楽 覚入(らく かくにゅう)は、昭和に活躍した京都の陶工で、千家十職の一つである樂家の十四代当主です。
十三代惺入の長男として生まれ、東京美術学校(現・東京藝術大学)彫刻科を卒業した後、戦時下であったために従軍します。1945年(昭和20年)に復員し前年に亡くなった父の跡を継いで十四代・楽吉左衛門を襲名しました。
戦後まもなくは物資も乏しく作陶に苦労した時期もありましたが、東京美術学校で学んだ近代彫刻の造形理論を伝統的な楽焼に導入し、戦後の現代陶芸の潮流の中で独自の作風を展開しました。へら削りを用いたシャープな輪郭や立体的な構成が特徴であり、赤楽や黒楽の技法を用いた作品を数多く残しています。
また、1978年(昭和53年)に楽家に伝来していた一族の作品を納めた『楽美術館』を設立し、楽家が繋いできた伝統だけでなく、技術の保存と現代における発展に尽力しました。
楽 弘入(らく こうにゅう)は、明治時代初期に活躍した京都の陶工で、千家十職の一つである樂家の十二代当主です。
十一代慶入の長男として生まれ、1871年(明治4年)に家督を継ぎ十二代・楽吉左衛門を襲名しました。1919年(大正8年)に家督を十三代惺入に譲り隠居し、以降「弘入」と号します。
丸みを帯びた温和な造形と、独特の装飾的な篦(へら)使いが特徴です。また、二重に釉薬をかける幕釉(まくぐすり)の技法を得意とし、変化に富んだ軽やかな色調の赤楽茶碗などを制作しました。
この時期は幕末から明治維新にかけての茶道や伝統文化が衰退した激動の時代にあたり、父とともに家業の維持に尽力しました。
楽旦入(らく たんにゅう)は、江戸時代後期に活躍した京都の陶工で、千家十職の一つである樂家の十代当主です。
九代了入の次男として生まれ、1811年(文化8年)に家督を継ぎ十代・吉左衛門を襲名しました。その後、1845年(弘化2年)に家督を婿養子の十一代慶入に譲って隠居し、旦入と号しました。
父である九代了入が確立した、手捏ね(てづくね)技法における篦削り(へらけずり)の表現をさらに発展させました。また、窯の内部の環境によって釉薬(うわぐすり)が予期せぬ変化を起こす「窯変」を活かし、色彩の豊かな変化を作品に持たせるなど洒脱な趣があることが特徴です。
紀州徳川家の偕楽園窯や清寧軒窯に招聘され、御庭焼の指導や作陶に従事しました。その功績により、当時の藩主から「偕楽園」などの印を拝領しました。
竹本 輝夫は、昭和から平成にかけて愛媛県松山市を拠点に活動した陶芸家です。
1945年に松山市に生まれ、父親の勧めで蟹の意匠を特徴とする「水月焼」の創始者・好川恒方に弟子入りしました。愛媛県展で入選、無審査となった後は制作活動に専念し、現在は閉窯しています。
水月焼は、狩野派の画家・好川馬骨の長男である好川恒方が、1903年に松山の自宅に築窯して始めた陶芸です。「絵画を立体的に表現したい」という発想のもと、精巧な立体造形、とりわけ「天神蟹」をあしらった作品で広く知られています。恒方の没後は妻・好川恒悦が二代目を継承しましたが、2012年の逝去をもって水月焼は閉窯となりました。そのため現存作品は限られ、現在では骨董市場でも高く評価されています。
現在市場で確認できる竹本の作品には、白釉を基調に生き生きとした蟹をあしらった湯呑などがあります。 岩場から顔をのぞかせる蟹の躍動感や一点ごとに異なる表情には、高度な造形技術と独自の世界観が表れています。
楽左入(らく さにゅう)は、江戸時代中期に活躍した京都の陶工で、千家十職の一つである樂家の六代当主です。
元々は商人の次男として生まれましたが、その優れた才能を見込まれて五代宗入の養子となり、1708年(宝永5年)に六代・楽吉左衛門を襲名しました。1728年(享保13年)年に家督を六代長入に譲って隠居し、以降「左入」と号しました。この「左」の文字は表千家六代覚々斎宗左より授かったと言われています。
左入は楽家の伝統的な技法を受け継ぎながらも、釉薬の研究に深く取り組みました。特に「左入黒」と称される、光沢の中に多様な変化を見せる黒釉を用いた黒楽茶碗や、的確なヘラ削りによる端正な造形が特徴です。
表千家七代如心斎から非常に信頼され、享保18年(1733年)には「左入二百」と呼ばれる200碗の連作を制作するなど、数多くの名碗を残しました。
楽 直入(らく じきにゅう)は、現在も活躍する京都の陶工で、千家十職の一つである樂家の十五代当主です。
十四代覚入の長男として生まれ、東京藝術大学彫刻科を卒業した後、イタリアへ留学し、1981年(昭和56年)十五代・楽吉左衛門を襲名しました。2019年(令和元年)に家督を長男の当代・十六代楽吉左衛門に譲り隠居し、以降「直入」と号します。
伝統的な樂茶碗の伝統を継承しながらも、枠にとらわれない大胆で彫刻的な作品が特徴です。「焼貫(やきぬき)」の技法を用いた作品を展開し、国内外で高い評価を得ています。
2007年(平成19年)滋賀県にある佐川美術館「樂吉左衞門館」の設計・監修を手掛けました。隠居以降は京都の山間部に居を構え、今もなお精力的に作陶活動を送っています。