裏千家六代 泰叟宗室 六閑斎

茶道裏千家六代家元 泰叟宗室 六閑斎についてご紹介致します。

 

裏千家五代・常叟宗室 不休斎の長男であり、七代・竺叟宗室 最々斎の養父に当たります。

能書家であり、絵や歌にも優れた人物であったといわれております。

 

茶の湯は表千家六代・覚々斎から学びます。16歳から松山藩(現・愛媛県)に出仕し始め、その後京や江戸、加賀を頻繁に往来する生活となります。しかし、元来体の弱かった六閑斎には大きな負担となりました。妻を早くに亡くした影響もあり、自身も33歳の若さでこの世を去ることとなりました。
父の不休斎が早逝であり、次代の最々斎も25歳と、この時代は早逝が続いております。

 

作品としては「丙午の茶碗」が中でも有名であり、また短命ながらも多くの書や絵がその美意識とともに伝わっております。
六閑斎本人の作品や、花押や書付のある作品は高い評価が期待できます

 

 

裏千家十三代 鉄中宗室 円能斎

茶道裏千家十三代 鉄中宗室 円能斎 についてご紹介致します。

十二代・又玅斎の子であり、十四代・淡々斎の父に当たります。

 

円能斎の大きな功績として、茶道を女性の嗜みとして普及させたことがあります。
当時の明治期まで、茶道は男性の学びとして確立されておりました。その頃は近代化により多くの分野で変革が促されていたという時代背景もあり、円能斎は茶道の大衆化に舵を取ります。
女学校教育に茶道を導入、また茶道具や点前に関する書籍の出版などによって、敷居の高かった茶道という文化を誰もが触れられるように普及していきました。

 

円能斎の好み物(茶人が職人に意を伝え、制作を依頼した茶道具)として有名なものでは「国師丸釜」や十二ヵ月に因む図柄を施した「十二月棗」があります。円能斎の好み物は人生観を表したように、伝統と大衆性が感じられるお品物が多いです。
裏千家家元宗匠の花押や書付のある好み物は、高名な茶人監修の意味合いで高い評価が期待できます

また、円能斎本人が筆をとった「茶掛」や本人制作の「茶杓」「茶碗」といったお品物も人気が高く、評価の高いお品物です。

見附 正康

見附正康は九谷焼の作家です。

1975年に石川県に生まれ、石川県九谷焼技術研修所在学中に九谷焼の名工・福島武山出会ったことで卒業後に師事します。その後は作品が認められない日々が続きますが、ある時オオタファインアーツの大田氏に注目されるようになったことでグループ展に出展するようになったり、経済産業大臣指定伝統工芸技士として認定されたりと活躍の幅を広げることになりました。
その後2007年に独立し、自宅に工房を構え作陶にはげみ、個展やアートイベントにも出展、第9回パラミタ陶芸大賞なども受賞しております。

作風としては人物や花鳥などの伝統的な九谷焼の赤絵の絵付のものありますが、緻密で繊細な線描で描かれた文様やパターンの絵付を得意としており、超絶的な技術が込められた作品には目を見張るものがあります。また、海外で見た建造物などからヒントを得ることもあり、伝統ある九谷焼の絵付と現代的なデザインが融合した新たなジャンルの作品であるとも言えます。

 

柳原 睦夫

柳原睦夫は1934年に生まれた高知県の陶芸家です。

陶芸とは縁のない医師の家庭で生まれ育ち、デッサンを学ぶため京都市立芸術大学に進学しようとしましたが、縁故のある学長より同大学で陶磁器専攻の主任教授を務める富本憲吉に師事するよう勧められ、陶芸の道を歩むことになりました。現在は現代陶芸の第一人者として知られる陶芸家となっております。

1966年にワシントン大学に講師として招聘されました。念願だった渡米を果たしましたが、そこで全盛期のポップアートに揉まれ日米の陶芸を見つめなおすことになりました。1971年に器の各部分を別々に作成しつなぎ合わせる須恵器にヒントを見出し、ラスター釉使用による金銀彩シリーズを完成させました。二度目の渡米ではうつわの要素を取り除いた「空」シリーズを製作しました。三度目の渡米ではうつわを見つめなおし「筒花瓶」「踏花瓶」「笑口瓶」などのシリーズを制作されました。

1984年に大阪芸術大学教授就任し、現在では大阪芸術大学名誉教授として活躍されております。

伊勢崎 晃一朗

伊勢崎晃一朗は、1974年生まれの備前焼作家です。

人間国宝である備前作家・伊勢崎淳の長男として生まれ、現在においても活躍の幅を広げておられます。

東京造形大学の彫刻科を1994年に卒業し、その後はアメリカにて研鑽を積みました。1998年からは父・淳の弟子でもあった陶芸家、ジェフ・シャピロのもとで二年間陶芸を学びます。そして2000年に備前に戻り、父・淳のもとで陶芸家としてのスタートラインに立ちました。
以降は多くの展覧会で受賞を重ねつつ、個展やグループ展を開催する人気作家となっております。

伊勢崎晃一朗の作品では、オブジェ的な造形のものがよく見られます。今までにないような凝った造形を創り出す一方で、手の取りやすさなど使い勝手の点でもきちんと計算されており、まさにアート性と用の美が両立した現代的な備前焼といえます。
土色に関しても、備前伝統の重厚な色味のものから海鼠釉や金彩などを取り入れた豊かな発色を持つものまで様々であり、広くユニークな作品が楽しめる作家さんです。

武者小路千家十二代 聴松宗守 愈好斎

十二代 聴松宗守 愈好斎(ゆこうさい)は茶道の武者小路千家の家元です。
名は嘉次、宗守、別号として聴松。
明治から昭和の半ばにかけて活躍された茶人です。

武者小路千家の十二代家元ですが、元々は表千家久田流十代家元・久田宗悦の次男として生まれました。
武者小路千家十一代家元・一叟宗守に子がいなかったため養子として迎えられました。
三千家と呼ばれる「表千家」「裏千家」「武者小路千家」ですが、その存続のために互いに助け合いながら発展してきた歴史があります。
愈好斎の実父である久田宗悦にしても、表千家十代・汲江斎の三男であり、祖父は久田流七代家元・久田宗也というように、多くの代で互いに後見人を務めたり、養子になったりと密接に結びついています。
幕末から昭和という激動の時代を互いに支えあって発展してきたのです。

そんな歴史の中、愈好斎も波乱の人生を歩みます。
養子として武者小路千家に引き取られますが、十一代・一叟宗守が愈好斎が九歳の時に亡くなってしまいます。
そのため表千家十一代家元・碌々斎や十二代家元・惺斎の元へと引き取られ、茶道を習います。
この表千家へ引き取られている期間は、武者小路千家としては一時中断という形になりますが、その期間に愈好斎は東京帝国大学へ入学し、国史学を学びたくさんの知識を身に着けます。
そして大学卒業後に宗守を継承して十二代家元となり、武者小路千家を再興させます。

再興後は武者小路千家に代々引き継がれてきた官休庵を改築し、利休居士350年忌に際して、稽古の間である弘道庵を再興させます。
愈好斎は伝統を継承しつつも、論理的に現状を分析、批判し、近代の茶道を改めました。
優れた門弟を輩出する傍ら、多くの著書を出版するなど、現代茶道に大きな影響を与えた人物と言えるでしょう。

藤村 庸軒

藤村庸軒は、千利休の孫にあたる千宗旦の直弟子であり、山田宗徧、鈴木普斎、久須見疎安らとともに「宗旦四天王」と呼ばれる茶匠です。表千家の流れをくむ庸軒流の開祖であり、漢詩にも精通した文化人でもあります。 庸軒は表千家久田流 …

加藤 唐九郎

加藤唐九郎は、「永仁の壺」事件で贋作を作陶してしまった人物として良くも悪くも有名になってしまった愛知県出身の陶芸家ならびに陶磁史研究家です。 「永仁の壺」事件とは永仁二年の瓶子が鎌倉時代の古瀬戸の傑作として認定を受けます …

鯉江 良二

鯉江良二は愛知県常滑市の陶芸作家です。アルバイト中の事故で、右手の指を2本失うというハンデを抱えながらも、精力的に制作に取り組み続け、その独創的な発想で、従来の焼き物の枠組みを超えた自由な作風が特徴となっています。 青年 …