舟越 保武

舟越保武は戦後日本の彫刻界を代表する彫刻家です。

1912年、岩手県北部の二戸町に生まれ、県立盛岡中学校に進学します。在学中に読んだ「ロダンの言葉」に影響をうけ彫刻家になることを決意し、東京美術学校(現東京藝術大学)の彫刻科へ進学、1939年に卒業しました。卒業後は独学で石彫を始め、多くの作品を発表します。しかし、1950年に生後間もない長男が亡くなり、大きなショックをうけます。このことがきっかけとなり、父親と同じくカトリックの洗礼をうけ、以後の作風もキリスト教色が強いものとなりました。1967年より母校の東京藝術大学にて教授を務め、さらに多摩美術大学の教授も務めるなど後進の育成にも積極的でした。1987年、脳梗塞により右半身が動かせなくなってしまいますが、リハビリにより動かせるようになった左手で創作を続けていました。

代表作として秋田県の田沢湖畔に立つ「たつこ像」があります。また少女の頭部をモチーフとしたブロンズ像、デッサンなどを数多く残しています。

美術学校在学中に同期であった彫刻家、佐藤忠良と出会いその後も長く親交が続いていました。

佐藤 忠良

佐藤忠良は舟越保武と並び、戦後日本の彫刻界を代表する彫刻家です。

1912年に宮城県に生まれ、間もなく北海道に移り住みます。絵画を学ぶために、上京することを決意し、1932年より小石川の川端画学校に通い始めました。しかし、ロダンやマイオールの彫刻作品を目にし、深い感銘を受け、画家から彫刻家へ転向します。東京美術学校彫刻科に入学し、在学中に同期の舟越保武とともに国画会へ作品を出品、共に入選しています。美術学校卒業後は保武とともに新制作協会で活動しました。しかし、第二次大戦で徴兵されシベリア抑留となり、帰国する1948年まで虜囚生活をおくることとなってしまいます。復員後は東京に戻り制作を続け、東京造形大学教授にも就任しました。

戦後は人間の美しさを追い求めたかのような作品を手掛け、忠実な造形と内包される人間の抽象性を表現した作品は、国内のみならず海外でも高く評価されています。1981年にはフランスの国立ロダン美術館にて、日本人初の個展を開催しています。

また、その功績を称え文化勲章の受章候補となったこともありますが、自ら辞退するなど職人としての生き方を貫く人物でした。