藤井 松林

1824年~1893年 藤井 松林(ふじい しょうりん)は、福山城下の長者町の武家屋敷で誕生しました。松林は、14歳の時に、御絵図師加勢になり絵画での腕を発揮する初めと言われております。この頃から、四条派の重役だった高田杏塢と吉田東里に絵の手ほどきを受けており、本格的に絵画の修行を始めたのは1849年24歳からになります。1856年に京都へ行き、円山派の中島来章の門をたたき、その同門には森寛斎、幸野楳嶺、川端玉章等後に名を残した画友がおりました。1889年宮内庁に作品を献上おり、写実派の妙技を遺憾なく発揮し、松林を代表する作品となっております。「游鯉図」、「百福図」になります。松林の描いた画題は花鳥、山水、人物等全般にわたり、和歌も嗜む文人画家でした。

山口 真人

山口 真人(やまぐち まこと)1978年に西山窯の6代目として愛知県瀬戸市にて生まれる。
2000年から陶芸家としての修業を開始、2004年に独立し瀬戸市に窯を開きます。2007年ごろから東海地方を中心に美術展に出品し高い評価を得ます。2013年には銀座黒田陶苑にて個展を開き成功、その後は毎年銀座黒田陶苑で個展を開き新作の発表を行っている。江戸時代末から続く瀬戸の窯元の当主である山口真人は伝統を受け継ぎつつ常に新しい試みに取り組んでおり、織部、志野、瀬戸、古瀬戸、さらには銀彩など多様な作品を作り出しています。そのどれもが深みのある色合いと土の手触りが感じられます。古いものを研究することで培われる技術で常に新しいものを探求し、伝統的でありながらも、今までにないものを創造する現代陶芸家。常に進化を続け、陶芸家としての円熟期を迎えた今では現代陶芸家注目の作家となっています。

 

 

田能村 竹田

田能村竹田は、豊後国岡藩(大分県竹田市)出身の南画家です。

1777年に生まれ、実家は岡藩主のお抱えの医者の家系でした。しかし生まれつき体の弱かった竹田は、22歳の時に藩主から医者の道に進まなくてもよいと言われ、学問の道に進むこととなりました。

絵を描き始めたのは20歳頃で、地元の画家から学ぶ形で始まりました。竹田が本会句的に芸術一筋となったのは37歳であり、芸術家としては遅い年齢でした。しかしながらその深い教養や力量から豊後南画の始祖と呼ばれるまでになり、また帆足杏雨・後藤碩田・高橋草坪・田能村直入のいわゆる竹田門下四天王と呼ばれる優れた後継者を残しております。

竹田の作品は南画と呼ばれるいわゆる中国の画法でした。南画の基本的な考えは、たくさんの知識を付け、自然を身体で感じ、それを絵に表すというものでした。その中でも竹田は知識への探求が熱心であり、良い絵を描くためにはたくさんの知識と、旅をして得る事ができる見聞や体験が必要であると語り、それを実行に移していたのでした。

竹田は筆まめといえるほど数多くの作品を残しており、その作品は全国の美術館に所蔵されております。京都の出光美術館には竹田の作品が200点近くも所蔵されています。機会があれば、是非一度足を運んでみてください。

久隅 守景

久隅 守景(くすみ もりかげ 生没年不詳)は江戸時代前期の狩野派の絵師です。狩野探幽の弟子で、最も優秀な後継者と言われております。しかし守景の人生を記した資料や文献が少なく、謎が多き画家であります。生まれも不詳であり、狩野探幽守信の門に入り、神足常庵守周、桃田柳栄守光、尾形幽元守義と共に四天王と言われるほど実力はありました。1831年の「画乗要略」では「山水・人物を得意とし、その妙は雪舟と伯仲、探幽門下で右に出る者なし」と高い評価を受けています。守景には一男一女がおり、二人とも父を継いで絵師になっている。しかし息子は悪所通いの不行跡などが原因で狩野家から破門され、さらには罪を重ね佐渡へ島流しされています。そして娘も同じ狩野門下の塾生と駆け落ちをするといった不祥事が続きます。これがきっかけになったかはわからないが、狩野派から距離を置き、金沢に向かい充実した制作活動を送った。最晩年まで制作活動は衰えず、老いを感じさせない作品を残しています。亡くなった時期も不詳ではありますが、1698年に庸軒の肖像画を描いたとされ、その後亡くなったと推測されています。

椿 椿山

1801年~1854年 椿 椿山(つばき ちんざん)は江戸時代後期の日本の文人画家になります。現東京都文京区小石川出身。旗本槍組同心の椿嘉左衛門定重が54歳のとき末子として誕生。椿山が7歳の時に父がなくなり、長じて世襲制であった槍組同心となり、武術を習得しました。同心勤務をしながら画を志し、はじめは金子金陵に就いて沈南蘋風の花鳥画を学んでおりましたが、金陵が死没しその師であった谷文晁に一時入門。早い時期に槍組同心を辞職し、画業と学問に専念します。17歳の時、同門の渡辺崋山を慕い崋山塾に入門。その後、崋山を終生の師として慕いました。椿山は努力家で、当時同門の者から不器用と言われておりましたが、修行を怠らず、これを知った崋山は「後に必ず名をなすだろう」といったそうです。椿山は、「十少と称す」と友人から言われていたそうで、「飯少なく、遊少なく、眠少なく、言葉少なく、磨墨少なく、着筆少なく、彩色少なく、酒を飲まず、女に近付かず、煙草を喫せず」で穏やかで誠実な人柄であり寡黙な人物だったそうです。

野口 幽谷

1825年~1898年 野口 幽谷(のぐち ゆうこく)は、幕末から明治期に活躍した南画家になります。東京都千代田区神田出身で、父は大工だった棟梁源四郎の次男として誕生。幼少期に患った天然痘からくる虚弱体質だった為大工を継ぐことができず、宮大工の鉄砲弥八に図面製作を学びます。弥八から図面の技能を磨くにはまず、絵画を学ぶように言われ、知人の紹介で椿椿山の画塾琢華堂に入門し、漢学(中国伝来の学問の総称)を大黒梅陰に学びました。ある時、椿山から「画はなんのために描くのか?」と聞かれ、「気ままに自分の心を画き、気ままに生活したい」と答えたことから、幽谷に咲く恵蘭のような心と評されて幽谷の画号を贈られたという。1854年師椿山が没すると、渡辺崋山に私淑して画を独学で学びます。1872年欧州の博覧会をはじめ作品を出品し、画才が認められる。その後も宮中で障壁画制作に任命、各会の審査委員を歴任し、1893年帝室技芸員となる。幽谷は、師思いとも知られ、1855年安政の大地震で自分の自宅が半壊したにも関わらず、師椿山の家の被害がひどく自分の家を後後回しにし、幽谷自ら大工だった経験を活かし修復にあたったといいます。

呉春

呉春(ごしゅん 1752年~1811年)は江戸時代中期の絵師です。四条派の始祖。初期の画号は松村月渓。呉春は京都の金座年寄役の家に六人兄弟の長男として生まれる。はじめは家業の金座を継ぎ平役を務めていた。金座は高給なため家 …

森 徹山

森 徹山(もり てつざん 1775年~1841年)江戸時代後期の絵師です。徹山は大阪で森周峰の子として誕生。主に出身の大阪で森派、四条派として活躍しました。森周峰の実子でありますが、叔父の森狙仙の養子となり、森派を継いで …

長沢 芦雪

長沢 芦雪(ながさわ ろせつ 1754年~1799年)芦雪は江戸時代の絵師です。長澤蘆雪と表記されることもある。円山応挙の高弟で、師とは対照的に大胆な構図、斬新で奇抜な画風を展開した。丹波国篠山にて生まれる。後に芦雪は父 …

駒井 源琦

駒井 源琦(こまい げんき 1747年6月12日~1797年9月27日)江戸時代中期の絵師です。姓は駒井、本名は源、名は琦で駒井源琦と表記されることが多い。円山応挙の高弟で、長沢芦雪と共に二哲と評されていました。芦雪は、 …

李 思訓

李 思訓(り しくん 651年~718年)唐時代玄宗朝に仕えた官僚である。画に長じており、子の李昭道とともに北宗画の祖とされています。若いころから芸才に優れており、唐の第3代皇帝の高宗の時に、江都令に就任しました。しかし …

岸駒

岸駒(がんく 1749/56年~1839年)岸駒は江戸時代中期から後期の絵師です。出身、出生は諸説ありますが石川県金沢市の説が有力である。幼少期は生活が苦しく、手習いしようにも師につくことができなかった。そのため店の暖簾 …

横山 華山

横山 華山(よこやま かざん 1781年または1784年~1837年)華山は江戸時代後期の絵師です。中国風に「黄華山」と署名している例もあり。出生や出身が諸説あり定かではないが、京都出身とされています。福井藩松平家の藩医 …

熊谷 直彦

1829年1月19日~1913年3月8日 熊谷 直彦(くまがい なおひこ)は、日本画家で江戸時代末期から大正時代の京都出身の作家です。1841年に四条派の有力な画家だった岡本茂彦に入門しました。岡本の死後は独学で日本画の …

菊池 契月

1879年11月14日~1955年9月9日 菊池 契月(きくち けいげつ)は、長野県中野市出身の明治後期から昭和中期にかけて活躍した日本画家になります。少年の時から絵を描くことが好きで、13歳の時に南画家の児玉果亭に入門 …

灰外 達夫

1941年~2015年 灰外 達夫(はいそと たつお)は昭和後期~平成時代の木工芸家で、石川県出身の作家。1956年より建具製作を学び、1971年(当時30歳)に建具店を自営で営み始めます。1977年から木工芸の創作を始 …

大坂 弘道

1937年2月20日~2020年9月25日 大坂 弘道(おおさか ひろみち)は日本の木工芸家になり、鳥取県倉吉市出身の重要無形文化財(人間国宝)になります。6番目の木工芸の人間国宝になります。ほとんどの人間国宝の方々は、 …

金山 平三

1883年12月18日~1964年7月15日金山 平三(かねやま へいぞう)は、大正~昭和の時代に活躍した洋画家になります。兵庫県神戸市出身、1905年9月に東京芸術大学の西洋画科本科に入学し、当時主任教授だった黒田清輝 …

西山 翠嶂

西山 翠嶂(にしかま すいしょう)1879年4月2日~1958年3月30日は、大正から昭和にかけて活躍した日本画家になります。京都区伏見区の出身の作家で竹内栖鳳に日本画を学んだ経歴があります。1894年から各展覧会や博覧 …

木村 清五郎

木村 清五郎(きむら せいごろう)1949年~現在 新潟出身の金工師になります。本名は文蔵。初代は実の父親になり、父に師事して技術を学びました。父の影響で幼い頃から金工に親しんで育ちました。茶道具と言えば、掛軸や香合等に …

寺崎 広業

寺崎 広業(てらさき こうぎょう)1866年4月10日~1919年2月21日 秋田に誕生した寺崎は、幼少の頃父の職業が失敗し祖母によって育てられました。幼い頃から絵を描くことが好きで、その時から優れていたといいます。高校 …

石井 康治

石井 康治(いしい こうじ 1946年-1996年)千葉県出身のガラス工芸家です。日本のガラスアートの先駆者として活躍した方で、1991年に製作の拠点を青森に開設。青森の厳しく雄大な自然に触れ、変わりゆく季節の美しさや情 …