秋山巌

秋山巌は1921年、大分県竹田市生まれの版画家です。

19歳の頃海軍に志願し、終戦後は東京で警察官として勤務しながら版画の制作を行ってきました。

32歳の頃に見た棟方志功の版画を見て大きな衝撃を受け、6年後日本版画院の会員となり、棟方志功に弟子入りしました。
棟方志功には「ばけものを出せ。絵というものは、いくら上手に描いてもばけものがでなければ人は驚かないし感心もしない。ばけものを描け」と常々言われ、秋山巌は“ばけもの”を探求していくようになります。この頃のことを秋山巌はのちに「棟方志功は私の版画の師というより、版画哲学の師である」と述べています。

そんな折、秋山巌は種田山頭火の句集『草木塔』と出会いました。この句集に大きな衝撃を受けた秋山巌は、のちに山頭火について「怪物が観える詩心を教示してくれた」と述べています。

その後は生涯を通じて種田山頭火の俳句をテーマとした版画を数多く制作しました。
また、山頭火と出会う以前からアイヌ民謡のふくろうに関心があり、ふくろうをモチーフとした作品も多く制作しています。

レンブラント・ファン・レイン

レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmenszoon van Rijn)はオランダの画家です。

バロック期に活躍し、フェルメールなどと並べて語られることが多く、時代を代表する画家です。バロック様式の絵画は強い明暗法と、リアリズム的でありながら躍動感のある構図が特徴的です。

レンブラントはその中でも「光と影の魔術師」と呼びならわされるほど、卓越した明暗表現を操る画家として知られています。

生涯に渡って絵画と向き合い、描き続けた彼ですが、その裏では度重なる不幸がありました。

20代で画家としての名声を得、結婚。妻・サスキアとの間に四人の子をもうけますが、そのうち三人が間もなく死去。のちの大傑作となる絵画『夜警』の制作中に妻サスキアまでが結核で死去してしまいます。その後は財政困難に陥り、借金に追われながら晩年期を過ごすなど、まさに激動の生涯でした。

晩年にあってもレンブラントは筆を離さず、その人生を落とし込むように絵画を描き続けました。主には油彩。そして銅版画や、1000を超えるほどのデッサンなど、名実ともに大作家として西洋美術史に名を刻んでいます。

ステファン・マーティンエアー

ステファン・マーティンエアー(Stephan Martiniere)はパリ出身のSF・ファンタジーアーティストです。

同時にアートディレクターやゲームのビジュアルディレクターの顔も持つ、マルチなエンターテイメントアーティストです。長くアニメーションディレクーターを続け、『ウォーリーを探せ』のエピソード監督を務めたことなどでその名を広げています。

ディズニーとの関わりも深く、ディズニーランドやその関連施設などでビジュアルデザインに取り組んでいます。また、ディズニーによってキャラクターを使用した絵画の制作を許可された特別な作家であるディズニー公認作家にも認定されています。

本の表紙画や漫画にも携わるなど、今なお多角的に活躍するアーティストです。

エルテ

ロマン・ド・ティルトフ1892年11月23日~1990年4月21日
ロシア生まれのフランス人で美術家でありながらデザイナーもしておりました。エルテ(Erte’)に通称で知られており、デザイナーとしてはファッション、ジュエリー、グラフィック、アート、衣装、舞台美術、インテリア装飾等幅広い分野で活躍しておりました。

エルテの父は、ロシア艦隊の司令官をしており家の伝統を守って欲しいと海軍将校を望んでいたがエルテは、父親の期待には応えずデザイナーとしいての道を選びました。家名を汚すことを恐れたエルテは、名前まで変え活動をしておりました。
1915年にハーパーズバザー(ニューヨークの最古のファッション雑誌)と始めて実質的な契約を獲得し、衣装のデザインや舞台美術等華々しい活動を始めました。彼の成功の一つとしてフランス人のダンサーのギャビー・デリスの衣装をデザインことです。デリケートな体の線ち洗練された魅惑的なデザインがエルテのアイディアだとすぐに見分けがつくほど、そのアイディアと美術は21世紀のファッションにもなお影響を与えている程です。

亡くなる二年前にエルテは、ワインで有名なクルボアジェの7本限定ボトルをデザインし、蒸留から熟成までの製造過程をデザインしました。2008年にエルテが八本目にかつ最後にデザインしたボトルが1万ドルの値段で販売がされました。

グラハム・クラーク

グラハム・クラークは、イギリスの銅版画家です。

オックスフォードで生まれ、ロンドン王立美術学校を卒業したのち、本格的に活動しました。

銅版画に手彩で色付けする「手彩色銅版画」を得意とし、現在まで数多くの作品を残しています。また、現代におけるアーチ型銅版画のはしりとなった人物でもあります。

クラークの作品は、イギリスをはじめとしたヨーロッパの風景や生活を、庶民的な視点に立ちながら描いたものが多いです。クラークが昔よく通った道、なじみのある建物、家族や友人との思い出深い場所など、自身の見つめる世界をそのまま落とし込んだような、普遍的ながらクラークの持つ世界観を共有できる、味わいのある作風が特徴です。サイズも飾りやすい物が多く現代にマッチしていると言えるでしょう。

個展にエリザベス女王が来場するなどイギリス王室からよく好まれ、さらにはヨーロッパ各地、日本で個展を開催するなど、クラークの作品は世界中から愛されています。また、世界中の美術館で収蔵されています。

中山 正

中山正は、新潟県生まれの木版画家です。
1927年に新潟県新潟市に生まれ、多摩美術大学に入学し油絵を学びますが、中退し版画家としての活動を始めます。1959年にリトグラフ画集「ラッパ手」を出版、その後は拠点を海外に移し1962年からイタリアのミラノ。1965年からはイギリスで活動を行いました。1963年のミラノで「騎士の無い馬」という画集を出版。イギリスにいる間はバースで芸術アカデミーにて教鞭を取ったりもしていました。1982年にはアメリカでも木版画集を出版します。その後は日本の銀座和光での個展開催や、東京国際版画ビエンナーレ、クラコウ国際版画ビエンナーレ、ノースウエスト国際版画展、などの展示会に出品するなど精力的に活動を行っていました。

そんな中山正が作り上げる作品は、馬、蝶、鶴、長い髪をなびかせた少女などをモチーフにした作品を多く描いています。抽象画を描くこともありますが、具象画作品も抽象画作品も共通して言えることは、どれもが神秘的な雰囲気の作品で神々しさを感じざるを得ません。本人曰く、「かたち」を大事にしており、芸術家とは具象・抽象を問わずこの世界になかった「かたち」を求めて創造するものであり、その創造とはこの世に一つしかない「かたち」を探すことだと残しています。
晩年の作品は、ペルシャ美術や、イラン美術、ルネサンスなどのスタイルに影響を受けており、日本古来の技法である木版画技法を駆使してそれらを表現していました。

駒井01

駒井 哲郎

駒井哲郎(こまい てつろう)は1920年生まれの銅版画家であり、東京藝術大学の教授でもありました。 彼は油彩画や色彩版画も製作しましたが、生涯を通じてエッチングに情熱を傾け、人間の内面的な部分や幻想などをモノクロで表現し …

池田 修三

池田修三は、秋田県出身の木版画家です。 1922年に秋田県のにかほ市に生まれ、旧東京師範学校学校(現・筑波大学)を卒業後、秋田県の高校の美術教諭となります。その後たまたま秋田を訪れていた画家の近藤良悦夫妻に作品が評価され …

畦地梅太郎

畦地梅太郎は愛媛県出身の木版画家です。 元々油彩画家を志していましたが石版印刷工などを経験した後上京し、内閣印刷局に入局すると仕事の空き時間に鉛版画を試みたことがきっかけで版画の作品を作るようになります。 1927年には …

ジェームス・リジィ

ジェームス・リジィは版画作品の3Dアートで世界的に有名なアーティストです。 平面作品を立体的に見せる3Dアートの先駆者として名高く、地元であるニューヨークのような都会の日常風景である喧騒をポップに表現したことが高く評価さ …

山田 昭雲

昭和20年代の初めごろ、農業をしながら木彫に励んでいた初代山田昭雲。 そこへ訪ねてきた棟方志功に版画を勧められた際、彫刻刀で彫り進める棟方とは違いノミを金槌で叩きながら刻む様子に「叩き彫り」という表現をされた事で「叩き彫 …

藤田 吉香

藤田 吉香は日本の洋画家です。清らかな色彩に加え、非常に描写力の高い静物画が特徴的でございます。 藤田 吉香は福岡県久留米市櫛原町にに生まれます。九州大学工学部を卒業後、多くの画家を輩出した松田塾にて松田実から洋画の指導 …

生田 宏司

生田宏司は日本を代表するメゾチント技法による銅版画家の一人です。 多摩美術大学の絵画科日本画専攻で学び、上野泰明、加山又造、堀文子などに師事しました。 日本画を専攻しながらも版画を独学で学び、アメリカやブラジル、フランス …

北川 民次

北川民次は日本の洋画家であり、児童美術の教育者としても活動した人物です。 北川民次は1894年、静岡県に生まれます。 地主でもある北川家は製茶業を営んでおり、アメリカへの日本茶輸出も手掛けていました。小学校卒業と共に静岡 …

丹野 忍

丹野忍は茨城県出身のイラストレーターです。 1997年立命館大学文学部を卒業、イラスト技術を独学で習得、ファミ通文庫編集部に持ち込みに行ったことをきっかけにイラストレーターとして仕事を行うようになりました。 以降、小説の …

クリフトン・カーフ

クリフトン・カーフ

クリフトン・カーフはアメリカの版画家です。 家族全員が筆を執る画家一家に生まれ、カーフも幼少のころから絵に興味を持っていました。18歳の時に軍人画家として長崎の佐世保に訪れた際に、アメリカとは違う日本の文化・風習・風景に …

高木 公史

高木 公史(たかぎ こうし)1959年~現在 東京生まれの画家になります。 『生きている絵画』 高木さんの絵は、清々しい雰囲気があり、まるで生きているかのような空気感が感じられます。 モデルになった女性、子供等の人物や自 …

関野 準一郎

関野準一郎は昭和の時代に活躍した版画家です。 1914年に青森県青森市にて生まれます。旧制青森中学校在学中に木版画を製作。その後青森の銅版画家、今純三から銅版を学びます。 18歳の頃に日本版画協会展に初入選します。翌19 …

グスタフ クリムト

グスタフクリムト(1862年~1918年)はオーストリアを代表する画家です。 1862年にウィーン郊外の金細工師の息子として生まれたグスタフクリムトは14歳でウィーン工芸美術学校に入学し、絵画を学びながら芸術カンパニーを …

ルイ・イカール

アールデコ時代に活躍したフランスの画家、ルイ・イカ―ル(1888年~1950年)。 アールデコとは1910年~1930年代にパリを中心として栄えた装飾様式のこと指します。 アールデコと比較されるものとしてアールヌーヴォー …

前川 強

前川 強(まえかわ つよし)は、前衛芸術グループである『具体美術協会』に属する日本を代表する抽象画家、美術家の一人である。 1959年より具体美術協会の創設者である吉原治良に師事。 織りの粗い麻布(ドンゴロス)で『ひだ』 …

南 桂子

南 桂子(みなみ けいこ 1911年2月12日-2004年12月1日)富山県射水郡出身の版画家です。詩的な作品が特徴的な画家です。南は生まれてすぐに母親を亡くしており、12歳の頃には父親が急死したために若くして親族によっ …

上原 古年

 上原古年は梶田半古および松本楓湖(ふうこ)の門人です。1877年、東京浅草に生まれの版画家、日本画家です。初め梶田半古に師事した後、松本楓湖に師事して日本画を学んでいます。岡倉覚三(天心)に招かれて5年間、日本美術院に …