秋山 信子

皆様は、秋山信子という人物をご存知でしょうか。
1928年に大阪府に生まれた秋山信子は、27歳の時に日展や日本伝統工芸展、京展、現代人形美術展にて活躍をした大林蘇野に師事します。大林蘇野からは桐塑及び和紙貼り、木目込みなどの伝統的な人形制作技法のみではなく、創作人形の表現についても指導を受けます。さらに、彫刻家の伊藤鉄、日本画家の生田花朝女や漆芸作家の武石勇にも師事することでそれぞれの伝統的な制作技法を高度に会得しました。1959年に「望郷」が日本伝統工芸展に初入選したことを皮切りに同展での受賞を繰り返していくだけでなく全日本女流人形展での受賞を果たしました。また、1978年の「大月」、1980年の「命名」が文化庁の所蔵となり、1993年に大阪府から皇太子殿下への献上品である「迦陸贅」の制作も行い、1996年には「衣裳人形」にて国の重要無形文化財に認定される功績を果たしております。
秋山信子の作品は桐材の木彫や桐材を芯にして桐塑で細部を表現する木芯桐塑であったり、乾漆等の技法で素地を形成、仕上げの技法には蒔絵や布貼、和紙貼等の様々な技法を使い、沖縄の風俗や芸能をはじめとした各地の祭礼行事や中国や朝鮮の風俗などを題材に発表される数多くの作品は高い評価を得ております。

鹿児島 寿蔵

紙塑人形にて国の重要無形文化財に認定された福岡県出身の作家と言えば鹿児島寿蔵ではないでしょうか。
紙塑人形とは昭和初期に創生された日本人形であり、紙塑とは和紙などの繊維を煮詰めて糊などを加えてかき混ぜて作った粘土状の材料のことを指します。
その仕上がりは粘土や桐塑とは違い、柔らかな質感が良く生かされているのが特徴となります。

鹿児島寿蔵はこの紙塑人形の第一人者であり、彼の作る作品は和紙の美を極限まで追求し、更には丈夫さも兼ね備えるように研究を続けた結果、「紙塑人形」を創案しました。
鹿児島寿蔵の作る紙塑人形は、光沢があり優雅な雰囲気が漂った作品であり、まさに極限の美にこだわり抜いた職人技が光る作品ばかりです。
また、鹿児島寿蔵は短歌も愛していたこともあってか優雅な雰囲気のある作品を作ることに長けていたのではないでしょうか。
そんな鹿児島寿蔵の作った作品は没後もなお多くの人々を魅了していることは間違いないでしょう。

佐々木 象堂

佐々木象堂は1960年に「蝋型鋳造」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された金工師です。
1884年に新潟県に生まれた佐々木象堂(本名は文蔵)は、貧しい家庭で育った為高校に通いながら商家に奉公しておりました。画家を目指して上京しますが、極度の近眼であった為画家になることは断念しましたが、鋳造なら可能なのではないかと考えた佐々木象堂は初代・宮田藍堂に師事します。
宮田藍堂に師事して芸術家としての技術を身に着けていった佐々木象堂は、6年間の修行を経て独立することを認めてもらえるようになります。その後は1913年に日本美術協会展にて銅賞を受賞したことを皮切りに数々の賞を受賞していきます。中でも「鋳銀孔雀香炉」や「金銅鳳凰置物」は帝展に出品をすると両作品とも特選を受賞したことにより更に佐々木象堂の名は有名になっていきました。
戦時中には金属の調達が難しかったこともあり、陶芸にも打ち込み真野焼窯を創設し、子弟とともに陶芸にも打ち込んでいたとのことです。戦後は再び、鋳金家としての活動を再開し、数々の名作を残したことなどの功績を残した佐々木象堂の作品は人気の高い物となっております。

高村 光雲

高村光雲は、1852年の江戸下谷(現・台東区)出身の仏師、彫刻家です。

上野公園にある西郷隆盛像や、皇居の楠木正成像の制作に関わったことで知られています。

1863年、行きつけだった床屋の口利きから仏師・高村東雲に師事し、木彫を学びはじめます。後に東雲の姉・エツの養子となり高村姓を継ぐこととなりました。

20代の頃、すでに光雲は一人前の実力を身に着けていました。しかし、明治維新の廃仏毀釈運動の影響で仏師としての仕事が無い状態でした。ここで光雲は、木彫りに活路を見出します。象牙彫刻が流行したために木彫りも衰えを見せていましたが、光雲は西洋美術の写実性に目を付け、取り入れることで木彫りの新たな領域を見せました。江戸時代までの木彫り技術の伝統を近代へとつなげる、重要な役割を果たしたのでした。

1899年からは東京美術学校(現・東京藝術大学)に勤務し、翌年には宮内省の帝室技芸員に任ぜられました。以後は「老猿」「山霊訶護」など様々な名品を残しながら教員や展覧会の審査員を行い、後世の発展にも寄与しました。光雲の弟子には、山崎朝雲、山本瑞雲、米原雲海、関根聖雲などがおり、近代日本彫刻を代表する彫刻家となっています。

原 精一

昭和を生きた画家、原 精一。裸婦像を得意とし、憂いのある女性の美を描いた作品を数多く残しています。

原は1908年、神奈川の寺院の長男として生まれました。学生時代に萬鉄五郎の作品をみて感銘を受け、萬の数少ない弟子となります。その後は各絵画展に出品を行い、優秀な成績を修めました。
しかし時代は戦争へと突入し、原の元にも召集令状が届きました。原は1937年、中国戦線へと赴くことになりますが、戦地では従軍画家ではなく一兵士として脚色のない現実をスケッチしています。一度は帰国するも敗色濃厚となった1943年、再招集を受け今度は南方戦線へと配されます。何度も死線をくぐりながらも生き延び、1946年日本への帰国を果たしました。
戦後は国画会展や国際形象展で活躍する一方、女子美術大学の教授も務め、美術教育にも尽力しています。

戦場で数多くのデッサンを描いた為か、原のデッサン力は非常に高く、わずかな時間で対象の姿を的確に描き出し、暖かくそれでいて力強さも備える作品たちは多くの人々を魅了しました。

海野 清

海野清は1884年に帝室技芸員の父、海野勝珉の三男として生まれます。

1911年に東京美術学校を卒業してからは父である海野勝珉と金工師、加納夏雄に師事し技術を磨きます。

1914年には大正博覧会に出展し2等賞を受賞、1919年には母校である東京美術学校の助教授に就任、1928年帝展に出展し特選を受賞します。翌年の1929年からは帝展、新文展審査員を務め、1932年には東京美術学校の教授に就任します。同じ年にフランスへ留学、西洋の彫刻を学びその後の作品に大きな影響を与えたといわれています。

その二年後の1934年に日本へ帰国した後も帝展、展覧会に出展を続け、1943年に勲三等瑞宝章を受章しました。

1947年に帝国芸術院会員となり、1949年東京藝術大学の教授に就任し、日展運営会常任理事も務めます。その他、全日本工芸美術家協会会長、日本彫金家会会長等も務めあげました

1956年逝去。享年71歳でした。

海野清の彫金技術の特徴は父から学んだ伝統的な彫金技法をベースに留学で得た西洋の技術も加え、モダンな装飾を施すなどして独自の作風を確立しました。

 

平野 千里

日本近代木彫界の巨匠「平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)」の彩色を担当していた 彩色木彫の第一人者・「平野富山(ひらのふざん)」が父になります。 平野千里は20 歳でイタリアへ留学し、西洋彫刻の技術を学んだ後、帰国しました。 …

平野 富山

清水が生んだ彩色木彫の名匠、平野富山(ひらのふざん)。 旧清水市江尻に生まれた平野富山(1911年~1989年)は、日本近代彫刻の巨匠・平櫛田中(ひらくしでんちゅう)(1872年~1979年)から絶大な信頼をおかれ、田中 …

肥沼 美智雄

子ども時代に惚れこんだ古代の土器を元に作陶を行う陶芸家・肥沼美智雄。唐草紋を配した置物や角張った花器などで確立された独自の作風は、その造形の巧みさから人気を得ています。 肥沼は1936年、東京の青梅で生まれました。小学校 …

中川 浄益

中川浄益(1559~2008年)は、金物、金工品を得意とした千家十職(金物師)の一人です。 初代である紹益は、当初、武具や鎧などの製作をしていたが、千利休の依頼をきっかけに茶道具製品の製作を開始したと言われております。 …

中村 信喬

中村信喬は現在までで四代続いている中村人形の三代目で福岡県の無形文化財であった中村衍涯を父に持つ人形師です。 1957年に福岡県に生まれた中村信喬は、九州産業大学芸術学部美術学科彫刻専攻を卒業し1980年に家業を継ぎまし …

高村 光太郎

日本近代文学史を語る上で欠かせない詩人・高村光太郎。詩集『道程』や『智恵子抄』などの作品が有名ですが、その一方で父である高村光雲に続き、自身も彫刻家として活躍しました。 高村光太郎は1883年、高村光雲の長男として生まれ …

関根 伸夫

戦後日本の現代美術に大きな影響を与えた「もの派」。その中心的位置にいたのが現代芸術家・関根伸夫です。 1942年埼玉県大宮に生まれ、高校卒業後は多摩美術大学の油絵科に進学します。このとき指導をうけた現代美術家の斎藤義重に …

平櫛 田中

明治から昭和まで、激動の時代の中で日本彫刻界の中心にいた彫刻家・平櫛田中。その作品はたとえ小さなものでも、圧倒的な存在感で観るものを引き込みます。 田中は1872年に現在の岡山県井原市に生まれました。10歳のころ広島県福 …

北村西望 獅子

北村 西望

北村西望は長崎の平和記念像で知られている文化勲章を受章した彫刻家です。 長崎県に生まれた北村西望は、京都市立美術工芸学校彫刻科、東京美術学校彫刻科に進み、東京美術芸術学校に在学中に「憤闘」が第2回文展に初入選、第3回文展 …

山崎 朝雲

山崎朝雲は明治~昭和時代に活躍した、「大葉子」という作品が有名な彫刻家です。 福岡県に生まれた山崎朝雲は、初め仏師である高田又四郎のもとで伝統的な木彫の技術を学びました。 元々、幼少のころから彫刻の世界に興味を持ち続けて …

秦 蔵六

「秦蔵六」は日本を代表する鋳金家の名です。 当代で六代目となります。 「秦蔵六」の名は江戸の末期から代々、伝統の鋳金技法と共に継承されてきました。 初代蔵六は文政6年(1823年)に当時の山城国(京都府)に生まれ。 「二 …

清水多嘉示 裸婦

清水 多嘉示

 長野県諏訪郡出身の彫刻家で武蔵野美術大学の教授も務めました。人物をモチーフにした作品を手掛け、躍動感溢れる動きを見事に表現した作品はとても魅力的です。清水多嘉示の作品は、学校や公園などの公共施設に多数展示されている為各 …

先崎 栄伸

先崎栄伸(せんざき えいしん)は、昭和初期にその頭角を現した仏像彫刻家です。わずか18歳にして帝展入選という快挙を成し遂げるほどの腕前は、当時の人々にも驚かれました。その後も文展や日展、正統木彫家協会展などで数々の受賞歴 …

ヒロ・ヤマガタ

ヒロ・ヤマガタ(本名・山形博導)は、現在アメリカを拠点に活躍している、現代美術家です。日本国内で人気の高いシルクスクリーン作品の他に、空間全体が作品となる「インスタレーション」と呼ばれる形の作品も制作しています。 194 …

谷口 康隆

谷口康隆(本名・康則)は高知県の珊瑚彫刻作家です。最高級の天然珊瑚から生み出されるその作品は、非常に細かな造形と、筋肉の動きまで見て取れるような躍動感あふれる作品となっています。一本枝の珊瑚による緻密な立体造形の姿は、ま …

岡本 太郎

岡本太郎は太陽の塔の制作者として知られる、日本を代表する芸術家です。 彼が描き作り出す抽象の世界は、日本のみならず全世界の芸術に大きな影響を与えました。 神奈川県の高津村(現川崎市高津区)に生まれ、幼少期より絵を描く事が …

西中 千人

西中千人は和歌山出身のガラス工芸家です。 大学時代は薬学を専門としていましたが、卒業後はクリスタルガラスメーカーに勤務した後、アメリカに留学してカリフォルニア芸術大学で本格的にガラス造形を学んでいます。帰国後は日本唯一の …

谷口 珠峯

谷口珠峯は、戦後日本の象牙彫刻の第一人者としてあげられる象牙彫刻家です。 1933年に茨城県の石岡に生まれ、戦後に象牙彫刻家・亀田洞水に師事し、その技術を学んでいます。1960年代には「彫和会」という作家団体も立ち上げ、 …

加納 夏雄

加納夏雄は幕末明治の日本で、その高い技術を駆使し活躍した金工師です。 1828年、京都の米屋に生まれますが、間もなく刀剣商・加納治助の養子となりました。身近にあった刀剣の中でも鍔や柄の美しさに魅かれ、自分で作ることを試み …