天野タケルは日本の画家・彫刻家です。
世界的に有名な画家でありイラストレーターである天野喜孝の息子になります。
日本だけでなく、フランスのパリ・イギリスのロンドン・アメリカのニューヨーク・香港などで個展を開催しており世界的な注目と人気を博しています。
天野タケルは、1997年に渡米しアメリカ、ニューヨークで版画を学びます。ニューヨークで培った技術と発想で「NEW ART」と呼ぶ独自の表現方法を確立させました。「NEW ART」は宗教画や静物画などの伝統のある題材とポップアートを融合させたもので、黄色やピンクといったビビットな色彩を背景にシンプルな線で描く人物画や、どくろやろうそくによってはかなさを表した作品となっています。ポップで明るくシンプルな作品は万人に受けるですが特に若者への反響が多く、CDジャケットやアパレルブランドなどとコラボするなど多くの注目を集めています。
モチーフは様々で、人物画、静物画、風景画、抽象画、などいろんなジャンルを描いています。さらには作風も様々で平面、立体、アクリル、スプレーなど、型にとらわれることなくいろんな技法で常に新しいアート作品を生み出しています。そんな多くの作品がある中で特にVenusシリーズが人気です、鮮やかな色彩の中に単調な線で描かれる女性をモチーフにした作品シリーズです。日本でも天野タケルのVenus展が開かれるなど天野タケルを代表するシリーズとなっています、ちなみにその展覧会ではブロンズや真鍮製の立体アートが展示されたりなどもしています。
籔内佐斗司は日本の彫刻家です。奈良県のマスコットキャラクターせんとくんの生みの親として世間に広く認知されています。
1953年に大阪市に生まれる。1978年東京芸術大学美術学部彫刻科卒業。彫刻家としての第一歩を踏み出す。1982年~1987年まで東京芸術大学大学院美術研究科保存修復技術研究室に勤め、仏像などの古典技法を研究し保存修復などにも参加しました。
1987年から彫刻家として活動を開始して数多くの作品を手掛けます。
また籔内佐斗司の作品にはパブリックアートも多く、その特徴的な作風から観光スポットや待ち合わせ場所などに活用され広く愛されています。
さらに広く世間に認知されたのはやはり奈良県のマスコットに起用されたせんとくんを生み出したことでしょう。
特徴的な作風を見事にマスコットに落とし込みブームのきっかけ作りに成功しました。
また籔内佐斗司は木彫りの型から鋳造を行いブロンズ作品制作も行っており、早い段階からブロンズにエディションナンバーを設け、価値を高めています。
人気は上がる一方であり、これからが大変楽しみな作家です。
須賀 月真(げっしん)は1919年に生まれます。
故須賀松園(国指定無形文化財保持者)に師事し蝋型鋳造の業に従事しました。
数多くの個展を開き、入選しており、1990年には、蝋型鋳造部門で、高岡市伝統工芸産業技術保持者に認定されています。
蝋型鋳造とは、蝋の特性を生かした鋳金の一技法として、古くから発達し、
飛鳥、奈良期の小金銅仏の製作を始めとして広く使われてきました。
蝋型鋳造法が他の技法に比べてすぐれる利点は、蝋製原型は細工がしやすく、複雑な形態の鋳物造りに適することが出来るという事です。
また、原型の風合いの良さが鋳型を通じて鋳物にも転写されるため、艶やかな鋳肌が得られるところです。
木村玉舟は岡山県出身の陶芸家です。幻の備前焼と呼ばれる白備前を長きに渡り研究されております。毎年干支の置物の制作に取り組まれており、中でも鉄分の少ない土を焼しめることにより作り出される白備前の作品は多くの方から支持されております。
1953年木村玉舟は名細工師十六代木村宗得の長男として岡山県に生まれます。1976年に名古屋芸術大学彫刻科を卒業しました。1978年に日本最大の総合美術展覧会である第10回日展にて入選をしました。また同年に岡山県展津山市長賞を受賞しました。翌年には功績が認められて日展会友となります。1995年には幻の備前焼と呼ばれる白備前が完成し、同年に信楽陶芸展にて入選しました。2003年から約3年間岡山県展審査員となり、6年後には日本陶彫会副会長に就任しました。
2022年に制作した池田動物園のベンガルトラをモデルにした作品はニュースでも取り上げられました。こちらの作品は白備前の元祖ともいわれる閑谷焼であり、木村さんが5年もの時間をかけて初めて発表をされた物でございます。今後も工夫や研究を続け、素晴らしいご活躍をされることでしょう
大淵 光則は富山県出身の金工作家です。非常に細かい部分まで表現された作品が多く、発表のたびに驚嘆の渦を巻き起こしてきました。
大淵光則は1932年に富山県に生まれます。1948年に金工業界の名門である早川徳太郎氏に師事し、徐々に頭角を現していきます。1970年には、より銀器工芸の知識を深めるためにイタリアに渡ります。その5年後に、第1回東京銀器新作コンクールにて最高賞である「東京都知事賞」を受賞しました。1979年には第5回日宝連全国統一創作品コンクールにて最高賞である「内閣総理大臣賞」を受賞しました。1980年には世界最大のプラチナ製のヴィーナス像や、プラチナ純金製の名古屋城の製作を行い、翌年の第7回東京都銀器新作コンクールにて「東京都知事賞」を受賞、さらに第6回プラチナデザインコンテストにて「プラチナギルド賞」を受賞しました。数多くの作品が認められた事により、第125代天皇陛下御即位の礼記念「純銀貨 祥鶴」、皇太子御結婚記念「純銀製 双祥鶴」の製作を任されました。1998年には新技法や開発研究を行い、数多くの新作を発表しました。
伝統と文化を継承し、銀器業界の発展と伝統工芸品の魅力を世の中にもっと知ってほしいという思いから、2019年にブランド「光則」を立ち上げました。工房では数十人の職人の方々が先代のものづくりに対する姿勢を受け継ぎ、新たな価値を見出す為に日々制作に取り組まれております。
昭和20年代の初めごろ、農業をしながら木彫に励んでいた初代山田昭雲。
そこへ訪ねてきた棟方志功に版画を勧められた際、彫刻刀で彫り進める棟方とは違いノミを金槌で叩きながら刻む様子に「叩き彫り」という表現をされた事で「叩き彫 山田昭雲」が生まれました。
とにかく地道に、細い線も小さな文字も、ひたすらノミでコツコツと叩いて彫るという方法が棟方にとっては新鮮だったのかもしれません。
二代目山田昭雲は、仏師初代の長男として1925年(大正14年10月10日)岡山県勝田郡に生まれ、旧制津山中学松戸高等航空機乗員養成所を卒業後、終戦を機に日本原の開拓地へ入植し、叩き彫を始めます。
1967年に第一回叩き彫昭雲展を京都で開き、 以後全国各地で200回余の「叩き彫昭雲展」を開きました。
昭和33年に離農して故郷へ帰り彫刻に専念し、昭和55年には日本原の元開拓地の一隅に工房を建てました。
二代目は叩き彫とはどんな掘り方かとよく尋ねられたそうです。その際は「コツコツとリズミカルに彫るのです」「師の門をたたくという気持ちなのです」また、「世の人々に問うという仕事なのです」と答えていたそうですが、これらは全て、初代の教えだったそうです。
現在は叩き彫三代目、尚公により祖父の作風を今に伝え続けられています。