山下義人は「蒟醤」にて国の重要無形文化財に認定された漆芸家です。
1951年に香川県に生まれた山下義人は、高松工芸高校を卒業し、香川県漆芸研究所を卒業した19歳の時に生涯の師と仰ぐ磯井正美に師事し、蒟醤を学びます。その後は、「蒔絵」で国の重要無形文化財に認定されている田口善国にも師事しました。
二人の人間国宝からは、技術的なことはほとんど教わらなかったそうですが、漆芸家としての美を教わり、二人の背中や作品を見ることによって美学を学んでいきました。1980年に日本工芸会の正会員になってからは、数々の賞を受賞し1989年の第36回日本伝統工芸展に出品した作品は文化庁の買上げとなりました。2000年から2004年にかけては金毘羅宮の式年遷座祭にて本宮天井画「桜樹木地蒔絵」の復元と監修に従事し、山下義人自身の制作活動と共に文化財の保護にも尽力しております。
山下義人の蒟醤作品の特徴としては、色漆の濃淡を使った繊細で緻密な彫りと穴埋めであり、自然をモチーフにした作品が多く、炎をモチーフにした抽象的な具象を扱うことには特別な情熱をもっていたとのことです。その多彩なゆらめきを表現することにはとても苦労し、蒟醤丸箱「炎」は10年もの歳月をかけて制作をし、山下義人の代表的な作品です。
茶道具・茶器作家一覧
奥山 峰石
奥山峰石は1995年に鍛金の技術で国の重要無形文化財に認定された金工師です。
1937年に山形県に生まれた奥山峰石は、少年時代は芸能界に入りたいと思っておりましたが、日々の生活の為に洋食器を作る銀器職人である笠原宗峰に弟子入りしたのが鍛金への始まりです。優勝カップやトロフィーなどを制作しておりましたが、オイルショックによって仕事が激減したことがきっかけとなって金工師を目指すようになり、1977年に田中光輝に師事します。1984年に伝統工芸日本金工展にて文化庁長官賞を、1989年に日本伝統工芸展にて高松宮記念賞を受賞し、1995年には鍛金にて国の重要無形文化財に認定されるなどの功績を残しております。
奥山峰石の作品は軽くてなんといいっても丈夫であり、打ち込み象嵌や切り嵌象嵌の技術を使い分けて独特な作品を作っており、作品は自身の心や気性を表すという考えから、着用する衣服なども自分に合うものをきちっと着こなすといったこだわりを持っている方です。
中川 清司
中川清司は京都府出身の木工芸にて2001年に国の重要無形文化財に認定された木工芸家です。
釘などの接続金具を使用しないことで有名な京都の指桶物師の家庭に生まれた中川清司は三重県立松阪高等学校を卒業した後に父の中川亀一に師事し、10年間修業をしました。1972年に日本工芸展に入選を果たし、その翌年からは日本工芸会近畿支部展を2年連続で受賞しました。1974年から1986年まで竹内碧外に師事しながら作品を制作し、日本工芸展近畿支部展などで賞を受賞する実績を残しました。1988年には第3回伝統工芸木竹展にて毎日新聞社賞を受賞するなどの実績を残したことから2001年に「木工芸」にて国の重要無形文化財に認定されました。
中川清司の作品は主に京都の老舗料理店で使われており、「柾合わせ」という技法を考案し、美しい作品を作り上げております。「柾合わせ」とは柾目に沿って一定角度で木を削り合わせていくことで木材の収縮をコントロールし木の割れや狂いを防ぎ、美しい木目が表れていきます。また、取引先の京の老舗は良い木を使っているということにステータスを持っている為、中川清司は木へもこだわりを持っており、徳川幕府の御用林であった木曽の檜、椹、槇、杉は吉野杉を使っており、最高の木材を最高の作品に仕上げております。
中川 衛
中川衛は加賀象嵌に新しいスタイルを生み出し、話題となった金工師です。「彫金」にて国の重要無形文化財にも認定されております。
中川は1947年、石川県金沢市に生まれます。金沢美術工芸大学産業美術学科を卒業した後、大阪の松下電工に入社しました。27歳で金沢に帰郷しますが、石川県立美術館の展覧会で観た加賀象嵌に中川は心を打たれます。その後は彫金家・高橋介州に入門し、金工師として歩み始めました。
「象嵌」は金属や陶磁器などの素体に模様を刻み込み、そこに金や銀をはじめとした材料を嵌め込み、装飾を施す技法です。「加賀象嵌」は金属象嵌の技法の一つであり、華麗で洗練された文様が特徴です。
加賀象嵌の代名詞として「鎧」があり、デザインの豪華さや斬新さに加え技の入念さから絶対に外れないという点でも評価されました。
中川衛の技法は加賀象嵌の伝統を重んじ、主に鉄、赤銅、朧銀などでできた金工品の表面に金や銀などの金属を嵌入して装飾模様を表すものです。技術的に難しい重象嵌(鎧象嵌)等の現代的な感覚によるその作品には魅了される人が多くいらっしゃることでしょう。
桂 盛仁
桂盛仁は2008年に「彫金」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された金工師です。
江戸時代初期より続いている彫金の一派である柳川派の流れを汲み、煙草入れなどの装身具で明治~昭和期にかけて人気を博した桂光春や二代豊川光長を輩出した装剣金工の流派の内の一派であり、叔父である桂光春を継いだのが桂盛行でした。その桂盛行の息子として生まれた桂盛仁は、父である盛行のもとで修業をし、1968年に武蔵野美術短期大学を卒業後には第11回伝統工芸新作展、第1回日本金工展、第18回日本伝統工芸展に入選を果たし、その後は数々の賞を受賞する功績を残します。1995年には第25回伝統工芸日本金工展にて文化庁長官賞を受賞し、2008年には「彫金」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されました。
桂盛仁は四分一といった銅3、銀1という配合の合金を使用した作品作りを得意としております。この四分一という合金は硬い上に熱に弱い為、細かな表現をするのは非常に難しいといわれており、この卓越した技術を持った桂盛仁の作る作品は人々を魅了していくことでしょう。
原 清
鉄釉陶器の新たな表現を切り拓いた人物である原清は2005年に国の重要無形文化財(人間国宝)に認定されたの陶芸家です。
1936年に島根県斐川という現在の出雲市に生まれました。少年時代を過ごした出雲という土地は江戸時代より北前船の寄港地となっており、有田焼や唐津焼の陶器が渡ってくるところでありました。原清が学校からの登下校中に拾った古い染付の陶器に魅了されたことがきっかけとなって、陶芸の道を志すようになり、1955年に後の人間国宝となる石黒宗麿、清水卯一に陶芸を学ぶようになります。その後は、1958年に日本伝統工芸展に初入選後の1965年に東京の世田谷区に窯を築いて独立を果たし第16回日本伝統工芸展にて日本工芸会会長賞を受賞し、鈞窯の技法にて評価を高めていきます。その後は埼玉県に窯を移し、鉄釉の技法の研究を進めていき、この鉄釉技法によって原清は陶芸家としての知名度を大きくしていくことになり、人間国宝として認定されました。
原清の作品は黒色と褐色の二種類の鉄釉を使った美しい色合いが特徴的で、草原を悠々と駆ける馬や風に揺らぐ草や花などを題材とした身近な世界をこの二色の鉄釉を使って絶妙に表しているその作品は非常に魅力的です。また、石黒宗麿→清水卯一→原清の三代にわたって人間国宝に認定されており、この系譜は他には成し得ない凄さがあることはもちろんですが、代が下がることに認定されるのは難しくなりますので原清の凄さがここでも伺えます。
玉川 宣夫
玉川宣夫は「鍛金」にて国の重要無形文化財に認定された新潟県出身の金工師で、鎚起銅器をベースとした木目金の技法を使った作品が評価されております。 鎚起銅器とは新潟県の燕市にて作られている銅器で江戸時代中期に誕生した伝統工芸 …
山岸 一男
皆様は山岸一男という人物をご存知でしょうか。 山岸一男は2018年に「沈金」の分野にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された石川県出身の漆芸家です。沈金という輪島塗の加飾技法の会得に加え、沈金の一種で金の代わりに漆を …
北村 昭斎
北村昭斎は「螺鈿」にて国の重要無形文化財に認定された漆芸家です。 螺鈿とは漆工芸品の加飾技法のひとつで貝殻の内側の真珠層と呼ばれる光沢を帯びた虹色の部分を文様にして切り出し、漆地や木地などに彫刻した面にはめ込む技法で、奈 …
久世久宝
京焼の伝統的な作品を製作している陶芸家として有名な久世久宝という家元をご存知でしょうか。 京焼の伝統を踏まえながらも仁清写色絵付や染付、金襴手などの技法を持つ陶芸家で、当代が5代目となります。 初代久世久宝は1874年に …
佐々木 象堂
佐々木象堂は1960年に「蝋型鋳造」にて国の重要無形文化財(人間国宝)に認定された金工師です。 1884年に新潟県に生まれた佐々木象堂(本名は文蔵)は、貧しい家庭で育った為高校に通いながら商家に奉公しておりました。画家を …
前田 竹房斎
前田竹房斎は、主に堺で活動した竹工芸家の名跡です。明治初めから平成まで続き、初代と二代がおられます。 初代は1872年の大阪に生まれました。十代半ばには竹工芸家・三代早川尚古斎に才覚を認められ、独学で竹工芸を学びました。 …
長野 垤志
1900年(明治33年)10月28日~1977年(昭和52年)、愛知県生まれ昭和時代の釜師になります。初めは洋画家を志したが、鋳金に転じ、山本安曇ついで香取秀真に師事しました。1927年(昭和2年)帝展に初入選し、193 …
慶入 (十一代楽 吉左衛門)
慶入は京焼の名跡・樂吉左衛門の十一代であり、歴代吉左衛門の中でも多くの作品を制作し、現代にも数々の作品が残っている作家さんです。 江戸時代末期に生まれ、それから明治にかけての激動の時代を慶入は生きました。徳川家の衰退によ …
奥村 吉兵衛
表具師として千家十職に名を連ねる奥村吉兵衛は江州(滋賀県)の武士の家系であったが京へ上り、正保3年(1646年)母方の家業の表具師を継いだ。承応 3年(1654年)に表具屋業を開業。屋号を「近江屋吉兵衛」とした。吉兵衛と …
前田 昭博
前田昭博は「白磁」で国の重要無形文化財に認定された陶芸家です。 1954年に鳥取県に生まれた前田昭博は、小学校2~3年生の際に学校の教員をしていた父が木版画を始め、その後ろ姿を見てモノを夢中になっているところがうらやまし …
飛来 一閑
一閑張細工師を生業とする飛来家の祖は,中国の出身で中国の動乱期に清の進行を避けるため日本に亡命しました。中国では学者として過ごしていた一閑は古代中国技術である乾漆工芸の印可を受けた技術者でもありました。そんな一閑は大徳寺 …
土田 友湖
土田家の祖先は元々武士の家系で初代彦根藩主 井伊兵部大輔直政に仕官し、鉄砲組頭を務めていた家系と伝えられています。後に土田家の初代となる土田友湖は、本来家督を継ぐ予定であった実母が早くに亡くなったため、家督を継母の子に譲 …
大西 清右衛門
1500年代後半から400年以上続く窯氏の家系、大西家の当主の名が清右衛門です。清右衛門という名は世襲制の名で大西家4代当主大西浄頓以降に、9代大西浄元を除き代々襲名しています。現在の当代は16代大西清右衛門です。 大西 …
野々村 仁清
野々村仁清は生没年が不明などわからないことはいくつかあるのですが、生まれは丹波国(京都)野々村と伝えられており、本名は清右衛門といいます。 京都の粟田口や瀬戸などで修業を積み1647年ごろに京都仁和寺の門前にて開窯します …
高橋道八
高橋道八は江戸時代後期より続く京焼(清水焼)の窯元の一つで、陶芸家の名跡です。茶道具や煎茶器の名品を数多く輩出しています。 初代高橋道八の時代は煎茶隆盛期で、初代高橋道八も時代の流れに合わせ多くの煎茶器を作成し名品を残し …
駒澤 利斎
駒澤利斎とは、指物師を生業としている駒澤家の当主が世襲する名です(利斎を名乗り始めたのは4代目以降)。江戸時代から14代続いている駒澤家は、千家(千利休を祖とする茶道流派の家)との関わりが深く、二代宋慶の時代から千家より …
館林 源右衛門
館林源右衛門は、江戸時代中期に創業した陶芸家です。 民窯として磁器を制作しますが、 明治・大正時代には料亭用の食器を中心に製造を行っていました。六代・館林源右衛門は、有田焼の一つである古伊万里復興に取り組み、伝統的技法 …
大樋 長左衛門
大樋長左衛門は石川県金沢市が誇る江戸時代から続く楽焼を、現代でも受け継ぎ続けてる大樋家の当主です。 大樋家の作る大樋焼は、ろくろを使わず手で捻りながら成型し、へらを使い削りながら作り上げます。これは楽焼の流れを汲んでおり …
中里 太郎右衛門
江戸初期から続く唐津焼の名工、中里太郎右衛門。技術の継承とともに、そこに現代的なデザインを組み込み作られる作品群は現在の14代目に至るまで、着実に受け継がれています。 中里又七を祖として現在まで続く中里家。特に注目された …