秦 蔵六

「秦蔵六」は日本を代表する鋳金家の名です。
当代で六代目となります。
「秦蔵六」の名は江戸の末期から代々、伝統の鋳金技法と共に継承されてきました。

初代蔵六は文政6年(1823年)に当時の山城国(京都府)に生まれ。
「二代 龍文堂 安之助」の弟子となり鋳造技術を学びました。
23歳の時に師事を辞して中国の古陶器に魅了され中国の古陶器撥蠟法を研究します。
「秦蔵六」の最大の特徴がその中国の古陶器の意匠を活かした撥蠟鋳造法による青銅器です。ところどころに金箔を貼る等した作品も数多く見られます。
また、「秦蔵六」は大和地方を巡歴し古代の作品を鑑賞。和漢の古作品の研究も意欲的に行いました。
その後、江戸幕府15代将軍徳川慶喜の征夷大将軍黄金印ならびに孝明天皇の銅印を鋳造して名声をあげると、1873年には宮内省の命により明治天皇の御璽や国璽を鋳造したことで更に名声を高めました。
京都の名工として、青銅器や鉄瓶、錫、銀を使った工芸品をたくさん残しており、代表作に鼎形花瓶があります。

清水 多嘉示

清水多嘉示 裸婦

 長野県諏訪郡出身の彫刻家で武蔵野美術大学の教授も務めました。人物をモチーフにした作品を手掛け、躍動感溢れる動きを見事に表現した作品はとても魅力的です。清水多嘉示の作品は、学校や公園などの公共施設に多数展示されている為各地で見る事ができます。

 健康上の理由により旧制諏訪中学を中退した後は画家を目指しており、洋画家である岡田三郎助・藤島武二が設立した「本郷洋画研究所」で絵画を学びました。同時期洋画家として下落合にアトリエを構えていた中村彜に師事し技術を磨きました。絵画を学ぶ為1923年からパリに渡りますが、そこでオーギュスト・ロダンの弟子アントワーヌ・ブールデルの作品に出合い、その事をきっかけに彫刻家の道を志します。ブールデルに師事してからは、フランスの美術展覧会に作品を出品し続け1927年まで連続で入選しました。帰国後はブロンズ作品を院展や春陽会などに出品し高い評価を得ました。1980年に文化功労者となり、同年には清水多嘉示の作品を集めた八ヶ岳美術館をオープンしました。翌年には正四位勲二等瑞宝章を授与されました。

先崎 栄伸

先崎栄伸(せんざき えいしん)は、昭和初期にその頭角を現した仏像彫刻家です。わずか18歳にして帝展入選という快挙を成し遂げるほどの腕前は、当時の人々にも驚かれました。その後も文展や日展、正統木彫家協会展などで数々の受賞歴を持ち、作品が納められた寺も少なくありません。

第二次大戦後は仏教美術彫刻に作品を絞り、1954年には仏教美術協会の設立にも携わりました。1976年、その功績が認められ、文部大臣賞を受賞しています。1985年には彫玄会代表として第一回彫玄会展を行いますが、翌年亡くなりました。

細部まで緻密に彫り込まれた造形と、今にも動きそうな躍動感溢れる肉体の表現は見事というほかなく、「想像を絶する才能の持ち主」という評がまさに当てはまる人物です。
寺社に納められているものも多く、曹洞宗の大本山総持寺の舎利殿本尊や、浅草・浅草寺の五重塔内にある百観音の一部も手掛けるなど、数々の作品が各地の寺院に存在します。

ヒロ・ヤマガタ

ヒロ・ヤマガタ(本名・山形博導)は、現在アメリカを拠点に活躍している、現代美術家です。日本国内で人気の高いシルクスクリーン作品の他に、空間全体が作品となる「インスタレーション」と呼ばれる形の作品も制作しています。

1948年に滋賀県米原の材木商の家庭に生まれ、高校生時代には多くの公募展で作品が入賞するなど、その才能は早くから現れていたようです。卒業後の1967年に上京し、間もなく広告会社へ入社しました。しかし、1972年突如として渡欧し、そのままパリに移住します。翌年、パリの画廊と契約を結んだことがきっかけとなり、欧州各地で個展を開催するようになりました。

転機となった1978年、アメリカ・ロサンゼルスの画廊と契約し、移住します。ヤマガタの代名詞ともいえるシルクスクリーン作品の制作は、このとき始められました。この作品がアメリカで非常に高く評価され、その名は瞬く間に有名になりました。その後はアメリカ各地や祖国・日本、ヨーロッパなど、世界各地で個展を開いています。また、オリンピックやホワイトハウスといった著名な機関からも制作を依頼され、公式ポスターや記念絵画、切手などのデザインも行っています。慈善事業家としての活動も行っており、自身の作品の売上を赤十字や障がい者支援団体へ寄付するなどの社会貢献にも積極的です。

人気の高いシルクスクリーン作品は、版画ながら100色以上の色で彩られ、とても鮮やかで、遊び心にも溢れた明るい作品となっています。なかでも爽やかながら深みのある青色は「ヤマガタ・ブルー」と呼ばれ、ヤマガタの代名詞といえる色となっています。

谷口 康隆

谷口康隆(本名・康則)は高知県の珊瑚彫刻作家です。最高級の天然珊瑚から生み出されるその作品は、非常に細かな造形と、筋肉の動きまで見て取れるような躍動感あふれる作品となっています。一本枝の珊瑚による緻密な立体造形の姿は、まさに圧巻というほかありません。

作品の種類も多岐に渡っており、縁起物の飾りや置時計、菩薩像や香合と様々な作品が存在します。ときには鼈甲と組み合わせた作品を制作することもあり、その表現は多彩です。

優れた彫刻技術はコンテストでも高く評価されており、高知県珊瑚名作展高知県知事賞や国際珊瑚展入賞といった成績を残しています。2009年には高知県の伝統技能継承者、「土佐の匠」にも認定されるなど、今後の活躍も期待されます。

岡本 太郎

岡本太郎は太陽の塔の制作者として知られる、日本を代表する芸術家です。
彼が描き作り出す抽象の世界は、日本のみならず全世界の芸術に大きな影響を与えました。

神奈川県の高津村(現川崎市高津区)に生まれ、幼少期より絵を描く事が好きな子どもとして育ちます。東京美術学校在学中の1929年に父親の仕事でパリへ移住、一時期は芸術の意味に迷いますが、偶然目にしたピカソの作品に大きな衝撃をうけます。以後、岡本はピカソを超えることを目標に、抽象作品の制作に没頭することとなります。

第二次大戦の勃発で日本に戻った岡本は、軍の招集命令により陸軍兵士として中国へ派遣されました。終戦から半年後に帰国し、制作活動を再開します。1951年、東京国立博物館で展示されていた縄文火焔土器をみて、その芸術性に影響をうけます。1960年代にはメキシコに滞在し、ホテルの壁画制作の依頼を受けます。これが代表作『明日の神話』の制作へつながります。同時期に大阪万博のテーマ展示を依頼され、シンボルとなった『太陽の塔』を設計しました。その後も意欲的に活動を続け、頻繁に作品展も開催し多くの作品を残しました。メディアで取り上げられることも多く、そのユニークなキャラクターから人気を集めています。

岡本は1996年に亡くなりますが、その後も彼の作品は注目を集めました。1999年には地元川崎市に岡本太郎美術館が開館し、2003年には行方不明になっていた代表作『明日の神話』が発見されました。現在は修復され渋谷駅連絡通路に展示されています。また2011年には生誕100年を記念した展覧会が東京国立近代美術館で開催されました。

有名な「芸術は爆発だ」との言葉通り、自由で派手な作品を多く残していますが、その作品それぞれには彼が未来へ伝えたい想いが色濃く現れています。

西中 千人

西中千人は和歌山出身のガラス工芸家です。 大学時代は薬学を専門としていましたが、卒業後はクリスタルガラスメーカーに勤務した後、アメリカに留学してカリフォルニア芸術大学で本格的にガラス造形を学んでいます。帰国後は日本唯一の …

谷口 珠峯

谷口珠峯は、戦後日本の象牙彫刻の第一人者としてあげられる象牙彫刻家です。 1933年に茨城県の石岡に生まれ、戦後に象牙彫刻家・亀田洞水に師事し、その技術を学んでいます。1960年代には「彫和会」という作家団体も立ち上げ、 …

加納 夏雄

加納夏雄は幕末明治の日本で、その高い技術を駆使し活躍した金工師です。 1828年、京都の米屋に生まれますが、間もなく刀剣商・加納治助の養子となりました。身近にあった刀剣の中でも鍔や柄の美しさに魅かれ、自分で作ることを試み …

富永 直樹

富永直樹(本名・良雄)は日展を中心に活躍した日本の彫刻家です。 1913年に長崎県長崎市に生まれ、幼少期より彫刻に興味をもっていました。高校卒業後は彫刻家になるべく、東京美術学校彫刻科塑像部へ進学します。在学中に文展へ出 …

鯉江 良二

鯉江良二は愛知県常滑市の陶芸作家です。アルバイト中の事故で、右手の指を2本失うというハンデを抱えながらも、精力的に制作に取り組み続け、その独創的な発想で、従来の焼き物の枠組みを超えた自由な作風が特徴となっています。 青年 …

舟越 保武

舟越保武は戦後日本の彫刻界を代表する彫刻家です。 1912年、岩手県北部の二戸町に生まれ、県立盛岡中学校に進学します。在学中に読んだ「ロダンの言葉」に影響をうけ彫刻家になることを決意し、東京美術学校(現東京藝術大学)の彫 …

佐藤 忠良

佐藤忠良は舟越保武と並び、戦後日本の彫刻界を代表する彫刻家です。 1912年に宮城県に生まれ、間もなく北海道に移り住みます。絵画を学ぶために、上京することを決意し、1932年より小石川の川端画学校に通い始めました。しかし …