三輪晁勢は、新潟県出身の日本画家です。
1901年に生まれ、昭和期に多くの優れた作品を残されました。
父の影響から、晁勢は小学校を卒業した後より絵を学び始めました。その後、京都市立美術工芸学校を卒業したあと、京都市立絵画専門学校に入学します。そこで同校に在学していた堂本印象に師事することとなり、以降印象との関係は長く続くこととなります。
同校卒業後は帝展で初入選、また特選を二度受賞するなど大きな躍進を遂げます。師・印象が画塾「東丘社」を結成すると、そこでは塾頭として中心的な存在となりました。
戦後は日展を中心に活動し、のちに日展評議員となった他、師・印象の没後は東丘社の主宰となるなど日本画壇で位置を占めるようになりました。
広い画題を扱い、鮮やかな色彩を用いた画風が特徴となります。色彩から迫力を感じさせるような風景画を描く一方、華やかな色味ながらどこか落ち着きのある花鳥画が特に印象的で、風景と花鳥は晁勢の画題の中でも人気のあるものとなります。
松井ヨシアキさんについてご紹介させていただきます。
1947年に福井県福井市にて松井さんはお生まれになられました。
松井さんの詳細は多くが語られておりませんが、洋画家としての芸術性の高さは誰もが認めるほど素晴らしく、近年評価が高くなってきております。
25歳で初個展を開催以降、37歳で第19回昭和会展に出品、昭和会賞を受賞。そこから怒涛のように40を超える個展が開催され、多くの方に松井さんの魅力が伝えられていきました。
そんな松井さんは1995年、パリで個展を開催する機会に恵まれました。それが松井さんの転機となったのでしょうか。以来、パリを毎年のように訪れ、数カ月過ごすというような生活をされ、それが松井さんの絵の大きなテーマとなっていきました。
松井さんの作品は街角の風景やそこにいる人々などを題材にしていることが多く、実際に松井さんが散歩をしてその通りを歩いたり、素敵な人々と出会ったのだと想像できるような作品が多いのが特徴です。さらに、絵の具に大理石を混ぜて厚塗りをする技法によって、少しだけ煌びやかに、そして絵柄も相まってファンタジックな作風になっているところが、多くの人の印象に残るのではないでしょうか。
すでに注目されている作家ですが、評価も年々上がっているため今後ますます人気が出てくると思われます。
渡辺小崋(わたなべ しょうか)は日本画家であり、渡辺崋山の次男です。
小崋は1835年江戸麹町の田原藩邸で生まれます。藩校成章館で学んだ後、父の門人である福田半香の勧めで江戸に出ました。その後は、同じく崋山門下だった椿椿山(つばき ちんざん)の弟子となり、絵画を学びました。
1854年に椿山が亡くなると、小崋は画家として独立します。
1864年には田原藩家老に任命されます。当時の田原藩主や筆頭家老は、かつて崋山に後押しされてその役職に就いた経緯を持ち、崋山の次男である小崋は自然、重んじられることとなりました。
小崋は戊辰戦争において重臣として大きく仕事を果たし、明治に入ると藩政の実務を執ることになりました。廃藩置県の後の1874年、小崋は豊橋に移り住みます。以後は、画家一本で生活してゆくこととなります。
作風としては師・椿山譲りの花鳥画を得意としておりました。繊細かつ伸びやかな花の描写で人気を得る一方、水墨山水画や人物画などでも高い技量を発揮し、渡辺崋山の次男として申し分ない才能を見せました。山下青厓や大橋翠石など、多くの門人を育成したことでも有名です。
水木しげるは、日本の国民的漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の作者として、また妖怪研究家として国内外問わず広く知られています。
鳥取県境港市の水木しげるロードや、東京都調布市の鬼太郎茶屋、商店街に並ぶ妖怪オブジェをご存じの方も多いのではないでしょうか。
水木は1922年大阪市住吉区に生まれ、鳥取県境港市で育ちました。
幼少期に、家に出入りしていたまかない婦「のんのんばあ」が語り聞かせた妖怪の話に興味を持ち、強い影響を受けたと言われています。小学校では勉強よりも体育や図画が得意で、図画に関しては早くからその才能を発揮していたようです。
しかしその後21歳で召集され大日本帝国陸軍として戦争を経験しました。戦時下で爆撃により左腕を失うも、残った右手を治療し絵を描き続けたそうです。
帰国後は紙芝居作家、貸本漫画家としてデビューしたのち「悪魔くん」を出版し、「テレビくん」が第4回講談社児童漫画賞を受賞。1968年に「ゲゲゲの鬼太郎」のテレビ放送が開始し、漫画だけでなくテレビや映画の世界にも妖怪ブームが訪れ、人気作家としてその名を世に知らしめました。
のち1991年に紫綬褒章、2003年に旭日小綬章を受賞し、2010年には文化功労者となりました。
2023年11月には「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」という映画が全国公開されました。2015年に彼がこの世を去ってからも変わらず多くのファンに愛されていることがうかがえます。
ロバート・ワイランドは国際的に有名な海洋生物アーティストです。画家、彫刻、作家、写真家、慈善家、映画製作者としても活躍している経歴を持っています。
海洋生物アーティスト(マリンアーティスト)といえば日本だとラッセンが人気ですが、世界的にはラッセンと並ぶほどの人気があり、マリンアーティストの第一人者とも呼ばれています。
ワイランドは、19歳の時に世界中の100カ所に壁画を描くという壮大な挑戦を始めました。1981年から始め、30年近い年月をかけて100枚を超えるマリンアートの壁画を完成させ、プロジェクトを達成しました。このプロジェクトは「ホエーリング ウォールズ」という名がつき、史上最大の公共芸術プロジェクトの 1 つとなっています。この世界的プロジェクトで描かれた作品は、年間で推定10 億人が鑑賞し続けています。
その他にもカリフォルニア州ロングビーチのコンベンションセンターに描いた巨大な海洋壁画は、3エーカー(12140㎡)以上の大きさでギネス世界記録に登録されるなど、多くの活動を行っています。
ワイランドのこれらの活動は全て自然保護の為の行動で、環境問題への関心を高めるための活動として取り組んでいます。美術や芸術を通して地球の大切さなどを訴え続けています。
井田幸昌は1990年、鳥取県生まれの現代美術作家です。
彫刻家である父、井田勝己のもと幼い頃より芸術に触れながら育ち、2016年に東京藝術大学 美術学部絵画科を油画専攻で卒業、2019年には同学大学院美術研究科修士課程を油画専攻で修了しました。在学時から作品を発表し続け、個展やグループ展を数多く開催してきました。
2017年には株式会社IDA Studioを設立、決まったギャラリーには属さず海外での活動も精力的に行っています。そうした活動が評価され、2018年にはFobusJAPANが毎年選出している30 UNDER 30 JAPANの一人に選ばれました。
「一期一会」を製作におけるコンセプトとし、「現象そのものを作品に投影することで、過去から現在に至るまで、多くの“今”との出会いを心のフィルターを通して可視化することを目指す(IDA Studio公式HPより)」としています。
コンセプトの通り、表情や顔立ちをはっきりとは描かず、その瞬間を切り取った独特の画風・色彩が特徴的です。近年はブロンズや木彫りでの彫刻作成も行っており、確かな画力と表現力・世界観で、今最も注目の若手作家といえます。