木 内克は、茨城県水戸市出身の彫刻家です。
1892年の6月、代々医者の家系に生まれますが、彼は医師への道ではなく絵の道へと歩みを進めることとなります。
幼い頃から絵が好きだったこともあり、20歳の時に大学を中退して上京、明治時代に活躍した彫刻家・海野美盛の元で彫刻を学びます。
その後、朝倉文夫の彫塑塾に入門し、24歳の時に第10回文展にて初入選、それ以降も何度か入選を果たしました。
29歳の時に留学で欧州を訪れます。その後、ロンドンからパリへと移り、パリの研究所で彫刻を極めていきます。
欧州滞在中には、ギリシャのアルカイック彫刻に傾倒し、自身でテラコッタの技法を修得します。
そして帰国後、その修得した技法を用い、仁科展に数々の作品を出展・受賞しました。
戦後においては、再度欧州に行きブロンズの制作技術までをも会得します。
晩年には大胆にデフォルメされた裸婦像も手がけ、生涯、個性あふれる数々の作品を世に残していきました。
作風としては、エネルギッシュさと豊かな表現が組み合わされ、そこへ生まれたどこか温かみを感じられる風情が特徴的だと言えます。
愛知文明(あいち ふみあき)は、1922年に岐阜県で生まれ、75歳の1997年に縄文文化を再現することをテーマとした『形象埴(けいしょうはに)』の制作により、岐阜県瑞浪市から無形文化財に認定された物故作家です。
愛知文明氏は、1922年に岐阜県瑞浪市稲津町萩原で生まれ、1971年に『形象埴』の制作を開始しました。『形象埴』とは、縄文時代や弥生時代の人物や動物、住居などを再現した作品であり、愛知文明氏がテーマとして掲げていました。
1997年に岐阜県瑞浪市から『形象埴』で無形文化財に認定された後は、愛知県名古屋市のデパートで年に2回個展を開催していました。また、全国各地でも個展を開いていましたが、2007年に逝去しました。
『形象埴』の中でも、30㎝を超える縄文・弥生時代の人物像は特に評価が高いです。その中でも人物の衣装部分のみに釉薬を施し、髪や肌を表す部分は素焼きで仕上げ、胎土を使い分けた作品はより高く評価されています。
吉田多加志は、群馬県桐生市出身の創作こけし作家です。
群馬県立桐生工業高校でデザインや色彩を学び、卒業後は会社勤めを経て、30歳の時に小林伊之介氏に師事し、創作こけしの制作を始めました。
全日本こけしコンクールや全群馬近代こけしコンクールなどで多数の賞を受賞しtております。
彼の作品は、伝統的なこけしの形態に独自のデザインや色彩を取り入れたもので、高く評価されています。
欅を使ったこけし制作を得意とし、全てろくろを使わず手彫りで仕上げられます。
木の想いに耳を傾け、彫り進めていくことで作られる作品には自然の奥深さや一体となる精神が感じられます。
杉浦康益は1949年、東京都に生まれました。
東京芸術大学大学院を卒業後、1979年に初の個展を開催、「やきものは石である」という恩師の言葉にインスピレーションを受けて制作した『陶による石の群』を発表し、注目を集めました。
その後、石から岩へとモチーフを広げ、『陶の岩』シリーズや、2000を超える陶器を積み上げて制作した『陶の木立』など、大型の作品を多く手掛けています。
無所属で作陶を続け、1984年に神奈川県真鶴に居とアトリエを置き、2000年からは自宅付近の植物をつぶさに観察し、陶器で緻密に作り上げた『陶の博物誌』シリーズも展開しています。
特に「花」をモチーフとした作品は、花弁の細かな動き、めしべやおしべの一つ一つに至るまで精緻に作られており、氏の作品の中でも人気が高くなっています。
全国各地で個展を開催しているほか、2012年には日本陶磁協会賞を受賞しています。
飛騨には今回ご紹介する「一位一刀彫」のほかに「春慶塗」などの木工文化がありますが、その始まりは飛騨工と呼ばれる社寺建設の技術者たちです。
飛騨の国には、租・庸・調の税の代わりに里ごとに技術者10人、飛騨国全体で年間100人程の匠丁を都へ送るという法令がありました。これは全国的にも飛騨の国にのみ定められていた制度で、この頃より飛騨工は名工の代名詞として知られ、都の寺院などの建設にその技術を発揮してきました。
一位一刀彫は江戸時代、根付師の松田亮長(1799~1871)がイチイの木を用いた根付を制作したことが始まりとされています。
イチイの木は秋に赤い実をつける針葉樹ですが、年輪が詰まってがいるため暴れにくく加工しやすいことに加え、美しい艶と茶褐色が特徴です。
イチイという名前の由来は、イチイの木で作った笏を朝廷に献上したところ、他の木材で作ったものよりも高品質だったことから、位階の最高位である正一位からとってイチイと呼ばれるようになった…という説があります。
飛騨一位一刀彫はこのイチイの木の木目や色艶を活かすため着色等せず作品に仕上げていくもので、国指定の伝統工芸品となっています。
青木蓼華は日本の創作木人形作家、いわゆる創作こけし作家の名工です。
1931年に群馬県渋川市に生まれ、27歳の頃から創作こけしを作り始めます。
群馬県は豊かな森林があることから、それを資源として作られる「近代こけし」の名産地として知られています。
青木蓼華は創作こけしを始めるまで日本画を学んでいた経歴を持ち、著名な日本画家の川合玉堂の門下生だった野沢蓼州に弟子入りしています。
言うなれば玉堂の孫弟子に当たり、「蓼華」という名前も元々、玉堂から野沢蓼州へと与えられた画号を青木が賜ったものでした。
彼女自身、この名前に強い愛着があり、創作こけし作家になってからも同じ名で活動を続けました。
1975年に文部大臣奨励賞を受賞すると、その後も通産大臣賞や内閣総理大臣賞といった数多くの賞を受賞していきます。
2013年には厚生労働大臣に表彰された卓越技能者にのみ与えられる「現代の名工」に名を連ねました。
私生活では56歳から始めた弓道で錬士6段を修めたり、事故で右目を失明した後も変わらず精力的に創作活動に励んだりと、パワフルという言葉が大変似合うような女性でもあります。
青木蓼華の作品の特徴として、彼女が学んできた日本画特有の優美さや親しみを感じさせる絵付が挙げられます。代表作である近代創作こけし「雛菊」は、その愛らしさから温もりと癒しを与えてくれるような作品となっております。
他にも、彼女の作品の中で大きさがあり細部まで作りが精巧な創作こけしは、特に評価が高くなる場合がございます。