橋本関雪は大正から昭和にかけて活躍した文人画家です。
兵庫県神戸市に生まれる。幼少のころから漢学を学び、片岡公曠について四条派の手ほどきを受けます。1913年には竹内栖鳳の竹杖会に入りさらに腕を磨きます。その後京都に移り住み京都画壇において活動しました。
関雪の作品は漢文学の教養に基づき古典文学や風物を題材にした作品は「新南画」や「新古典」と呼ばれています。
動物画にも優れ四条派、狩野派、南画などのあらゆる画風を咀嚼し、精神性を重んじた作品を遺しました。
四条派の写実的な動物の描写を取り入れた新南画、新古典の作品はひときわ高い評価を受け、大正・昭和期の画壇において中心的人物の一人となりました。
久隅 守景(くすみ もりかげ 生没年不詳)は江戸時代前期の狩野派の絵師です。狩野探幽の弟子で、最も優秀な後継者と言われております。しかし守景の人生を記した資料や文献が少なく、謎が多き画家であります。生まれも不詳であり、狩野探幽守信の門に入り、神足常庵守周、桃田柳栄守光、尾形幽元守義と共に四天王と言われるほど実力はありました。1831年の「画乗要略」では「山水・人物を得意とし、その妙は雪舟と伯仲、探幽門下で右に出る者なし」と高い評価を受けています。守景には一男一女がおり、二人とも父を継いで絵師になっている。しかし息子は悪所通いの不行跡などが原因で狩野家から破門され、さらには罪を重ね佐渡へ島流しされています。そして娘も同じ狩野門下の塾生と駆け落ちをするといった不祥事が続きます。これがきっかけになったかはわからないが、狩野派から距離を置き、金沢に向かい充実した制作活動を送った。最晩年まで制作活動は衰えず、老いを感じさせない作品を残しています。亡くなった時期も不詳ではありますが、1698年に庸軒の肖像画を描いたとされ、その後亡くなったと推測されています。
呉春(ごしゅん 1752年~1811年)は江戸時代中期の絵師です。四条派の始祖。初期の画号は松村月渓。呉春は京都の金座年寄役の家に六人兄弟の長男として生まれる。はじめは家業の金座を継ぎ平役を務めていた。金座は高給なため家は裕福であった。このころから非常に手先が器用であったという逸話が残されている。絵を学び始めた時期は不明であるが、1770年頃に大西酔月の門を叩いたとされている。しかし数年たつと酔月が亡くなってしまいます。その後、1773年に与謝蕪村の内弟子として入門し、俳諧や南画を学び始める。生活に困っていなかった呉春は最初は趣味や余技として学び始めたのでしたが、1775年の「平安人物誌」に早くも名前が載ります。この前後から何かしらの事情で金座を辞め、本格的に俳諧や絵師の道に進みます。呉春は師・蕪村が亡くなった際に円山応挙から助言をもらいます。それをきっかけに呉春の作風は円山派風へと変化していきます。応挙がなくなると呉春は京都画壇の中心となり、その画派は呉春が住む場所からとり「四条派」と呼ばれるようになりました。
1919年~2016年 ポール・アイズピリは、フランスの画家になります。1919年彫刻家でバスク人の血をひく父のもとに誕生し、父は息子をブール象嵌学校に入学させたが、アイズピリは画家になるのが夢でその夢を捨てきれず、1936年にエコール・ボザール(パリ国立美術学校)に再入学します。1939年の第二次世界大戦に徴兵とされ、ドイツ軍の捕虜になりますが脱走し、1943年パリで初個展を開催して以降具象画家として実績を積み重ねます。1946年新人画家の登竜門として名高い「青年絵画展」で3等賞、1951年ヴェニス・ビエンナーレでプリ・ナショナル大賞を受賞するなど、フランス画壇に確固たる名声を高めました。その後1960年代は、ニューヨーク、東京、ジュネーブ、アヴィニヨンなど各国で個展を開催し、1963年の第2回国際形象展に初出品。以後毎回同展に出品し続け、1971年トゥールでジュマイ賞を受賞しました。アイズピリの作品は、パリ画壇の中でもとてもわかりやすい具象絵画で親しまれ、人気なポピュラーな作家でした。自然と家族を愛する画風がコレクターでも愛され、リトグラフ等でも親しまれております。2016年老衰の為96歳で死去。
森 徹山(もり てつざん 1775年~1841年)江戸時代後期の絵師です。徹山は大阪で森周峰の子として誕生。主に出身の大阪で森派、四条派として活躍しました。森周峰の実子でありますが、叔父の森狙仙の養子となり、森派を継いでいます。徹山16歳の時、「浪華郷友録」では森周峰、森狙仙の次に徹山の名前が記載されており、すでに狙仙の養子となって名の知れた絵師だったことがわかります。狙仙の勧めで晩年の円山応挙のもとで画を学ぶこととなり、のちに応挙十哲に数えられる程になりました。徹山は大阪と京都を行き来し、円山派を大阪に広めました。画風は実父の周峰から学んだ狩野派と、養父の狙仙ゆずりの動物写生に円山派の写実を加味するなど、感情豊かな画になっているのが特色です。特に動物画を得意としていた徹山ですが、狙仙とは違い猿以外にも珍しい動物なども描いております。晩年には熊本潘細川家に仕え、67歳で病没しました。
1919年~2004年 フランス・パリ出身の画家になります。1945年パリの国立高等美術工芸学校に入学し、モーリス・ブリアンションに師事し、ムルロー工房へ出入りする様になります。結果、1965年「ムルロー工房の版画」のカタログに有名なシャガール、ピカソ、ミロらと共に採録されることとなります。ヨーロッパだけでなく、ニューヨーク、東京をはじめ各地で個展を開催し東京では吉井画廊で個展を開催。日本にも多くのファンを持っております。カトランの作品には花などの静物が鮮やかな色彩と微妙な色調によって巧みに描き出されており、静かで詩情豊かな世界が表現されているのが特徴で、多くのファンを魅了し続けております。2004年に心臓疾患の為パリ市内の自宅で死去。享年84歳でした。