素三は初代素三から始まり四代まで続く、急須作りの名家と言われています。
初代素三(1866-1922)は名を井上素太郎といい富本岩次郎の三男として生まれます。後に井上家に入り、初代木二、二代三光に師事し、茶人の柴山準行に茶を学びました。
二代素三(1890-1956)は名を亀岡梅三郎といい花器や茶器、高級抹茶器を主に作成し名を上げます。
三代素三は平凡な作品を嫌い、ぐい吞みに人形を入れこんだ特徴のある作品を制作し、一風変わった作りで人気となり、その後、動物や花の細工を施したものや、独特の細工を急須にも施すようになります。
四代素三(1950-2019)では父三代目の遺志を継ぎ、独特の作風に加え、急須の口にも細工を施すなどし人気を得ました。
それぞれの代で特徴のある素三ですが、最近では、急須のつまみやお猪口の中などに、河童などの人形を入れた三代素三の作品が、大変人気です。
実用性はもちろんのこと、鑑賞用としても重宝される逸品です。
緑和堂では、歴代素三の作品を探しております。
お片付けなど、整理整頓の際に見つけた際には、是非弊社へお持ちください。
林 正太郎は岐阜県土岐市下石町の窯元の子供として生まれました。
商業高校を卒業後、名古屋で就職しましたが、すぐに岐阜県に戻ってきました。
それから兄である林 孝太郎に師事し、陶作を手伝うようになりました。
初期の頃はガス窯を利用し、天目や黄瀬戸など様々な作品を制作しました。
24歳の時に朝日陶芸展知事賞を受賞、翌年の1972年には日本伝統工芸展初入選や朝日陶芸展優秀賞に輝きました。
1974年には独立し、中日新聞社新人賞受賞を受賞しました。
1993年美濃陶芸展で最高の大賞を受賞、翌年には美濃陶芸展で加藤幸兵衛賞を受賞、1997年には庄六賞を受賞致しました。
この3つの賞を立て続けにとる事は同展が開催されて初めての快挙と言われております。
2002年には土岐市指定の重要無形文化財保持者に認定されております。
2012年には県指定重要無形文化財「志野」の保持者に認定されます。
作品の多くは「志野焼」です。釉薬をたっぷり使った豪快な作風が特徴的で、作品全体から感じられる迫力に圧倒されながらも、魅了されます。
その他にも、織部や天目など様々なジャンルの陶芸作品を作陶しています。
小西平内は、兵庫県西宮市に「太閤窯」を構える陶芸家、およびその名跡です。
太閤窯を築いた初代・平内とその甥の二代・平内がおり、世に多く出ているのは二代の作品となります。なのでここでは、主に二代の紹介をさせていただきます。
二代は1928年に愛媛県に生まれ、十代のうちに叔父の初代に師事します。初代のもとで作陶技術を学んだあと、翌年には昭和の光悦と称される川喜田半泥子に師事し、茶陶作りの技術を身に着けていきます。
1964年に叔父の隠居に伴い、二代・小西平内を継ぐことになります。その後は大阪三越での初個展にはじまり、国内外での活躍を見せました。
楽焼・伊賀焼による茶陶を中心に制作し、伝統的な茶陶の精神を大事にされた作品を多く残されています。特に黒樂茶碗、赤樂茶碗は小西平内の精神を体現したような代表作品であり、その実力は茶道裏千家十五代家元である鵬雲斎大宗匠からも高く評価されています。
中村宗悦は、石川県出身の漆芸作家です。
1932年に生まれ、十代の頃には父親から「髹漆(きゅうしつ)」という技法を学びました。以来、宗悦はその技法一筋で作品を製作していきました。
「髹漆」とは、へらや刷毛を使って漆を素地に塗る、漆芸の技術のことを言います。いわゆる塗りの技術であり、漆芸技法ではもっとも古い技術の一つであるとも言われています。単純に塗るだけでは塗った跡が残ってしまうため、跡を残さない高い技術力が必要とされている伝統的な技法です。
髹漆をベースとし、真塗(黒の漆立て)や蒔絵などの技法を用いて製作するのが宗悦の作風となります。
モチーフには草花、鳥、小動物などが多く、古雅で優しさのある表現が特徴的です。棗や盆にはじまり、茶入や香合、棚などと多岐に渡った漆芸作品を製作しております。
また、徳恩寺の中尾宗和に茶道の指導を受けた経緯から茶道の造詣が深く、茶人に愛される茶道具を多く手掛けています。
山本 太仙は1953年四日市に生まれました。
父は築窯業、祖父は急須作家で、作陶に恵まれた環境に育ち、高校卒業と同時に焼き物の道に入ります。
伝統工芸の萬古急須を作る傍ら、釉薬を研究し従来の赤土急須にない新しい感覚の施釉急須を作っております。煎茶道具、茶道具を作りながら、茶の湯の道具も幅広く手掛けております。
涼炉とは、煎茶道具であり、お湯を温めるための役割をもつ移動式の炉(ろ)です。
画像のお品物は、焼〆(やきしめ)という焼き方で作成したお品物で、陶器に釉薬をかけずにそのまま焼いたものの事をいいます。
川端近左は、江戸時代末期から200年ほど続く漆工芸師です。当代は六代目になります。
始まりは、京都で近江屋という油屋を営んでいた左兵衛(初代)の好きが高じて始めた蒔絵がいつしか家業になったとされ、近江屋の「近」と左兵衛の「左」を取って「近左」と名乗るようになったと言われています。二代以降も先代の意匠を継ぎつつ漆工芸の世界を広げ、多くの作品を残されています。
現在比較的よく見られるのは五代、六代の作品です。五代は日本画を学びながら四代に家業を師事していた人物で、五代襲名前に日展で数度入選するなど、確かな技術を持った方でした。六代は漆工芸家・冬木偉沙夫に師事し、工芸の基礎を固めました。その後五代に師事し、2000年に六代を襲名します。そして現在まで数多くの作品を制作されています。
川端近左の作品でも目を引くのは、やはり豪勢な蒔絵のあしらわれた棗などですが、そのほかにも盆や莨入、重箱、食籠など幅広く漆芸品を制作しており、質の高さからどれもが高く評価されています。