内田新哉は、熊本県出身の日本を代表とするイラストレーターです。
愛知教育大学美術科卒業後に大工を志しますが挫折してしまいます。元々一人旅が好きだった為シルクロードやアメリカ、欧州圏などと放浪していく中で、絵を志すに至りました。
1988年に「詩とメルヘン」にてイラストレーターとしてデビュー後には、西オーストラリアに3年移住するなど、日本にはとどまることなく今もなお世界各国を旅しては風景を描いております。
1990年には第一画集となる「IMAGINE」を刊行し、1999年までに第五画集まで刊行しております。
細やかなペン先と透明な色彩で描く爽やかな風景が人気を博しており、特に麦わら帽子自転車を好んでモチーフにすることが多いです。
現在も作品展や個展を開催しており、今後の活躍も楽しみなイラストレーターの一人でございます。
林 武は、女性像や花、風景画を得意とした洋画家です。
彼の作品は、原色の多用や盛り上がるほど力強くつけられた絵具が特徴です。
初めは絵具を薄く付けていたそうですが、戦後に作風が変化していきました。
林は1896年に東京で生まれ、小学校では東郷青児が同級生でした。
1920年に日本美術学校に入学し、同年に中退。翌年に初出品した第9回二科展にて『婦人像』が初入選し、同時に樗牛賞を受賞しました。1934年に渡欧し、パリのアトリエで制作活動を行う傍ら、ベルギーやオランダ、イギリス、ドイツ、スペインを巡りました。
戦後は坂上星女をモデルにした連作を描くなど精力的に制作活動を続け、のちに画集も出版されました。1971年には国語問題協議会会長に就任し、正仮名遣いの復権を訴えた著書『国語の建設』を出版しています。
西村功は1923年生まれ、大阪府出身の洋画家です。
1948年に帝国美術学校(現武蔵野美術大学)を卒業後、本格的に洋画家の道を進み始めます。
1950年代のはじめ、赤帽を題材にしたことを契機として、プラットホームや駅員、乗客などを描くようになりました。その後は二紀展や安井賞展で受賞を重ねます。
1970年に初めての渡欧を行い、題材の幅はパリの街並みや人々にも広がっていきました。1986年の二紀展では『シテ駅界隈』という作品を出品し、総理大臣賞を受賞しております。
複雑に塗り重ねられた色彩と線によるモチーフの造形が特徴的で、低い温度を感じさせる色彩感は、西村の目が映していた街や人々の情感を感じることができます。
構図としては写実性が重んじられていますが、独特ともいえる西村の色彩と線には彼の世界観が強く押し出され、いまだ多くのファンに愛されております。
油彩画の他水彩画も多く制作されており、油彩とはまた異なる表現の幅を楽しむこともできます。
小杉小二郎は1944年生まれの画家です。
祖父に日本画家の小杉放庵、父に東洋美術研究者の小杉一雄、叔父に工業デザイナーの小杉二郎を持つ美術一家の生まれです。
叔父の影響を受け日本大学芸術学部工業デザイン科を卒業しますが、1968年より中川一政に師事し、画家の道へと転身しました。
1970年中川一政に伴いフランスへと渡り、パリで毎秋開催されているサロン・ドートンヌを始めとする名だたる展覧会に出品、以降毎年作品を展示しています。
主にパリを活動拠点としていますが、1974年には日本で初の個展を開催し、以降全国にて個展を開催しています。
主な画題は静物や風景で、デフォルメのきいた柔らかなシルエットと鮮やかかつ深みのある色使いが特徴的です。聖書をテーマとした作品群なども発表しており、ノアの箱舟やアダムとイブ等のテーマを氏ならではの色彩と画面構成で描いています。
1990年代頃からコラージュやオブジェの制作にも取り組むなど、絵画以外にも活動の幅を広げています。
大矢亮は、名古屋出身の油彩画家です。
1974年に名古屋市で生まれ、6歳の時から絵画教室に通い、絵と共に過ごしてきました。
1998年に愛知県立芸術大学日本画科を卒業後、同年の院展にて初入選を果たします。2000年に大学院を修了してからも愛知芸大との関わりは続き、大学の模写班で長年模写事業に取り組みました。
そこでの技術を生かしながら、独自の発想から新たな日本画のスタイルを模索し、現在も制作を行っております。
大矢亮の作風として、物語の世界のようなファンタジー性、フィクション性が取り入れられていることが挙げられます。幼少期より物語を考えながら絵を描くことを好み、続けてきたことが、現在の作品にも表れていると言えます。
また、古画をユーモラスにアレンジした作品なども有名であり、大変人気を集めています。
近年多くの個展が開催され、その独特な感性で描かれる日本画は今なお多くのファンを生み出しています。どこかで機会があれば、是非一度その世界観をご堪能ください。
パブロ・ピカソはフランスを拠点に活動した画家で、キュビズムの創始者です。
現代においてその名を聞かないことはないほどの有名画家であり、「20世紀最大の画家」と呼ばれています。
生涯に渡って芸術活動を行い、残した作品は油彩画と素描だけでも一万点を超えるといわれております。
幼いころよりその才能を如何なく現しており、美術教師であった父は十三歳のピカソの描く絵を見て筆を折った、という逸話が残っています。
初期はヨーロッパの伝統的な絵画を制作していましたが、ピカソの画風はその人生の中で何度も転換します。
一度目の大きな転換は1901年、親友の自殺に起因するものでした。乞食や娼婦などをモチーフとし、暗青色を基調とした画風で暗い感情を吐き出すような描画がされました。この頃は「青の時代」と呼ばれます。
二度目は「ばら色の時代」と呼ばれ、モンマルトルに移住し、恋人と順風満帆に暮らしていた頃に起きました。
そして三十代の頃に、ピカソを代表する画風である「キュビズム」へと転換します。四十代からは新古典主義、シュルレアリスムへと移り変わり、この頃の代表作として『泣く女』や『ゲルニカ』が挙げられます。
その後も細かく画風が変わりますが、それはやはり圧倒的に多くの作品を残してきたピカソであるからこその変遷だと考えられます。ピカソの持つ絵画史は、後世の芸術家に多大な影響を残しています。
神話や歴史を描く時代から印象派へ、そして現代アートへの道を耕した開拓者として、「20世紀最大の画家」という呼び名が確立しているのです。