松原政祐は、人間と自然の共生や命の尊さをテーマに描く日本の洋画家です。
松原は兵庫県神戸市に生まれ、幼少期から絵を描くことを好み、高校生の頃から画家を志していました。武蔵野美術学園卒業後、兵庫県展にて兵庫県立美術館賞を受賞し、その後も行動展新人賞、行動美術賞、行動40周年記念大賞などを獲得しました。また、1988年には《生きるものたち「誕生」》で第1回前田寛治大賞展にて大賞を受賞し、高い評価を得ました。安井賞展への出品や、現代美術選抜展への招待出品なども多数行っています。
彼の作品は、「生きるものたち」を一貫した主要なテーマとしています。若き日の葛藤や困難、命の終わりや死と向き合ってきた実体験に基づき、人間だけでなく動物、鳥、樹木など、あらゆる命の繋がりを描いています。また、油彩画をベースとしながら、絵の具の塗り重ねや削り出し、異素材やコラージュを組み合わせる混合技法を用いています。黄金色、赤褐色、土色などを基調とした重厚な画面(マチエール)を作り出し、時の経過や記憶の深みが表現されています。
鈴木長吉(すずき ちょうきち)は、明治から大正時代にかけて活躍した日本の金工家・鋳金家です。号は嘉幸。高度な鋳造および彫金技術を有し、1896年にはその卓越した技量が認められ帝室技芸員に任命されました。
青銅を主材として、金、銀、赤銅、朧銀といった多様な金属を用いた象嵌技法を駆使しました。頭部、胴部、両翼などを別々に蝋型鋳造して精密に接合し、鏨で整える技法や、眼球に金象嵌を施すなどの細部処理が行われています。
対象の動態や細部を観察・写生し、リアルに再現する描写力が特徴です。代表作である《十二の鷹》の制作時には、自ら鷹を飼育して観察と写生を繰り返し、完成までに約3年の歳月を費やしたと記録されています。
鈴木 長吉が残した作品は、ヴィクトリア&アルバート博物館などの海外の博物館に所蔵され、国の重要文化財にも指定されるなど世界中でその技術が認められています。
内藤四郎(ないとう しろう)は、昭和期に活躍した日本の彫金家であり、重要無形文化財「彫金」保持者(人間国宝)です。
東京府立工芸学校(現・東京都立工芸高等学校)を経て東京美術学校(現・東京藝術大学)金工科に入学しました。同校で清水南山や海野清に師事して技術を修得し、卒業後は様々な工芸会に参加します。
タガネの角を利用して金属表面に連続した刻みを打ち込む「蹴彫」技法を得意としました。この技法を生かした幾何学的で整然とした線条文様を器面に施す表現手法を確立しました。さらに、金属板を文様の形に切り抜いて漆面に貼り付け、さらに漆を塗り重ねた後に研ぎ出す「平脱」技法を取り入れ、金属と異素材との対比を生かした制作
制作活動と並行して東京藝術大学教授や日本工芸会副理事長などを歴任し、後進の育成や工芸界の発展に尽力しました。
フランコ・スカーラは、イタリアのナポリ近郊にあるトーレ・デル・グレコ出身のカメオ彫刻家です。
第二次世界大戦後の厳しい経済状況のもとで様々な職を経験したのち、地元の美術学校で彫刻に必要な基礎知識と表現技術を習得しました。
スカーラの制作はロマン派の絵画に対する深い愛好と入念なデッサンに基づいており、特定の型に縛られない柔軟な作風を特色とします。
素材には主にサードニクスシェルを使うことが多いです。
モチーフには女性像、花、風景、中世ヨーロッパの情景などが用いられ、作品には独特の哀愁や甘く深い雰囲気のほか、風景彫刻における清らかさと気品が表現されています。
中台 瑞真(なかだい ずいしん)は、日本の木工芸家であり、1984年に重要無形文化財「木工芸」保持者、つまり人間国宝に認定された人物です。
指物師の竹内不山に師事し、茶の湯指物の技術を修業しました。1933年に独立した後も指物作品の制作を行っていましたが、昭和30年代以降は木材を削り出して造形する「刳物(くりもの)」技法を中心とした制作に転換します。
主に会津や南部の桐材を好み、手箱、盛器、高杯、盆などの作品を手掛けました。花弁を連ねた輪花の意匠や、なだらかな稜線を描く曲面構成を得意とし、手作業によるシャープな線と自然が生み出す木目の線が調和した端正な造形を表現しています。下絵を用いず、表面に過度な塗装を施さない素木仕上げを多用し、桐材特有の清涼感のある質感や木肌のぬくもりを活かした作品が特徴です。
指物で培った精度と、桐材を用いた刳物における彫刻的技法を融合させ、独自の作風を確立した作家です。
中村博直は神奈川県生まれの彫刻家です。
1916年に宮大工の父のもとに生まれ、1923年の関東大震災で両親を亡くしました。その数年後、祖父と姉も亡くなり孤児となります。小学校卒業後は宮大工・小林茂太郎の内弟子となります。そして20歳で日本芸術院会員の彫刻家・澤田政廣に師事し、彫刻家の道を歩み始めました。
1946年の第一回日展に「春庭」を出品し入選を果たします。その後日展に出品を続け1949年の第五回日展にて特選を受賞します。1960年にも特選を受賞し、功績が認められ1964年には日展会員となります。
中村博直は生涯で日展に46回の出品をしています。その中で特選以外にも文部大臣賞を受けるなど高い評価を得ています。1986年には文部大臣賞を受賞した功績や日展での出品作品が評価され、日本芸術院賞を受賞します。
中村博直の作品は、宮大工の経験を活かした木彫りがメインとなります。
古典的木彫り技法を用いて作られる作品は、力強さと美しさを兼ね備え、西洋的に理想化された人体像を作り上げます。特に裸婦をモチーフとした作品に季節感を表す作品は代表作ともいえる程高い評価を得ました。