田中 重希は、茶道具や拭漆を用いた木工芸品などを制作する作家です。
「拭漆」とは、木地に透けた生漆を塗り、布で拭き取る作業を繰り返すことで、木目を生かして仕上げる技法です。
1947年、田中は京都・河原町丸太町に生まれました。
10代半ばで木工芸の道に入り、1979年に作家として活動を開始。
以降、百貨店やギャラリーで個展を開催し、海外でも活躍しています。
田中は、天然木を用いた高級漆器や懐石道具を手掛け、漆工芸や木工芸の分野で高く評価されています。
代表作には、『襷拭漆八角蓋物(襷拭漆という技法を用いた八角の蓋物)』などがあり、欅の一枚板を使った看板やテーブルなども制作しています。
雲色堂(うんしきどう)は日本・京都に伝わる伝統的な堂号つまり工房名で、とりわけ京都系鉄瓶の中でも名門とされる存在です。
江戸時代に京都で創設された雲色堂は、釜師の名門として知られ、初代は和田信濃大掾 藤原國次(ふじわらくにつぐ)という名高い釜師で、「天下第一釜師」と称されました。
初代以降も堂主は高い技術を受け継ぎ、茶釜や釣鐘の鋳造で寺院に名作を残すなど、工芸史にその名を刻んでいます。
京象嵌(きょうぞうがん)や銀打ち(銀覆)など、金属を組み合わせた精緻な装飾を鉄瓶に施す技法でも高く評価されており、明治期に一度途絶えてしまった京象嵌鉄瓶技術を、現代に復興させた工房としても注目されています。
永島福太郎(ながしま ふくたろう)は、日本の著名な歴史学者で、特に中世日本の都市史や茶道史、奈良地域の歴史研究において重要な業績を残します。
古美術・茶道具に関する多数の著作を執筆し、特に『天王寺屋会記』の編纂・刊行で知られ、茶会記・道具の記録の保存に大きく貢献しました。
収集家・目利きとしても一流とされ、当時の茶人や蒐集家との交流も活発でした。
中世都市の社会構造や茶文化研究によって日本歴史学と文化研究の基盤を築いた一人で、単なる学問的探究にとどまらず、地域文化への深い理解と普及意識に貢献し、多くの後進に影響を与え続ける歴史学者です。
青鳳(せいほう)としても名が知られている内島市平は、彫金家として今現在でも注目度が高い作家です。
1881年富山県高岡市出身の内島市平は、細川松次郎氏に彫金術を学び日展に何度も入選を果たし、若くしてその名を知られるようになります。1928年には高岡工芸学校教諭として務めていました。更には国会議事堂銅扉装飾金具仕上げに従事したり、ベルギー万国博覧会にて名誉大賞を受賞、晩年は陶器の製作も行うなど、活躍の場を広く展開していました。
主な作品は銀を用いた香炉や置物です。
美しく輝く銀ならではの特性を生かし、高度で繊細な技術によって生み出されるデザインは、先端にまでこだわり抜かれ、圧倒的な表現力を備えているのが特徴です。
清課堂(せいかどう)は、1838年(天保9年)に京都で創業した老舗の金属工芸工房です。
創業以来、錫(すず)を中心に銀や銅などの金属を用いた工芸品を製作しており、神社仏閣の荘厳品や宮中の御用達品、煎茶道具など、伝統的な品々を手がけてきました。
現在は七代目当主・山中源兵衛氏が経営を担い、伝統技術を継承しつつ、現代のライフスタイルに合った製品づくりにも取り組んでいます。例えば、古い火鉢を錫で覆い、シャンパンクーラーとして再生するなど、伝統と革新を融合させた商品開発も積極的に行っています。
清課堂の製品は、使い込むほどに風合いが増し、独特の「侘び寂び」を感じさせる点が魅力です。特に錫製の酒器は、お酒の味をまろやかにすると評判で、現在でも贈り物として多くの支持を得ています。
1952年に石川県輪島市で誕生した北村辰吉は、1973年頃に輪島漆器の製作を行うようになると、現代の技法に限らず古典の技法の研究も行い、技術力の向上を図りました。1985年には北村工房を設立し、着実に活躍の幅を広げていきます。
1986年には印籠制作を開始し、この頃から海外でも個展を行うなど、国内外で活動をより活発化していきます。
細密な技法から織りなす圧倒的表現力を生み出す北村の作品は、現代技法の中に垣間見える奥深い伝統性のある技法も見ることができる作風が特徴的です。
一度見ると忘れられないようなどこか力強さも感じられる表現力は唯一無二とも言えるでしょう。