1942年、滋賀県信楽町に生まれた神崎紫峰は、関西大学法学部に進学し、当初は法曹界を目指していました。しかし、卒業後に陶芸の道へ進むことを決意します。
作品を築き上げていく過程では多くの苦闘がありましたが、やがて桃山時代以前の幻の名陶とされる古信楽・古伊賀の再現に成功し、その成果は作品にも大きな影響を与えました。
神崎は公募展には出品せず、個展を中心に活動を続けてきました。その影響もあってか、国内よりもドイツやアメリカなど海外での評価が高い作家として知られています。アメリカ陶芸界の最高峰と称されるピーター・ヴォーコスも、神崎紫峰の作品と作陶活動に強い関心を寄せ、実際に信楽の窯場を訪れたこともあります。
主に花瓶、抹茶碗、水指などを中心に制作しており、古信楽・古伊賀をはじめとする作品の美しさは、今なお高い人気を誇っています。
原 羊遊斎は、華やかな作風で知られる江戸時代後期の蒔絵師です。
伝統的な技法と独自の美意識を合わせた、緻密で洗練された蒔絵作品を多数制作しました。
1769年に江戸に生まれ、蒔絵師の「鶴下遊斎」に師事し、蒔絵を学びました。
20代後半になると、腕を買われて藩主の御用品を多く手掛けました。
彼の生涯については不明な点も多く、1845年、または1846年に亡くなったとされていますが定かではありません。
谷文晁や大田南畝などの文化人とも交流があったとされています。
彼の作品は、東京国立博物館など多くの博物館や美術館に収蔵されています。五島美術館で開催された展覧会では、蒔絵茶箱、印籠、根付、蒔絵櫛など、多彩な作品が展示されました。
代表作には『桜紅葉蒔絵重香合』『蔓梅擬目白蒔絵軸盆』『梅木蒔絵印籠』などがあります。
楽道入は江戸時代初期の京都の陶工で、三代目楽吉左衛門家当主です。
楽焼でも屈指の陶工として知られます。本名は吉左衛門、通称「ノンコウ」。独特の艶やかな黒楽釉や明るい赤楽釉を用い、薄作りで大振りな茶碗を制作しました。
代表的な作品には、「獅子」「升」「千鳥」などがあり、これらは「ノンコウ七種」として知られています。
道入は、茶人・芸術家である本阿弥光悦と親しく、彼との交流を通じて楽焼をさらに発展させました。楽焼は、後の時代における日本の陶芸に大きな影響を与え、特に茶道の道具としての地位を確立しました。
彼の作風は、現在も多くの陶芸家や茶道愛好者によって受け継がれており、日本の伝統的な陶芸文化の重要な一部分を担っています。
中林星山は福井県鯖江市を拠点とし、棗や香合などのお茶道具を主に制作している、昭和26年生まれの現代の作家です。
彼は「ぶりぶり香合」で有名な蓑輪一星から蒔絵の技術を学び、螺鈿や金彩などといった装飾を得意とします。
作品の素材には、一般的に高級木材として扱われる「神代杉」や「黒柿」を使用することが多く、気品漂う作風が特徴的です。
「神代杉」は埋もれ木の一種で、自然現象によって樹木が地中に埋もれ、その影響から大変美しい木目が出来上がります。
「黒柿」は、柿の木から1万本に1本の確率で出てくると言われており、非常に貴重な木材として有名です。
中林星山の作品は、上記の高級素材が使用されている点に加え、特徴的な形状もまた、評価に影響する重要なポイントとなります。
特に、和楽器の琵琶や扇子の形をした香合などは評価が高く、他にも繊細な絵付けがされている昆虫や動物、植物などを題材とした作品や、螺鈿や金彩が上品に施されているお品物も評価が高くなる傾向にあります。
奥磯栄麓は、1930年に京都で画家の両親のもとに生まれました。
28歳まで洋画家を目指していましたが、桃山時代の陶器と出会い、1960年に岐阜県久々利で窯を開きました。
栄麓は考古学の研究も行い、戦国・桃山時代の陶磁器に関する「極め」にも取り組みました。「極め」とは、鑑定書のような役割を果たす箱書きや書のことであり、考古学の知識を活かした活動の一環といえます。
さらに、愛知県春日井市出身の陶芸家・加藤唐九郎の愛弟子としても知られています。加藤唐九郎もまた、桃山時代の陶磁器を研究していた人物です。
栄麓の作品には、志野焼や鼠志野が多く、徳利やぐい呑みのほか、酒器や茶碗なども見られます。東海地方で活動していたため、黄瀬戸、瀬戸黒、織部などの作品も手掛けていますが、代表的な作品は志野焼です。
特に評価が高い作品の特徴として、志野焼の中でも器肌に紅い溶岩のような模様が入っているものが挙げられます。また、1987年に亡くなる直前の晩年作は希少性が高く、特に高い評価を受けています。
建窯(けんよう)は、中国福建省南平市建陽区水吉鎮付近にあった宋代の名窯です。
特に黒釉の茶盞「建盞」の生産で知られ、兎毫盞、油滴盞、曜変盞など、多彩な釉薬効果を持つ作品が生み出されました。これらは日本に伝わった際に「天目茶碗」と呼ばれ、珍重されました。
宋代には、皇室や貴族の間で「闘茶」という茶の品質を競う遊びが流行し、白い茶の泡を際立たせるために黒釉の茶盞が重宝されました。
近年では、建盞の製作技術が復興され、その独特の美しさが再評価されています。
天目茶碗の価値を決める重要な要素の一つに、「模様の美しさ」があります。黒釉のシンプルなものに比べ、禾目(のぎもく)、玳瑁(たいまい)、油滴、曜変といった模様が施された作品のほうが、より高く評価される傾向にあります。しかし、近年に安価で大量生産された、ギラギラと輝く天目茶碗は評価の落ち着く傾向にあります。