吉田多加志は、群馬県桐生市出身の創作こけし作家です。
群馬県立桐生工業高校でデザインや色彩を学び、卒業後は会社勤めを経て、30歳の時に小林伊之介氏に師事し、創作こけしの制作を始めました。
全日本こけしコンクールや全群馬近代こけしコンクールなどで多数の賞を受賞しtております。
彼の作品は、伝統的なこけしの形態に独自のデザインや色彩を取り入れたもので、高く評価されています。
欅を使ったこけし制作を得意とし、全てろくろを使わず手彫りで仕上げられます。
木の想いに耳を傾け、彫り進めていくことで作られる作品には自然の奥深さや一体となる精神が感じられます。
杉浦康益は1949年、東京都に生まれました。
東京芸術大学大学院を卒業後、1979年に初の個展を開催、「やきものは石である」という恩師の言葉にインスピレーションを受けて制作した『陶による石の群』を発表し、注目を集めました。
その後、石から岩へとモチーフを広げ、『陶の岩』シリーズや、2000を超える陶器を積み上げて制作した『陶の木立』など、大型の作品を多く手掛けています。
無所属で作陶を続け、1984年に神奈川県真鶴に居とアトリエを置き、2000年からは自宅付近の植物をつぶさに観察し、陶器で緻密に作り上げた『陶の博物誌』シリーズも展開しています。
特に「花」をモチーフとした作品は、花弁の細かな動き、めしべやおしべの一つ一つに至るまで精緻に作られており、氏の作品の中でも人気が高くなっています。
全国各地で個展を開催しているほか、2012年には日本陶磁協会賞を受賞しています。
飛騨には今回ご紹介する「一位一刀彫」のほかに「春慶塗」などの木工文化がありますが、その始まりは飛騨工と呼ばれる社寺建設の技術者たちです。
飛騨の国には、租・庸・調の税の代わりに里ごとに技術者10人、飛騨国全体で年間100人程の匠丁を都へ送るという法令がありました。これは全国的にも飛騨の国にのみ定められていた制度で、この頃より飛騨工は名工の代名詞として知られ、都の寺院などの建設にその技術を発揮してきました。
一位一刀彫は江戸時代、根付師の松田亮長(1799~1871)がイチイの木を用いた根付を制作したことが始まりとされています。
イチイの木は秋に赤い実をつける針葉樹ですが、年輪が詰まってがいるため暴れにくく加工しやすいことに加え、美しい艶と茶褐色が特徴です。
イチイという名前の由来は、イチイの木で作った笏を朝廷に献上したところ、他の木材で作ったものよりも高品質だったことから、位階の最高位である正一位からとってイチイと呼ばれるようになった…という説があります。
飛騨一位一刀彫はこのイチイの木の木目や色艶を活かすため着色等せず作品に仕上げていくもので、国指定の伝統工芸品となっています。
青木蓼華は日本の創作木人形作家、いわゆる創作こけし作家の名工です。
1931年に群馬県渋川市に生まれ、27歳の頃から創作こけしを作り始めます。
群馬県は豊かな森林があることから、それを資源として作られる「近代こけし」の名産地として知られています。
青木蓼華は創作こけしを始めるまで日本画を学んでいた経歴を持ち、著名な日本画家の川合玉堂の門下生だった野沢蓼州に弟子入りしています。
言うなれば玉堂の孫弟子に当たり、「蓼華」という名前も元々、玉堂から野沢蓼州へと与えられた画号を青木が賜ったものでした。
彼女自身、この名前に強い愛着があり、創作こけし作家になってからも同じ名で活動を続けました。
1975年に文部大臣奨励賞を受賞すると、その後も通産大臣賞や内閣総理大臣賞といった数多くの賞を受賞していきます。
2013年には厚生労働大臣に表彰された卓越技能者にのみ与えられる「現代の名工」に名を連ねました。
私生活では56歳から始めた弓道で錬士6段を修めたり、事故で右目を失明した後も変わらず精力的に創作活動に励んだりと、パワフルという言葉が大変似合うような女性でもあります。
青木蓼華の作品の特徴として、彼女が学んできた日本画特有の優美さや親しみを感じさせる絵付が挙げられます。代表作である近代創作こけし「雛菊」は、その愛らしさから温もりと癒しを与えてくれるような作品となっております。
他にも、彼女の作品の中で大きさがあり細部まで作りが精巧な創作こけしは、特に評価が高くなる場合がございます。
渡辺雄二は1951年宮城県出身のこけし作家です。
こけしには種類があり、大きく分類すると「伝統こけし」「新型こけし」「創作こけし」「木地玩具」の4種類に分類されています。そのうち伝統こけしは、産地や工人ごとに特徴があり、約10種類に細分化されます。
渡辺雄二は創作こけしの作家となります。創作こけしは系統にとらわれない自由な発想によって作られたこけしの分類系統とされています。
幼少期から「こけし」に関心があったようで、それが長じてこけし作家となりました。父の渡辺正雄はこけしの名工であり、1970年に師事しています。
1978年に全国近代こけし展で文部大臣賞を受賞、1983年には全国こけしコンクールで文部大臣奨励賞を受賞しています。特に全国近代こけし展ではこれ以降、無審査での出品が許可されています。この後も経産大臣などを取っており、活躍しています。