
ミッシェル・バテュは、フランスの女性画家で、フランス国防省海軍公認画家に選出された人物として有名です。
海軍画家とは、海軍と共に軍港を訪れ、各々のテクニックでそれを表現します。彼らの作品は、海軍業務のルポルタージュとも呼ばれ、2年に一度開催される海軍芸術展に出展され、人々に海軍業務を伝える役割を担っています。
バテュは、1946年にフランスのパリに生まれます。幼いころから絵を描くことが好きで、建築家の父がデッサン用の鉛筆と大きな紙を与えたこともあり、絵画の世界へと導かれていきます。
高校に進学してからはさらに絵を描くことに没頭していくようになり、夜中の皆が寝静まった後に絵を描くこともあったそうです。バテュはパリ国立美術学校に入学し、在学中に世界中を旅して異国の絵画を学び、自身の腕を磨きました。
その後、数々の賞を受賞していったバテュはその功績が称えられて2003年にフランス国防省海軍公認画家に選出されました。
バテュの作風としては、写真家の夫を持つ影響から世界中を旅して周り、そこで自然から感じた感覚が絵の特徴や構図に反映されております。アトリエがパリの自宅のみならず、フランス中部に14世紀からある館にもあり、そこではバテュの作品が一般公開されています。
千住博といえば、1995年にイタリアのヴェネチア・ビエンナーレ優秀賞を獲得した「ウォーターフォール」といった、滝や崖などの自然物を題材にした作品が多い画家です。作品を見ると千住博らしさを感じる独創的な作画なのですが、その中には斬新さと日本の自然美をそのまま表現したような綿密な美しさが感じられます。
日本でも大徳寺聚光院別院全襖絵の制作や、羽田空港国際線の到着口のロビーに作品が展示、羽田空港ショッピングモールの天井画の制作など、日本の美として千住博の作品が認知されています。上記以外にもアートプロジェクトとして多くの場所で制作作業を行っていましたので、皆様の目に触れる機会があったのではないでしょうか。
千住博の作品は軽井沢にある千住博美術館に多く展示されています。こちらの美術館は建築段階からこだわりを持って建設されており、千住博の作りたい空間がそこにはあります。作品だけでなくその空間が千住博のアートとして確立されており、皆様に与える千住博の美を深く感じることが出来る場所となっております。